第106話:第3幕:密室殺人の解体(狂言の乗っ取り)
「真犯人がカミーユではないからです」
シオンの冷徹な一言が、ざわめく法廷を再び静まり返らせた。
シオンがエルネスタに視線を送ると、彼女は頷き、法廷の側面の扉へと向かって凛とした声を響かせた。
「証人を召喚します。……お入りなさい、カミーユ・デュプレ氏!」
衛兵に付き添われ、やつれた顔で法廷へと姿を現したのは、天才魔術師カミーユ・デュプレ本人だった。
手錠をかけられたカミーユは証言台の前に立ち、裁判官たちに向かって涙ながらに頭を下げた。
「裁判長……すべてをお話しします! 私は……ベルク館長を殺害してなどいません! 確かに私は、先祖の至宝を取り戻すため、ある仮面の男から不在証明の光学装置を買い取り、大講堂で手品を演じる計画でした。しかし昨夜、開演の直前――二十時四十分頃、私が大講堂三階の映写室で装置のスタンバイをしていた時、見知らぬ給仕の男が現れ、差し入れだと称して私の煙管に火をつけて手渡してきたのです!」
シオンは証拠品保管箱から、映写室で押収された銀装飾の煙管を取り出し、掲げてみせた。
「この煙管の吸い口に仕込まれていたのは、帝都の闇市で密かに流通している強力な催眠香です。さらに吸い口の銀細工の裏側には、極小のタガネで『F・A』――すなわち影の演出家の真のイニシャルが刻印されていました。カミーユ氏は煙を二口吸い込んだ直後に意識を混濁させ、さらに何者かに背後から重い鈍器で後頭部を強打されて完全に失神していたのです」
「嘘を吐くな!」
ハルトマンが激怒して叫んだ。
「後頭部の傷など、捕まった後に自分で壁に頭を打ちつけて作った狂言の傷に決まっている!」
「医学的・法医学的に不可能です」
エルネスタが即座に帝国法医監理官の公式鑑定書を高く掲げた。
「受傷部位は後頭部正中線から右に三センチ、頭蓋骨の亀裂骨折および皮下血腫の凝固状態から見て、受傷時刻は昨夜二十時四十分前後! 打撃面の形状は真鍮のスパナによるものであり、自傷行為では絶対に不可能な角度と衝撃力です! カミーユ氏は二十時四十五分から二十一時半まで、映写室の床の上で完全に昏睡状態にありました!」
「では……!」
老裁判長が身を乗り出し、震える声で問うた。
「千人の前で投影機を操作し、カミーユの立体虚像を動かし続けていたのは……一体誰だったというのか!?」
「影の演出家、あるいはその雇った共犯者です」
シオンの声が、法廷の隅々にまで冷たく染み渡る。
「彼らの目的は、カミーユに罪を着せることだけではなかった。……大講堂の千人の目をジャックし、警察の捜査の目をカミーユという分かりやすい容疑者に釘付けにするための【巨大な陽動】だったのです。そして、この事件の真の現場――地下修復庫での密室殺人へと話は繋がります」
シオンは木箱から、地下修復庫の巨大振り子時計の精巧な分解図面を取り出し、黒板へと貼り付けた。
「昨夜、地下修復庫は内側から重厚な鉄閂が完全に落とされ、外部からの侵入経路は皆無でした。犯人はどのようにして密室に入り、館長を殺害したのか? ……答えは極めて単純です。犯人は、密室に入ってなどいません」
「な……何だと……!?」
「密室を作ったのは犯人ではなく、殺害されたエルネスト・ベルク館長自身だったのです」
シオンの放った推理に、法廷中の誰もが息を呑んだ。
「ベルク館長は多額の横領と美術品投機の失敗により、破産寸前でした。彼は国宝絵画に掛けられた莫大な帝国保険金を詐取するため、怪盗カミーユの予告状を利用し、【自作自演の狂言強盗劇】を企てたのです。館長は自ら部屋に鍵をかけ、二十一時に時計の重錘が落下して自らの肩を掠める仕掛けを作った。怪盗に襲われて負傷した被害者を演じるために!」
シオンは証言台の上のガンギ車を指差した。
「しかし、真犯人はその狂言計画を事前に察知していた。そして時計のガンギ車の歯を一枚削り、脱進機の往復周期を狂わせて、重錘の落下時刻を意図的に【一分間】遅延させたのです! 振り子の往復一秒ごとに進むガンギ車が、歯抜けの部分で空転し、六十回の周期ズレを生み出す時計工学のトリック。二十一時になっても作動しない仕掛けに焦った館長は、『仕掛けが故障したのではないか』と不安になり、自作自演の失敗を恐れて踏み台に乗った。そして時計の真下へ身を乗り出し、ソレノイドの接点を覗き込んだのです!」
シオンの鋭い声が、法廷のドームを貫いた。
「そこへ――二十一時零一分、先端を本物の鋭利な鋼鉄杭にすり替えられた重錘が自由落下し、自らの仕掛けによって心臓を真上から貫かれたのです! 落下のエネルギーは約三百七十ジュール、軍用ライフル弾の至近距離射撃に匹敵する破壊力でした」
シオンは自記湿度計の記録グラフを掲げた。
「二十一時零一分に急上昇した湿度記録。十五キロの重錘が床に激突した衝撃で、加湿スチーム弁が全開になった動かぬ物理的証拠です。さらに時計の文字盤裏には、ベルク館長自身の指紋がついた即席の銅線スイッチが残されていました。被害者自身の悪意を利用し、被害者自身の手で密室を作らせ、被害者自身の機械で処刑する。これこそが、この密室殺人のグロテスクな全貌です!」




