第75話 聞く相手
朝の板の間に、与三郎はいなかった。
近ごろは珍しいことでもない。朝のうちだけどこかへ出て、戻るのは昼近い。そういう日が、去年の暮れあたりから何度かある。
来ている束を解いて、写しにかかった。道と宿の請け人の控えだ。
一枚に、こう書いてある。
【甚五郎 由比 請人 彦七】
名と、どこの者かと、誰が請け合ったか。三つが揃っていれば、何かあったときに請け合った者までたどれる。欠けていれば、たどれない。
だから写すときも、三つのどれかが抜けている紙は、抜けたまま写す。埋めてはいけない。
戸を開けておいても、風はもう冷たくなかった。
昼近くになって、渡りの方から足音がした。一人ではない。
戸口に与三郎が立ち、そのうしろに男が二人いる。
「九郎次と茂助だ。今日から、この二人もここにおる」
与三郎はそれだけ言って、中へ入った。二人も続いて入り、荷を下ろす場所を探している。
一人は若い。自分とそう変わらないか、少し上くらいに見えた。もう一人は年かさで、髪に白いものが混じっていた。
筆を置いて、膝を正す。
「高瀬悠人といいます」
若い方がすぐにこちらを向いた。
「九郎次だ」
年かさの方は、板の間をひと通り見てから言う。
「茂助」
与三郎は、いつも座っている場所へは行かなかった。棚の前まで行って束の端を少し開き、中をたしかめてから、その一つを取る。
「これは、わしが持っていく。西へ出す分だ」
「はあ」
「あとは、いつものとおりだ」
足音が渡りの方へ遠ざかった。
九郎次が、戸に近い方へ荷を置く。
「ここは、朝は日が入らぬな」
「そうですね」
「上の間の方が、まだ明るい」
この屋敷のことを、こちらより知っているらしい。どこにいた人なのかは、聞いていない。
茂助の方はもう紙を広げていた。棚の下の段から板を出してきて、膝の前に置いている。自分が最初にここへ来たときは、その板があることを知るまでに何日かかかった。
しばらくは、三人とも紙の音だけになる。
そのうち、九郎次がこちらを見た。
「高瀬殿は、御屋形様に呼ばれることがあると聞いた」
顔を向けたまま、待っている。
「たまにです」
「何をするのだ」
「鞠の相手です」
九郎次が少し笑った。
「鞠か」
蹴って返しているだけだ、と言いかけてやめる。この二人がどう取るかは、まだ分からない。
昼を過ぎて、九郎次が手を止めた。
「高瀬殿。これは、道か、宿か」
受け取って見ると、宿の分に道の分が一枚だけ混じっていた。端の折り方が違っている。
「道の分です。宿の方は、はじめに泊まった日が入ります」
「なるほど。日か」
茂助が顔を上げずに言った。
「混ざったものは、その日のうちに分けておけ。翌日になると、どちらから来た紙か分からぬようになる」
「承知した」
写し終えた分を束ねて、顔を上げる。いつもなら、そのまま与三郎の前へ置く。
茂助が手を出した。
「こちらへ回せ」
渡すと、茂助はその場で紐を解いて、上から順に見ていった。途中で指が止まる。
「これは、おぬしが見たのか。聞いたのか」
指されていたのは、荷の数を書いた行だった。
「見ていません。請け人が言った数を、そのまま書きました」
「ならば、そう書いておけ」
紙が戻ってきた。書き足して、束に戻す。
日の落ちる前に取次の者が来て、茂助から束を受け取って出ていった。
最後の束にかかる。
道の請け人の控えで、名と、どこの者かが並んでいる。そのうちの一つに、どこの者かが書いていない。
名は読める。読めるが、それだけだ。
このまま写せば、名しかない行になる。あとで照らし合わせようとした者は、次にどこを当たればいいのかが分からない。
紙を持って立った。
「茂助殿。この者は、どこの者ですか」
茂助がその行に目を落とす。
「知らぬ」
九郎次が横から覗きこんだ。
「由比の者ではないか。すぐ前の行が由比だ」
茂助が首を振る。
「前の行は前の行だ。書いておらぬものを、そうであろうと書くな」
九郎次が口をつぐんだ。
茂助がこちらへ目を戻す。
「そこには書いておらぬのか」
「ありません」
「ならば、分からぬと書いておけ」
名をそのまま写した。その脇に、【どこの者か、不明】と書いた。
束を片づけても、まだ日が残っていた。
このごろ、紙に出てくる地名が増えている。由比、蒲原、大宮。遠江なら引馬、見付、懸川。三河の方は岡崎、吉田、牛久保。
国の名だけで三河、遠江と書いてあるものもある。
岡崎は分かる。懸川も、掛川のことだと前に気づいた。ただ、吉田や牛久保がいまのどこなのかは見当もつかない。
名前は読める。字も書ける。でも、どこがどこにあるのかを頭の中だけで並べようとすると、だんだん分からなくなってきた。引馬が水口よりどれくらい西なのか、線が引けない。
自分で分かるようにしておきたかった。地図を書いてみようと思う。
書き損じの紙を一枚、裏返して手元へ置いた。
まずは海岸線からだ。ところが筆は長い線に向いていない。途中で太くなって、思っていたより内側へ入ってしまった。引き直して、そのままにする。
東へ行くと、海に大きく突き出しているところがある。伊豆半島だ。
ただ、この時代でも伊豆半島と呼ぶのかは分からない。形だけ描いて、名前は書かなかった。
富士山は分かる。毎日見ている。だいたいこの辺だ、と三角を一つ置いた。
その西を流れているのが富士川。もとのところでも同じ名前だった。流れは違うかもしれないが、場所が大きく外れていることはないはずだ。
川の東に水口、北の方へ大宮と書き入れる。
川を越えて西へ行くと蒲原がある。その先が由比で、山と海の迫る道を抜けて、さらに西へ行けば駿府だ。何度も歩いた道だから、順番は確かだった。ただ、どれも近すぎるところへ置いてしまった気がする。
駿府と書いて、そこから西へ筆を動かした。
駿府の西には安倍川がある。その先が大井川。海岸が南へ張り出しているところが御前崎で、そこから西へ行けば天竜川、その先に浜名湖がある。もっと西は三河湾で、岡崎はその少し内陸だったはずだ。
ここまでは分かる。静岡の地図なら、何度も見ている。
川を三本と、南へ出た岬と、湖を一つ描いた。名前は書かない。この時代も同じ呼び方なのかを、確かめていない。
岡崎だけは書いた。だいたいこの辺、という置き方だ。
懸川は掛川だから、大井川の西で、天竜川よりは手前になる。そこへもう一つ書き足す。
引馬は、たぶん浜松だと千代が言っていた。それなら天竜川と浜名湖のあいだだ。ただ、千代も「たぶん」と言っていた。
筆を止めて、そのままにした。
見付と、吉田と、牛久保。どれも名前は読めるのに、どこへ置けばいいのかが分からない。
少し離して見た。海の線と、山が一つ。川が四本に、岬と湖。地名は七つ。
これだけでは、紙がどこから来てどこへ行くのかまでは分からない。
千代なら、もう少し覚えているかもしれない。
紙を折って、寝起きしている隅へ持っていった。
形は西まで描けた。それでも、見付や吉田や牛久保をどこに置けばいいのかは分からなかった。




