09.アドリア海の月(1)
「一人しかいない。」
カイラは気づいていた。
◇
「父さん、これあげるわ。」
数か月前、アコーリスでのこと。
いつものようにリオちゃんと飲んでいたら、珍しくペタルさんが店に入って来た。どうやらリオちゃんが呼んだみたい。仕事の帰りに寄って、って。
「今日、誕生日でしょ?誕生日プレゼントよ。」
リオちゃんが父親のペタルさんに渡したのは、翻訳機。
「まだ持ってなかったでしょ?これあると便利よ。」
「おお、これは嬉しいな。ありがとうラドミラ。」
「あと、これもね。」
そう言ってリオちゃんがもう一つペタルさんに渡したのが、小さな悪魔のぬいぐるみがついたキーホルダー。
「かわいいでしょ?」
「自分で認めるのね(笑)。」
「マスターうるさいわよ。」
「ありがとうラドミラ、嬉しいよ。」
◇
その時、カウンターにはお客さんが他に三人いた。
この会話は、その三人全員に聞こえてたと思うけど、でも、ペタルさんに渡した「悪魔のキーホルダー」が見えるくらい近くに居たのは一人だけ。会話だけ聞いてたら、キーホルダーが「悪魔」だってことは分からないはず。
ペタルさんが悪魔のぬいぐるみの付いたキーホルダーを持っていること、それがリオちゃんからのプレゼントだということを知っているのは、私とマスターの他には、この一人だけのはず。
もちろんその時は、まだ「ネロ」が店に現れる前。だから、誰かがあいつに「悪魔のキーホルダー」を渡して、それがペタルさんの持ち物だったこと、リオちゃんからのプレゼントだったことを教えたことになる。
その「悪魔のキーホルダー」を見た「誰か」が、この間店にいた。「ネロ」が花代を取りに来て、電子タバコにつけたそのぬいぐるみが、リオちゃんに見えるような位置にわざと立ってマスターとしゃべってた時よ。
多分、そいつが本物の「ネロ」。
電子タバコのあいつが、少しおどおどした様子だったのは、多分目の前に、自分のボスの本物の「ネロ」がいたから。
◇
だとすれば、ペタルさんを撃った犯人は、そいつのはずよ。
そうでなければ、カバンに着けた「悪魔のキーホルダー」に気づいて、咄嗟にそれをカバンから外して持っていこうとは思いつかないはず。
でも、証拠がない。
このことは、高木巡査部長には昨日伝えた。「調べてみる」とは言ってくれたけど、会の世話役のリオちゃんまで襲撃して、「黒松の会」をおとなしくさせる、っていう目標はほぼ達成できそうだから、もう襲撃作戦はこれで終了でしょうね。そうなると今後簡単にはしっぽを出してくれないだろう。
警察は多分真面目に調べてくれるだろうけど、逮捕できるだけの証拠が出てくる可能性は低いだろう。
でも、このままだと夜の新宿はあいつに牛耳られてしまう。「アコーリス」のマスターも花代を払うことにしたみたい。悔しそうだったけど。
どうしたらいい?
どうしたらあいつを懲らしめられる?
◇
「カイラちゃん、今日はあんまり飲まないのね。」
「うん、なんかね。やっぱリオちゃんいないと調子出ないわ。」
「そうか。そういえばあの子の怪我の様子はどうなの?」
「だいぶ良くなったみたい。もうすぐ退院できるって聞いたわ。」
「そう、良かった。」
「マスター、マリンディライトをお願い。」
◇
「ちょっとトイレ行ってくるわ。」
「行ってらっしゃい、気を付けて。」
「なにそれ(笑)」
トイレでの用事が済んで、立ち上がった時。
壁の隙間に、何か小さく折りたたんだ紙が差し込まれているのに気付いた。
つい好奇心にかられて、それを取り出してしまった。
何やってんのよ。
でも、その紙を開いた時、それは驚きに変わった。
書かれていたのは、クロアチア語だったから。
その一行目には、こう書かれていたの。
「翼ある者へ」
その筆跡には、見覚えがあった。




