10.アドリア海の月(2)
「アンテ様の筆跡だわ。」
◇
その紙に書かれた文字の癖は、明らかに見覚えがあった。かつてラドミラの恋人だった、そして今はラドミラの魂の一部となったその人。クロアチア軍の悪魔討伐を事前に知らせてくれた、村人達の命の恩人、アンテ様のもので間違いなかった。
「………何が書いてあるの?」
読んでみた。
そこに書かれていたのは、「アコーリス」のトイレから、900年前のクロアチアの有翼人の村の井戸小屋へと帰る方法。こんな内容だった。
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・井戸のある地を流れる水脈の力の関係で、ひとりが時空を渡ることは二度までしか出来ない。
・時空を渡るには、有翼人の村の井戸小屋の井戸水が必要である。
・渡ることのできる時間の長さは、使う井戸水の量で決まるため、正確に量を量ること。
・井戸から時空を渡った者は、あと一度だけ時空を渡って元の場所に戻ることができる。
・渡った時刻の村へ戻るのは危険だが、水の量の調節でそれより過去か未来へ行くことは出来る。
・戻る必要など生じないことを願うが、万が一必要になった時は、ここに記した方法で戻れる。
・井戸水は、アコーリスのマスターが冷凍庫に保管してくれている。
・あなた達有翼人は、この地で幸せにならねばならない。戻らずに済むことを切に願う。
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そうか。皆がバラバラのタイミングでここへ来たのは、使った水の量に誤差があったからなんだ。私はその時もう転移して村からいなくなってたからわからないけど、村人総出で転移した時は、多分村長が「この桶のこの辺まで水を入れる」みたいな感じで水を量って、次々に送り出したんじゃないかしら。時間がなかったから。だから結構な誤差が生じたのね。
アコーリスのトイレは男女兼用だから、アンテ様がこのメモを残したのは、きっとあの時。最初の晩に、「駄目元で試してみる?」って言って、ひとりずつ順番にトイレに入ってみた時。そう、前作「オカマバ-『アコーリス』へようこそ」第三話参照よ。
ペタル村長が死んでしまった今となっては、アンテ様が村長から教わったことを書き留めたこの紙だけが、転移の方法を記した唯一のもの。見つけて良かった。
まあ、誰も900年前のクロアチアに帰りたいとは思わないけどね。
でも待って。
これって別の使い方があるんじゃないかしら。
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その翌日。
「マスター。」
「何?」
「私がクロアチアから転移してきた日に持ってきた井戸水、まだ取ってある?」
「…………あるわ。」
マスター、店の奥からペットボトルに小分けして保存していた井戸水を持ってきてくれた。
全部で4リットルくらいかしら。うん、量的には十分ね。
「これも必要でしょ?」
マスターが渡してくれたのは、アンテ様が置いていったという皮袋。
「これに一杯まで入れると900年分。あれから三年経ってるから、その分を足せば悪魔討伐前のクロアチアに戻れるわ。一年分がどれくらいになるかは、一度重さを量って計算してあるから。」
マスターが計算したメモを渡してくれた。
そうか、マスターもアンテ様からやり方を教わってたのね。
「…………帰るのね。」
「私一人じゃないけどね。」
「どういうこと?」
「あいつを道連れにして、クロアチアに捨てて来る。」
「あいつって?」
「本物のネロ。この間正体がわかったの。」
「………………!!」
「大丈夫。終わったらすぐ戻ってくるから。」
「そんな簡単にいくの?」
不安そうな顔をするマスターに、私は言ってやった。
「平気よ。私達はこう見えて力は強いんだから。悪魔みたいにね。」
◇
さあ、あとはやるだけよ。




