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第9話 IceView タックルADともう一つの採点システム

 尾堂は足元でうずくまる男を怒鳴ってから周りの人の気配に気がついた。

 数人が怪訝そうにこちらの様子を窺っている。

 必死に土下座する男に、容赦なく怒鳴りつける男。

 社会的に見て最悪だ。

 尾堂は素早く辺りを見回した。

 すぐに場所を移さなくてはならない。

「立て、移動するぞ」

 杖を頼りに少し屈み、尾堂は男に囁いた、

 弾かれたように再び顔を上げた男は頷いて、歩き始めた彼の背中に大人しくついて来た。

 尾堂は背後をしおれた様子の男を振り向いてちらり、と見た。

 オリンピックの関係者スペース、また記者会見の場に特に咎められることもなくいた人物だ。

 とりあえず身元は確かだろう。

 最悪、通報しようと決めて尾堂は会社の建物内に入った。

 広く、天井の高いエントランスホールににとりあえず連れ込むと、中央受付の社員がなんだ、と言いたげにこちらを見てくる。。

 尾堂は男を適当な商談用のテーブルに座らせ、自分もその向かいに座った

「それで? わたしに何かご用がおありでしょうか?」

 男は椅子に腰掛けたまま、背筋をぴしりと伸ばして尾堂を真っ直ぐ見つめた、

「先日のオリンピックでのことを改めて謝罪したいと思い参りました!

 わたくし、JTNテレビアシスタントディレクターの勝永裕哉と申します。

 このたびは……」

 尾堂は大きく溜め息をついて片手で前髪を掻き上げた。

「いや、それよりまず、今日のことを謝罪いただきたいですね。

 なんですか、さっきのは」

「えっさっき……と言いますと」

 刺々しい口調で勝永に詰め寄ると、彼は虚を突かれたような顔をした。

 尾堂は再び、大きく息を吐いた。

「すごい勢いでこちらに突進してきてませんでしたか?

 驚きましたよ、危うくぶつかるところだった」

 そう言い捨てると、彼はぽかんと口を開け、すぐに勢いよく尾堂に深く頭を下げた。

「ああ、すみません! やっと見つけたので焦ってしまって……。

 またタックルしてしまった……」

「タックル?」 

 予想外の言葉に眉間に皺を寄せると、勝永はどこか恥ずかしそうにぼそぼそと言った。

「あ、わたくし、学生のころ、ずっとラグビーをやっていまして……」

 尾堂は妙に納得した。

 なるほど。確かに全身に筋肉のついた良い体格をしている。

 とは言っても、彼自身としてはラグビーのことはフィギュアとは完全に畑が違うので、まるでよく知らない。

 屈強な大勢の男同士がぶつかり、ボールを奪い合う球技である、というくらいの知識しかない。

 尾堂は投げやりに言った

「なるほど。タックルは得意なわけですね」

 軽い皮肉のつもりで言ったそれが通じたのか、申しわけなさそうに彼は再度深く頭をさげた

 行動はともかく、この男は本気で尾堂に対して申し訳なく思っているらしい

 そもそもこの男、せいぜい25、6歳程度だろう

 10歳近く年下の相手にいつまでも縮こまっていられるのも居心地が悪い。

 尾堂はこれでも年下や後輩への面倒見は良いつもりなのだ。

 そもそもTrace-Σ自体が後輩たちへの貢献のようなものであるのだし。

「オリンピックでのことも含めて、謝罪は受け取りました。

 こちらこそ怒鳴ってしまい申し訳ありませんでした。ですので」

 もうお引き取りください、と言いかけたのを勝永は遮った。

「あ! 敬語なんて使わないでください!

 楽に話してください!

 おれ、すごく歳下なんで!

 尾堂さん、フィギュアスケートの元世界王者で、今は大企業の幹部でらして。

 すごい年長者で経験のある偉い……」

「そんなにおれの年齢擦ることないだろ」

「なんだお前、若者いじめてんじゃねえぞ?」

 聞き慣れた声に振り向くと、両手にファーストフードの紙袋を一杯にかかえたデリクがやってくるのがわかった。

「食う?フライドチキン」

「いらない。太る」

「お前はもうちょい食え。

 良質なタンパク質と適度な脂質だ。

 トレーニング食だよ」

「脂質は摂取目安量オーバーしてるだろ」

 やれやれ、とデリクは肉で分厚い肩を竦めた。

「で? 事務のねーちゃんが泣きついてきたぞ。

 いつも外面の良いお前が外で人怒鳴ってたってな」

 ちょうどその現場にその事務員は居合わせていたらしい。

 最悪のニアミスである。

 尾堂はデリクに雑に片手を振った。

「ちょっとトラブルがあったけど大丈夫だ。

 今、和解した。もう帰ってもらうところだ。

 じゃ、勝永さん、今日はわざわざご足労いただいてありがとうございました。

 お送りしますので一緒に……」

「あっ、いやっ、その……!

 尾堂さん、うちの、JTNテレビ局のIceView(アイスビュー)ってご存じではないですか⁈

 ブライアン・ライルズ選手の4回転アクセル二本認定時の採点システムの映像です!

 データのコピーをおもちしました!」

 焦りから、元気一杯の勝永の言葉に尾堂はオリンピックからの帰宅後に自宅で見たブライアンのフリーを思い出した。

 彼が自分自身の眼で見て、確かにセカンドジャンプの4回転アクセルが成立していると確信したあの映像。

「IceView……」

「……って何だ?」

 眼を瞠る尾堂を見て、デリクは太い首を傾げた。



「……で、どうだ? お前から見て。

 これ、成立してんの? セカンド4A」

 薄暗い解析室の一角。

 三人は大画面のモニターに表示された映像を見ていた。

「どう見ても成立してるだろう。

 しかも、スロー再生とコマ送り、ズーム、補助線の動きで誰が見てもわかるように加工されている。

 まあ、計算されてる数値は怪しいが」

「ふーん。でもこれは厳密な判定には使えないな。 綺麗すぎる。

 あくまでも観客に分かりやすく、美しく、ダイナミックな映像をお楽しみいただくための技術だな。

 いや、テレビ局の技術だからそれは当然なんだが」

 広いデスクにだらしなく頬杖をついて論評するデリクを伺うように見て勝永が言った。

「Trace-Σ(トレースシグマ)にはない技術なんですか?」

 デリクはふんと鼻をならした。

「いや、中にすでに入ってる」

「入ってる……んですか?」

「正確には、IceViewの前身である技術が、参考データとして入ってる。

 もともとは別のデータ会社が独自に作った技術だな。

 それが当時のISUに採用されてAI判定以前の映像判定の一部になった。

 Σに入っているのはそれだ。

 お前の局のIceViewはそのデータ会社の権利の一部を買い取ってテレビ局の技術でさらに発展させたものだな。

 見せる、魅せるための映像に進化させたってことだ」

 デリクはほら、とパソコンで検索してその元となる技術と、テレビ局のIceViewの紹介ページを開いた。

「……じゃ、これは役に立つのか? 

 どうなんだ?」

 尾堂が訊くと、デリクは椅子にふんぞり返った体勢で腕を組んで答えた。

「この綺麗な完成映像は役に立たないな。

 だが、もしこれの裏側が全部見られるとしたら、システムの改修にかなり参考になる可能性がある。

 Σの弱点も見つけられるかもしれない」

「……あの、この映像、おれにも4回転半回転分、ちゃんと回って着地しているように見えます

 それだけじゃ駄目なんですか?

 うちのIceViewではOKなのでそれを根拠にして次の大会では認定できるようにする、とか」

 勝永が二人の会話に控えめに口を挟むと、デリクが鼻で笑った。

「いいか? もう判定の仕組みが変わったんだよ。 Σが正しいか、じゃなくて、みんながΣを基準に現状の運用をしてる。

 もう大きな大会ではΣが法律になってる。

今さら都合の良い証拠だけをよそから持ってきて判決をひっくり返すわけにはいかない。

 もしやるならそれが通るように仕組みそのものを全部変えなきゃならん」

 それを聞いても、まだ何か言いたげな勝永に尾堂が落ち着いて言った。

「競技の判定、ジャッジ。それを行う人間の眼には限界がある。

 過去、判定する人の眼から見て、成立していない、と取られたら容赦なく減点された。

 本人やコーチがちゃんとできている、納得がいかない、と思ってもだ。

 それがTrace-Σの導入によって大幅に改善された、という事実がまずある。

 そして、Trace-Σによってだめだ、成立していない。 

 そう判定されたこともまたある。

 だから個別の事案でこれは特別、これは例外、なんて毎回やっていたら正しい判定ってなんなんだ? てなるだろ。

 で、ちょこちょこそんなことやっていたら選手が困惑して疲弊する、という問題があるんだよ」

 一瞬、なるほど理解した、という顔をした勝永だったが、すぐに渋い表情に変わった。

「じゃあ、どうするんですか? ブライアン選手は認めてもらえないんですか?」

「それはもちろん、これからTrace-Σの改修で……」

 そこで尾堂のスマホの着信音が鳴り響いた。

「おまえ、話してるといつも良いところで電話くるよな」

 デリクの素朴な突っ込みに尾堂はポケットからスマホを取り出しつつ同意した。

「そんな気がしてるよ。誰……うわ、忘れてた」

 

古谷野知美


 先程、大庭から連絡するように、といわれた衣装デザイナーの女性だった。

「もしもし……尾堂です」

 覚悟を決めて電話口に話しかけた尾堂に、明るい声が返ってきた。

『連絡してって言ったでしょ?

 いつまで待たせる気?』

「すみません、少し今立て込んでて」

『ふーん。今は電話して大丈夫なの?』

 一応気遣ってくれているらしい彼女に尾堂は頷いた。

「とりあえず、はい。

 それで、おれに何かご用があったでしょうか」

『うちのアトリエ来て。

 なるべく早めに。

 できれば夕方になる前に』

 なんか数時間前にもこういうことあったな……。

 尾堂はスマホを耳に押し当てたまま、遠い目をした。

 気持ちを切り替えて返答する。

「すみません、行けるんですけど、明日以降とかじゃダメですか?

 今日はちょっと無理そうです」

「そんなに急ぎの用事があるの?」

 変わらず明朗な声に尾堂は説明した。

「急ぎというか、打ち合わせやらなんやらで会社に詰めてまして。

 今日はもう外出しないつもりなので」

『ふーん……。

 じゃ、今来て』

 幻聴かな?

 尾堂が一瞬言葉を失っていると、電話口から強い調子の声が聞こえた。

『ろくにアトリエから出られないのはこっちも似たようなものよ。

 本格的に作業に入る前に頭クリアにしておきたいの。

 で、大事な話、というか用事があるからすぐ来てね。

 多分、あなたの仕事に無関係じゃないし』

「…………はい、すぐ向かいます」

 負けた。

 敗北感に打ちひしがれつつ尾堂は電話を切った。

 電話をしている彼を見つめていた二人に言う。

「……すみません、勝永さん。

 急用ができたんでおれは今日はここまでで。

 デリク、またあとで話そう」

「お、あの衣装魔女のとこ行くのか。

 ならいつもの卵サンド買ってきてくれよ。

 5個な! 特製辛子マヨソースももらってきてくれ」

 一気にご機嫌になったデリクに尾堂は呆れつつも了承した。

「はいはい」


 尾堂は薄暗い解析室の扉を開け、廊下に出た。

 照明のまぶしさに気がつくのが遅れたが、彼の背後にぴったりと勝永が着いてきていた。

 尾堂は軽く振り向いて彼に声をかけた。

「お帰りですか、勝永さん」

 勝永は張り切った様子で言った。

「タメ口でお願いします!

 尾堂さんに同行します! お手伝いします!」

 尾堂は眉を顰めた。

「……いや、なんで?

 多分パシリ……いや、恐らく純粋な仕事じゃない呼び出しなんだが。

 むしろ、手伝ってくれるつもりならIceViewについてデリクと話してくれたほうが正直助かる」

 隣に並んだ勝永は何故か切ない顔をしていた。

「邪魔だから出てけって言われました……。

 尾堂さんについてけって」

 尾堂は呆れた。

「ばっさりすぎるだろあいつ。

 というか、なんでおれに押し付けるんだよ」

「あ、なんかデリクさん? から伝言で、

お前……おれを上手く使え、てことでした!

どういう意味ですかね?」

 デリクにも何か思惑があるようだ。

 とりあえず、この男を連れて行け、というリクエストらしい。

「……そうか。

 まあ、いいか。

 ちょっと待っててください」

 尾堂はエントランスホールまで出ると、タクシーアプリを開いて情報を確認し始めた。

 空車位置情報、ゼロ。

「……うわ、空車ないな、どうしようかな」

 古谷野のアトリエまでバスで行けなくもないが、直行便がない。

 乗り継いで行くのは面倒だ。

 仕方ないな、となりかけた尾堂の手元を覗き込んで勝永が高く手を上げた。

「あ、おれ車で来てます!

 運転しますよ!

 どこでもお連れします!」

 尾堂は無言で勝永を見た。

 こいつ、意外と役に立つかもしれない。



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