第10話 手紙 カリスマ衣装デザイナーと接待交際費(申請予定)
勝永が運転する車で尾堂は古谷野知美のアトリエに到着した。
顔見知りの従業員に案内されて中に進むと、華やかな色とりどりの衣装を着せられたトルソーが並ぶ部屋にやって来た。
「うわ、すごい。これみんなフィギュアの衣装? 光ってる」
物珍しそうに勝永は雑多な部屋の中を見回した。 尾堂にとっては現役時代からの慣れた空間だ。
恐らく古谷野がこもっているであろう奥にある小部屋に向かって彼は慎重に杖を手に部屋の中を進む。
すぐ隣にある大きな作業台には布や型紙、採寸道具が尾堂にはよくわからない規則性をもって置かれている。
そこに、エプロンを身につけた小谷野が早足で姿を現した。
「ごめんねー、呼びつけて。
あ、冷えてる? 足痛いでしょ。
エアコン温度上げるね。
それに疲れてるね ここ数日あんまり寝てない感じかな。
座って! 今膝掛け持ってくる」
尾堂は苦笑いを浮かべた。
「いや、そんな一瞬で見抜かれると怖いです」
言われた通りに近くの椅子に腰を降ろした尾堂と、膝掛けを手に近づいてくる古谷野を交互に見た勝永が不思議そうに言った。
「なんでそんなの見ただけでわかるんですか?」
小谷野は尾堂の足に丁寧に膝掛けをかけながら勝永を振り返った。
「え? だって右肩落ちてるし、怪我した足意識してるから。
あ、あなたもその辺の椅子座ってー」
(怖い……)
尾堂は足を擦りながらしみじみと思った。
「尾堂さん!」
何故か勝永が張り切ったような声で呼びかけてきた。
「なんだよ」
「寒さで痛いならほぐさないと! ここに……」
勝永は適当な椅子を引きずってきて尾堂の隣に並べると、それに腰掛けて自分の膝を叩いた。
「おれの膝に足おいてください!
マッサージするんで!」
「いらん」
尾堂が即答すると、勝永は不可解だ、と言いたげに口をぽかんと開けた。
「なんで⁈」
尾堂はきしきしと痛む足を膝掛けで包み込んだ。
「お前の握力が信用できない。
お前も怖い」
「いや、得意ですよ? 慣れてます!
ラグビーで仕込まれました!
ゴリゴリいけます!」
全力でアピールしてくる勝永に尾堂は座ったまま軽く身を引いた。
「潰される……。
つか怪我人だって言ってんだろ」
「湯たんぽ作って持ってくるね」
軽く揉める二人を見た小谷野はにこにこと微笑んで糸くずで汚れたエプロンを外した。
「なんでそんなのあるんですか……」
「選手用。
そういえば貸したことなかったね」
尾堂にそう返すと、古谷野は廊下の向こうに消えていった。
「……はあ」
溜め息をつく尾堂に勝永は興味深そうに訊いた。
「あの人すごいですね。
どんな人なんですか?」
尾堂は椅子の背もたれに寄りかかって力を抜き、ゆっくり足を揉んで筋肉の強ばりをほぐしていく。
「フィギュアの衣装デザイナーだって言っただろ。 それの実質的なトップの人だよ」
言われて勝永は改めて周りの衣装を着せられたトルソーを見回した。
「すごいフリフリでキラキラしてますね。
よく考えたら、こんな格好でよく滑ったりジャンプ何本も跳びますよね……。
というか、パーツポロポロ飛んでいきそう」
何を今さら、と尾堂は眉を顰めた。
「試合中にパーツを落としたら減点対象になる。
だから絶対に外れないのが前提だ。
もし怪しい箇所があれば即修理だな。
ついでに、どんなに動いても壊れない、脱げない仕様になってる」
「意外と機能的なんですね。
女子選手なんか、スカートが短いだけのドレス? なのかと思ってました」
「当たり前だ。
優雅なドレスじゃない、競技機材だ。
実際のところ、舞台衣装兼高機能なスポーツウェアってところだな。
それを一人一人の個性に合わせてフルオーダーメイドしてる。
あの人の場合はな」
勝永は感心したように大きく頷いた。
「みんなそんな衣装にこだわりがあるんですね」
彼は本当にフィギュアスケート関係の知識が薄いらしい。
尾堂はどこか興味深いような気持ちで勝永をじっと見た。
「衣装で点はつかない。
でも人間だから試合で似合う衣装を着た選手を見たら印象はかなり変動する」
「あ、そりゃそうですよね。
というか、衣装は点数なしだってことも今初めて知りました」
「そこからかお前。関わるなら少しは勉強してこい。
……それはともかく、採点でも演技構成点の分野ではまだ人間も関わっている。
気に入っている衣装とそうでもないやつでは本人のメンタルも変わるしな。
だから、ある程度成績を出してる選手は衣装にかなり気を遣う。
それを全部受け止めて最高のものをつくるのがあの人だ」
「ええ……」
「つまり彼女は、高い技術とセンスを備えた人間観察の化け物だ」
その時、小谷野がタオルでくるまれた荷物と飲み物を手に部屋に戻ってきた。
「化け物はないでしょ」
これ、と彼女はタオルで巻かれた湯たんぽを差し出したのを受け取り、膝の下の関節部分に押し当てた。
古谷野は近くの椅子を引きずって来て二人の前に座った。
500mlのお茶のペットボトルを手渡し、話し始めた。
「じゃ、改めまして。古谷野知美です。
衣装デザイナーをしています」
「あ、勝永裕哉と言います!
JTNテレビ局のアシスタントディレクターをしております!
今日はお会いできて光栄です!」
古谷野は柔らかく笑った。
「勝永さんね。
こちらこそ、よろしくね。
あなたは将来はディレクター志望なの?」
「はい! 日々こき使われております」
「そう。頑張って。
で、あなたは尾堂くんに差し向けられた刺客だったりする?」
「えっ」
勝永が笑顔のまま固まった。
そんな彼を見て尾堂は鼻で笑った。
「言っただろ。人間観察の化け物だって」
「あ……、いや……」
あからさまに動揺する勝永を見て、古谷野は興味深そうな顔をした。
「尾堂くんは全部知ってるの?
ちなみに、わたしは当てずっぽうだけど」
「全部なんて知りませんよ。
興味もない。
この男は」
尾堂は隣の勝永を握った手の親指で示した。
「いまのおれが確実に食いつく情報を持って、変な感じの登場をしてきました。
そういう妙に都合のいい奴は大抵、何か裏があるんですよ」
「あなた昔からそういうトラブルあったものね。
しつこいマスコミとか、重すぎるファンとか」
「そうですね。
だから多少慣れてます。
まあ、こいつ自体はたまに物理攻撃してくる以外には害がなさそうだし、意外と役に立つことがわかったんで別にいいかなと」
「申し訳ありませんでした!!」
「土下座したら追い出すからな」
「不用意に動かないで! 型紙の一つでもどこか飛ばしたら許さないからね」
勢いよく立ち上がりかけた勝永を尾堂と古谷野の二人が鋭く制した。
中腰のまま静止し、情けない表情の勝永に尾堂は皮肉に笑った。
「で、何か言っておきたいことがあるなら聞いてやるが?」
勝永は椅子に座り直すと、神妙な様子で深く頭を下げた。
「すみません、尾堂さん。
実は、AI判定が世界選手権でどうなるかの顛末を探って来るように言われてました。
成功しても失敗しても数字が取れるからって。
それで尾堂さんに接触するようにと。
……騙そうとは思っていませんでした。
でも、黙っていて申し訳ありませんでした」
「なるほど。
意外と普通の理由だったな。
覚悟しておけ、あとで貸しは返してもらうからな」
薄く笑う尾堂と恐縮しきりの勝永を眺めて、古谷野は不思議そうな顔をしていた。
「……ていうか、物理攻撃ってなに?
まあいいや。
お互い、利害がまとまったみたいね。
あ、そういえば、二人はさっきなんの話してたの? 人のこと化け物とか言って」
「ああ、フィギュアの衣装デザインについて話してたんですよ。こいつが衣装について本気で何も知らないみたいだったので。
化け物呼ばわりはすみません。
小谷野さんの卓越した観察眼の比喩としてその言い方をしました」
「ふーん。褒め言葉よね?」
「もちろんです」
「なら許す。で、勝永さん?」
「は、はい!」
「そんな縮こまるもんじゃないの。
尾堂くん、今回は貸しにしてくれたでしょ。
それで?なにか衣装について面白いって思ったことはあった?」
勝永は背筋を伸ばして椅子に座り直した。
「ええと、正直そんなに衣装が重要だとは思ってなかったです。
意外と機能的なんだってことにも驚きました」
「そうなの」
小谷野は手を伸ばして一番近くのトルソーの衣装に触れた。
「衣装は綺麗だけど、ただ飾り立ててるだけじゃないの。
それを着て全力で演技することを想定してる。
例えば肩の可動域の広さに腕の抜き方、大きく身体を動かしたときの布の抵抗も考慮してるの。
回転を邪魔しない軽さも、着氷後の流れで美しく見えるか、全ての条件をクリアしてなくちゃならない」
勝永は大きく首を捻って言葉を探すようにした。
「なんだろ……。
ゲームとかラノベの伝説装備の防具職人みたいな感じですかね。
綺麗な衣装なのに特殊効果バフ盛りつきみたいな?」
尾堂は軽くため息をついた。
「もうそれでいいよ、お前は」
「違います?
あっ、男子のやつですか? あれ。
パッと見シンプルなのにすごいギラギラしてる」
勝永は少し離れた場所に置いてある黒いスラックスを履いたトルソーを指差した。
小谷野は立ち上がり、そのトルソーの元まで行くとまだ完全に縫い合わせされていない前身頃を丁寧に撫でた。
「これはブライアンの世界選手権用の衣装。
まだ途中だけど。
大急ぎで作ってるの」
彼女はすぐ横の作業台に視線を落とした。
その上には完成イメージだろうスケッチや布見本に採寸表、ラインストーンが整然と置かれている。
勝永はそれらを興味深げに眺めて言った。
「ブライアン選手の衣装!
それもすごい効果持ちなんですね!」
小谷野は頬に手を当てて首を傾げ、軽く唸った。
「色々試行錯誤はしたし、自信もあるけど……。
正直、私もこれで正解なのかよくわかんない。
4回転アクセル二本跳ぶ前提の衣装ってなに?」
「いいんですか、制作途中を見せても。
本人が世界選手権でお披露目したいのでは?」
尾堂がそう訊くと、小谷野は笑って頷いた。
「見せても良いって言ってたから。
つい数日前にね、本人がここで」
数日前、との言葉に尾堂が眉を顰めた。
「来たんですか?
こんなぎりぎりの時期に」
「思うところがあったみたい。
元から次のシーズンの注文はあったんだけど、それをワールド用にしたいって。
本来なら断るんだけど、どうしてもって頼まれたから今回だけね」
勝永もタイムスケジュールを思い出したらしく、驚いた顔をした。
「もう世界選手権まで一ヶ月ないんでしたっけ。
練習漬けなんじゃないですか? きっと。
なのにカナダから日本まではるばる来たんですか? わざわざ」
小谷野がブライアンの衣装から離れ、窓際のレターケースを漁りはじめた。
「採寸のためにね。
ブライアンは20歳。
若い男子はすぐ身体変わるから。
肩も首も背中も腕も腰も足首も、去年と同じサイズなんてほとんどない。
だから丁寧な採寸が必須なの。
それに、今回のは4A二本やるって宣言しちゃってたから、今までの衣装よりもさらに微調整と打ち合わせが必要だったし」
何かを探し当てた小谷野はそれを片手に椅子に座ったままの尾堂の前までやってきた。
シンプルな白い封筒を彼に差し出す。
「で、これがブライアンからあなたにあてた手紙」
尾堂は虚を突かれて手紙と小谷野の顔を交互に見つめた。
「は……。おれに?」
「ええ。
彼、小さな時からあなたのファンだから」
頷く彼女の手から手紙を受け取り、丁寧に施された封を切って中の便箋を開いた。
ぎこちない手書きの日本語の文章が並んでいる。
『尾堂稜さんへ
オリンピックではありがとうございました。
ちゃんとお話できなかったので、手紙を書きます。
ぼくはTrace-Σを恨んでいません。
Trace-Σにここまで連れてきてもらったぼくが、彼を迷わせてしまいました。
あのジャンプは、もっとちゃんと跳べたと思っています。
世界選手権では、もう一度、同じジャンプを跳びます。
つぎは必ず、最高のものを見せます
Brian』
尾堂の隣から便箋を覗き込んだ勝永が感嘆するような声を上げた。
「ブライアン選手、日本語書けるのすごいですね!
漢字も上手い!」
「憧れの選手が日本人だったから勉強したんですって」
小谷野がなんでもないことのようにそう言った。
「…………」
尾堂が便箋の文字を見つめたまま黙りこくっているのを見つめたまま、小谷野は念を押した。
「じゃ、こっちの用事はそれだけ。
確かに渡したからね」
尾堂は頷き、借りていた湯たんぽを小谷野に礼とともに差し出した。
杖を手に椅子からゆっくり席を立つ尾堂に、小谷野は労わるように言う。
「大変なんだろうけど、頑張ってね。
なにかできることあったら、協力する」
「……ありがとうございます」
返事の代わりに笑顔を見せた小谷野はあ、と手を叩いた。
「ねえ勝永さん!
せっかくだからこの人の現役時代の衣装見る?
スパンコールギラギラでスケスケでフリフリの。 彼が15歳の時のやつ。
もちろんわたしが作ったんだけど」
「え、見たいです!」
勝永が元気よく手を上げると、小谷野は何故か拳を握って熱く語り始めた。
「当時すっっごく可愛かったの。
と言うか綺麗で。
細くて手足長くてお目々キラキラで。
いや、今は格好いいけどね!」
「やめろ。
やめてください。
本気でやめて。
もう行くぞ勝永!」
無駄に盛り上がる2人を全力で叩き潰し、尾堂はできる限り大股で玄関に向かって歩き出した。
「ええ〜?
あ、ありがとうございました!
参考になりました!」
「なんの参考だよ」
謎の感謝をする勝永に毒づきながら、小谷野に退去の挨拶をしてアトリエをあとにした。
「どこ行くんですか?」
すぐに勝永の車に乗り込まず、尾堂は通りを迷いのない足取りで進む。
その後ろから大人しくついてきていた勝永が不思議そうに訊いてきた。
尾堂は前を向いたまま答える。
「近くにデカいホテルがある。
割と高級なところだ。
そこのベーカリーで買い物する」
「高級ホテルのお店……って高いんじゃ?」
「高い。
だから経費で落とす」
「そうなんですか。
一体何を……」
話しているうちにすぐ近所にあったホテルの前に到着し、入口のスロープを進んで建物の中に入った。
ドアマンが丁寧に礼をするのに会釈を返し、尾堂は絨毯を踏んでホテルの奥にどんどん進んでいく。
ごくたまに訪れるホテル内の有名ベーカリーに到着すると、レジカウンター前のショーケースを確認し、店員に声をかけた。
「10個……いや、15個お願いします」
すぐ後ろにいた勝永が愕然としたような声を出した。
「いやたっか! 卵サンド一個で1500円⁈
え、あの人、デリクさん、のおやつをそんなに?
というか経費で⁈」
尾堂は冷静に返した。
「あいつの分は頼まれた分の5個。
あとは手土産だ。
手ぶらで押しかけられないだろ」
「押しかける?」
尾堂は振り向いた。
勝永は混乱しているようだった。
それに軽く笑い、尾堂は言い放った。
「もうなりふり構ってられるか。
お前が持ってきたんだろ、IceViewの映像。
もっと詳細なデータが欲しい。
お前の職場のテレビ局に行く。
──早速貸しを返してもらうぞ、勝永」
「ええ……⁈」




