第11話 テレビ局 卵サンド外交とシステム監査
JTNテレビ局の敷地内の駐車場に勝永が車を止めた。
尾堂は運転席に座ったままで電話をかけ始めた勝永を横目で見つつ、杖を手に助手席からゆっくりと降りた。
後部座席の扉を開けて最低限の荷物と、先程購入
した手土産の紙袋を引っ張り出した。
勝永はテレビ局内の上司に今さら連絡しているらしく、明るい大きな声でスマホに話しかけている。
「お疲れさまです!
すみませんプロデューサー、今から局に尾堂さんと一緒に行きます。
IceViewについて知りたいそうです。
なので色々、現場での対応お願いします!」
『はああ? お前なに言って、待て待て待て』
尾堂はテレビ局の建物に向かって歩き始めた。
「先に行くぞ、勝永」
「はい!
あ、じゃあお願いします!
正面玄関から行くんで!」
『え? 今ってまさかまじで今すぐ?
おいおいおいおい!』
尾堂は自動ドアを通ってテレビ局内に入った。
それなりに広いエントランスの少し先にある受付台に、オフィスウェアを着た若い女性が座って彼に視線を向けていた。
そこまで進むと、尾堂は彼女に話しかけられた。「いらっしゃいませ。
お名前を伺ってもよろしいですか? また、弊局の者とのアポはお取りでしょうか?」
「尾堂稜といいます。
アポは取ってないんですが、おたくのところのADさんが今繋ぎをつけてくれているので、この辺りで待たせてもらっても大丈夫ですか?」
受付係の女は尾堂を一瞬まじまじと見つめたのち、笑顔で言った。
「承知いたしました。
よろしければ奥の椅子にかけてお待ちください」
「ありがとうございます」
尾堂は壁際にいくつか並べられていた布張りの長椅子に腰を降ろした。
座った隣の座面に手に持ったホテルの紙袋を置き、壁に軽く背中を預けたところで入口の自動ドアが開いた。
勝永が外から走って入り、尾堂の姿を確認すると目の前まで早足でやって来た。
「上司に連絡しました。
何とかしてくれそうです」
「そうか。助かる」
軽い礼に笑顔で頷いた勝永はふと気になったのか彼に訊いてきた。
「尾堂さんて、うちの局に来たことあります?」
尾堂は一日中あちこちを移動してさすがに凝りを感じてきた背中を軽く伸ばしつつ記憶を辿った。
「……現役の時に何回かきたな。
試合後のインタビューだか何だかで。
あと、知り合いのアナウンサーは何人かいたはずだ」
「そうなんですね」
感心したように大きく頷いた勝永に、尾堂は軽く手を振って自分の隣に座れ、と合図をした。
軽く会釈しつつ大人しく彼の隣に腰掛けた勝永は不思議そうな顔を向けてきた。
「でも、なんでうちに来たんですか?
IceViewが見たいって、もう見たじゃないですか」
そういえばこいつには説明していなかったな、と気づいた。
尾堂は勝永に身体を向けた。
「見たな。放送用の編集済み完成映像を。
でも、おれがここまで見に来たのはその前の時点の詳細データだ。
デリクももっと裏側を見れたら参考になるって言ってただろ?
覚えてるか?」
勝永はしまった、というような表情になった。
「すみません、デリクさんが何言ってたのか忘れてました。
上司にそこまでは伝えてなかったです!
うわ、まずいですかね?」
尾堂は微かに笑みを浮かべて首を横に振った。
「それでいいんだ。
基本、外部には見せない前提のデータだろうからな。
断りづらいようにあえていきなり押しかけたんだよ」
「なんでそこまでして?
尾堂さんもIceViewでブライアン選手のセカンド4A、成立してるって思ったんですよね?」
尾堂は彼のその疑問に頷き、ある厳しい審判の女性からの言葉を思い浮かべた。
「そう思う、じゃ競技にならないんだよ。
Trace-Σ(トレースシグマ)は誤認した。
それはおそらく間違いない。
でも、だからといってIceViewが正しい、ということじゃない」
「そうですけど……」
「だからそもそもIceViewの解析ロジックが信用に足るか、その裏側の放送用に加工される以前のデータを見たい。
セカンド4Aが完全に成立。
回転、着氷が怪しい。
そもそも判定が困難。
どれに該当するのかをな」
勝永は理解しようと努力しているのか、強く眉を顰めて難しい顔をしている。
「裏側を見ればわかりますか?」
尾堂は顎に手を当てた。
考えを整理する。
「多分な。
もちろんおれはシステム関係の技術者じゃない。
でも、判断の材料、技の成立の決め手になった元映像を全部並べて見ればどんな品質のジャンプだったのかはさすがにわかる。
その上でブライアンのセカンド4Aが明らかに成立していればIceViewは現在一番正確な判定を出したシステム、ということになる。
……勝永、これはお前が持ってろ」
そろそろ誰か来てもおかしくない、と尾堂は隣に置いていた卵サンドの紙袋二つを掴んで勝永に差し出した。
「あ、はい」
彼が受け取って膝に置いたのを確認して尾堂は続けた。
「で、IceViewの編集前の生データを見せてもらう。
それが仮におれが目視で精査した時点ですでに怪しかったとする。
なら放送用映像で完璧に見せかけたIceView自体も信用ならないということになるだろ?
どんなものか自分の眼で見て、確実に確認するために来た。
IceViewそのものの真贋を見極めるためにな」
勝永はようやく理解した、というように表情を明るくした。
「ああ、そういうことだったんですね!」
「まあそうだな。
あとは、駄目元で頼んでみようか」
「頼む?」
尾堂の含みを持った言葉を勝永が反復した時、数人分の足音が聞こえた。
尾堂は杖を支えにゆっくりと腰を持ち上げた。
勝永も気づいたのか弾かれるように立ち上がった。
「大変お待たせしました!」
壮年以上の四人の男たちが早足で尾堂たちの元までやって来た。
「突然お邪魔して申し訳ありません」
軽く会釈する尾堂に彼らは少し焦る様子を見せた。
「いやいや、そんなことはないですから。
ささ、どうぞ、こちらへ」
中でも一番立場が上に見える白髪頭の男が尾堂を自分たちがやって来た廊下に向けて腕を丁寧に差し伸べた。
尾堂と、ついでに勝永はしばらく廊下を歩いた先にある応接室に通された。
大きな応接セットのソファに勝永以外の全員が座る。
そこでみなが自己紹介をした。
その場の出席者は尾堂と、その後ろに立った勝永。
彼らの正面にはJTNテレビ局の常務取締役とスポーツ統括が座り。
低いテーブルを囲む隣のソファにIceViewシステム責任者と、勝永の直属上司のプロデューサー、というメンバーがついた。
席にみながつくどさくさに紛れて焦った顔のプロデューサーが勝永にさりげなく接触しようとしていたが、成功する前に会談が始まった。
「突然押しかけてしまい、申し訳ありません。
お忙しい中対応していただきありがとうございます。
これ、差し入れです」
それぞれの名刺交換ののち、尾堂は勝永に預けていた高級卵サンド10個入りの紙袋を取り戻し、常務に丁寧に差し出した。
卵サンド5個入りの紙袋は引き続き勝永が手に提げている。
「いえいえ、いいんですよ。
お会いできて光栄です 。
あ、こりゃいいものを」
鷹揚に言葉を返した常務は紙袋の中を確認して表情を緩めた。
わずかに身を乗り出していた尾堂はソファに座り直して姿勢を正した。
「つい先ごろ閉幕したオリンピックではお互い関わることもありましたね。
テレビ局さんはまだまだ休む暇もないでしょう。 パラの本番はこれからですからね。
本当にお疲れ様です」
「いやいや。
うちはなんだかんだと言って例年恒例のことなんでね。
おたくさまはこう……色々大変でしたでしょう。 お察しします」
「そうですね。
実は、そのことでご相談がありまして、今日はお邪魔させて頂きました」
挨拶もそこそこに本題を切り出すと、勝永以外のテレビ局側の人々の強い視線が尾堂に集中した。
「……IceViewについて知りたい、とだけ伺いましたが、具体的にはどのようなことでしょう?
あ、こちらがIceViewの責任者の横井です」
常務が横のソファに手を差し伸べて紹介すると、控えめに座って待機していた男が尾堂に会釈をした。
尾堂もそれに会釈を返し、男たちを見回しながら口を開いた。
「うちのTrace-Σがブライアン・ライルズのフリースケーティングの点数の表示と計算をミスして修正、という騒ぎがあったことはご存じでしょう。
あのような事態が今後起こらないように現在、弊社では原因の究明とシステムの改善を行っております。
そして改修期限としては、本人がまた同じことをやると宣言した世界選手権までを見こんでいます」
横井はあからさまに唖然として、動揺したように呟いた。
「それは……大規模なシステムの改修としてはあまりに短すぎる期限ではないですか。
もう、残り3週間程度しかない」
尾堂は彼をじっと見つめた。
「はい。
ですが、さらに大きな問題もあります。
御社のIceViewにおける採点映像では、ブライアンの4A+4Aは成立しているように見えた。
そのことについてです」
尾堂の言葉に、常務とスポーツ統括が素早く視線を交わした。
代表したように常務が横井に向かって軽く顎をしゃくると彼は一瞬躊躇いをみせつつも、尾堂
を見つめてはっきりと言った。
「IceViewの技術が間違っていたとは思いません。 あれは、ブライアン・ライルズ選手の4A+4Aは、成立していた。
そう断言できます。
Trace-Σは、見落としていたのでは、と」
尾堂は黙ってそれを受け止め、強い視線を横井に向け、口を開いた。
「……でも、だからといってTrace-Σ提供側の立場としては、IceViewが絶対に正しいと言う前提で話を進めることはできません。
ですので、元データを確認したいんです」
尾堂は再び姿勢を正し、自分を見つめる彼らを見回して深く頭を下げた。
「オリンピックのブライアン・ライルズ選手のフリー演技を。
IceViewの放送用に編集、加工する前の元データを見せていただけないでしょうか。
どうか、よろしくお願いします」
「いや、すみませんちょっと、それは……。
外部の人に見せる前提ではそもそもないものですし」
常務やスポーツ統括が何か反応するより前に、横井が即座に強い拒否を示してきた。
尾堂は一瞬彼を見ると、すぐにお願いします、と再び深く頭を下げた。
「…………うーん」
この場で一番立場が上であろう常務は、難しい顔で腕を組んで唸った。
そして彼は、すぐ隣で同じような様子でいるスポーツ統括に声を潜めて呼びかけた。
「……ねえ、どうなの?」
彼らは尾堂を意識しながらも深刻に話し始めた。 その間、尾堂自身は黙って待機をしている。
彼の背後に立つ勝永は耳を澄ませ、完全に存在を忘れられたプロデューサーはソファに座ったまま死んだ眼をしていた。
スポーツ統括は早口で常務に答える。
「……いや、本来良くないんですけど。
完全にうちの企業機密、社外秘ですよ。
テレビ放送局としての資産でもありますから」
「……でもこんなすごい人に、わざわざ来てもらって頭下げさせて、手ぶらで帰すってのも。
……ほら、良いお土産もいただいちゃったし」
常務の意向を察したスポーツ統括は横井に小声で問い詰めた。
「IceView側としては、どうなの?
なんとかならない?」
上役二人の期待を押しつけられた横井は、物凄く不本意そうな顔をしつつ、重い口を開いた。
「……まあ、技術室内で軽く閲覧してもらうだけなら、なんとか。
それ以上の開示は駄目です」
常務は大きく頷くと、決然と言った。
「わかった。じゃ、それでいこう。
……じゃ、尾堂さん、ご所望のデータをお見せしますので、お手数ですが、また移動しましょう」
尾堂は彼らのやりとりは素知らぬ顔のまま、微笑んで頭を下げた。
「ありがとうございます」
「……何があったんですか?
ていうかあれ、尾堂くんじゃ」
「Trace-Σの、尾堂稜さんが例の4Aコンビネーションの元データを確認したいそうだ。
すぐに出せるか?」
「出せますけど、それってやっぱりAI判定は……」
「いいから。
詳しくはあとで話す。
準備してくれ」
応接室から技術室へ全員で移動した。
大量の機材やモニターが置かれている部屋の中には4人の技術者たちが作業をしていた。
何も知らない彼らに上司である横井が最低限の指示をしてデータ閲覧のための準備が手早く整えられていく。
尾堂ほか来訪者たちは適当にその場にあったオフィスチェアを借りて座らせてもらう。
やがて準備が完了すると、見やすくするためか電灯の灯りが落とされ、部屋は闇に包まれた。
「始めます」
横井の合図と共に、大量のモニターに様々な角度から撮影されたブライアンの姿が映し出された。 使用したフリースケーティングの音楽に合わせてブライアンが滑り始める。
別の小さなモニターには高速で計測される数値も同時に弾き出される。
確かに放送用に加工される前の、IceView解析画面に近いもののようだ。
全員で無言で映像を見つめる。
尾堂は何も言わず、視界全てにあるブライアンの動きを集中して眼で追う。
最後のジャンプに入る数秒前、尾堂が鋭い声で頼んだ。
「ここからスローでお願いできますか」
技術者が無言で尾堂の指示に従う。
スロー再生。
別角度を複数モニターで。
解析数値表示。
成立している。
回りきっている。
降りている。
思わずといったように、技術者の一人が零した。
「回ってますね……」
尾堂はそれに同意した。
「はい。必要なだけ回り切って、降りています。
セカンド4Aは成立しています」
「…………回ってるじゃないですか」
別の一人がぽつりと言った。
また別の技術者が尾堂を振り返って問いかける。
「あの、どうしてこれ、認定されなかったんですか」
尾堂は何も言わずに、映像の中で最後のポーズを取るブライアンを見つめ続けた。
誰かが言った。
「……AIって」
「Trace-Σって、大したことないんですね」




