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第6話 帰国 尾堂の挑戦と名探偵デリク

 当初の予定よりも1週間近く伸びたオリンピック出張の末、尾堂は帰国の途に至った。

 夕方、飛行機で日本に到着し、最低限の荷物をショルダーバッグで肩にかけた尾堂は、一人で空港から自宅までのタクシーに乗った。

 ちなみにスーツケースは現地から家まで郵送してるので、数日後の到着を待つことになる。

 タクシーで移動中、目についたコンビニに寄ってもらい、適当に晩ご飯を買った。

 自宅マンションに到着する頃にはもう辺りは暗く、夜の空気に満ちていた。

 尾堂は自分の部屋に到着すると、暗い部屋の灯りをつけた。

 バリアフリー仕様の部屋が照らし出された。

 玄関に杖を置き、手すりを頼りに居間に到着するとショルダーバッグを床に投げ出した。 

 取り出したスマホとタブレットを充電、暖房のスイッチを押す。

 再度ふらりと立ち上がると途中でジャケットを脱ぎ、ネクタイを解きながら風呂場に向かう。

「ああ……疲れた」


 尾堂はラグを敷いた床に座りこんで、大画面のテレビをつけた。

 怪我の後遺症で足が悪いので、高さのあるテーブルや椅子は実はない方が楽だ。

 その彼の身体の前には簡素なローテーブルが設置され、その上には先程買った晩ご飯が並んでいる。

 ぼんやりと眺めるテレビ画面では、夜のワイドショーでオリンピックの特集が放送されている。

 はきはきとした声のアナウンサーが弾んだ声で言葉を列ねている。

『四年に一度の祭典、冬季オリンピックがようやく全日程を終了し、閉幕を迎えました』

 テレビに閉会式の録画が流れ、行進する選手たちと夜空に派手に打ち上げられる花火が映し出された。

『日本勢の活躍に沸いた今回のオリンピック。

 フィギュアスケート、男子シングルでも土屋智史選手が見事銅メダルを獲得しました!

 日本のフィギュア層の厚さを改めて感じましたね。

 ……その一方で、今回の大会では競技の”採点”を巡る問題も浮き上がっています。

 それが、今回のオリンピック大会から本格導入されたAI判定支援システム、Trace-Σです』

 尾堂は食事を終えると、適当にまとめたトレーを脇にのけ、ローテーブルに頬杖をついた。

 テレビ画面では、不穏なテロップの踊るフィギュア関連画像の後、スタジオに移動した。

 何人かのコメンテーターやよく知らない専門家が自由に言葉を述べている。

 尾堂は苦笑いを浮かべた。

「好き勝手言うもんだな」

『さあ、ここで今大会男子シングル銀メダリスト、カナダのブライアン・ライルズ選手のフリーの演技を見てみましょう!

 画面の端に表示されるのは、放送局独自採点映像システム、IceViewになります!』

「IceView……。テレビ局の採点システムか」

 尾堂はテレビ画面を食い入るように見つめながら呟いた。

 美しくダイナミックな映像で流れ始めるブライアンのフリースケーティング。

 問題の最後のジャンプ、4回転アクセルの場面までやってくるとスロー再生になった。

 画面に現れた数値や補助線がブライアンの回転数と着氷までを計測し始め、そのジャンプの採点速報値が表示された。

 尾堂は頬杖をついたまま頷いた。

「うん。確かに降りてる。

 回転はぎりぎりだけど何とか。

 降りてる……な」

 彼は座って足を投げ出したまま、身体を伸ばして充電中のタブレットを手元に引き寄せた。

 Trace-Σのシステムログを開く。

 デリクが修正、送信したデータが更新されているのを確認した。


Trace-Σ:計算結果

回転量:4A相当

踏切:アクセル

着氷:成立

分類信頼度:極低

既知モデル最近傍:3A


 再びテレビを見た。

 スロー再生が巻き戻されて、等倍速度放送になる。

 美しい軌道を描いて素早く二本目の4回転アクセルに挑むブライアン。

 着氷後、すぐに次の要素に移っていく。

 尾堂はタブレットをラグに放り投げ、床に全身を投げ出して転がった。

「……完全に降りてる……!」



 翌日からは出社だった。

 尾堂は現在Trace-Σの提供元企業に所属している。

 センシング技術とAI開発を主力とする世界的大手テクノロジー企業であり、他にもモーション解析や自動認識システムではそれなりに名が通っている。

 本来、この企業にとってスポーツは畑違いの分野であったのだが、新規事業として開拓した結果が現在のTrace-Σの運用である。

 尾堂は現役時代からこの企業には縁があった。

 怪我で引退後には開発段階であったフィギュアスケート分野に本格的に引っ張られ、大きく関わることになったのだった。


 今回の件で、社内はかなりピリピリしていた。

 社内では会議が続く。

 開発は原因と改修の方法を探る。

 法務と上層部は確定発言を避け、外部に対してはのらりくらりと対応していた。

 その日、Trace-Σの社内幹部の一人である尾堂は連日の会議に出席していた。

 彼は投げやりに言い放つ。

「いや、Trace-Σがどうこう以前に、実際奴はセカンド4A降りてますし」

「尾堂さん、もうそういう問題でなくてね。

 本人がまたやるって言った世界選手権までの外部対応とシステムの改修をね」

 営業が宥める言葉に、尾堂は眉を強く顰めて眼を閉じた。

「降りてる……。

 本当にどうするんだ……」

 強い口調で法務担当が尾堂に念押しした。

「認定前提の発言は外部では控えてくださいね!」


 一方、開発チーム側はそっちはそっちで阿鼻叫喚になっているようだった。

 尾堂自身は技術者ではないのでそちら方面にはまるで役に立たない。

 たまにデリクが気分転換と称して尾堂を構いに来るので、現在彼らチームがどの地点でつまずいているのかはざっくり理解していた。

 尾堂はデスクに座っていたが、いても経ってもいられなくなり、自席を立ち上がった。

 社内を移動して、Trace-Σのメインシステムと資料が収められている部屋に入って、パソコンが備え付けられているデスクに座った。

 一度、自分なりに考えてみよう。

 尾堂はスリープ状態になっていたパソコンを立ち上げると、例の4A+4Aの採点結果とその履歴を表示した。



修正前

4A+3A 15.18 -4.10 11.08


修正後

4A+3A 22.55 -4.10 18.55



 プロトコルの表示と得点はシステムの内部で裂けた。

 救済措置のぶつかり合いだ、という結論が出た。 それはもう良い。

 だが、Trace-Σは何故、後半の3Aは出来映え点のマイナス、GOE大幅に減点と判定したのか? 

 その答えはまだ出ていない。

「……どのデータが由来だ?」

 それも現在、開発チームが検証している、とデリクから聞いた。

 尾堂はふと思いついた。

「データどうこうよりも、人間のジャッジから見たら何かわかるか? もしかして」

 尾堂はジャケットのポケットからスマホを取り出すと、電話帳をスクロールした。

 その名前を見つけると、連絡先を開いた。


大庭祐美子


 Trace-Σが四年前に国際試合に本格導入した、それ以前までの国内大会、世界選手権レベルの試合では特別名前の知られた技術審判の女性だった。

 あまりの厳しさに選手やそれぞれのチームから恐れられた存在。

 しかし、世界一正確かつ明確といわれ、彼女を納得させることができれば世界中のどの大会に出場しても通用する太鼓判を受けられると評判の審判でもあった。

 ちなみに、尾堂自身も現役時代、かなり減点されている。恐い。

「……出ないな」

 しばらくスマホの呼び出し音が耳元で続くが出る気配はない。

 尾堂は一旦諦めてスマホをポケットに仕舞った。 まあ、履歴は残した。折り返しの連絡を待とう。

 彼は再び、パソコンに向き合った。

 再び思考の海に沈む。

 そもそも、Trace-ΣはAIだ。

 人間ジャッジの採点数値と、中程度の精度の映像解析、全て取り込んだものものが内部に保存されている。

 時代によって採点にはブレがある。

 それをならした状態で最も高い評価を受けたジャンプはどれだ?

 まずはそれを確認する。

 過去も今ほどの精度には全く及ばないがないが、AI採点の前身はあった。

 同じジャンプの入り、回転速度、同じ踏み切り、全く同じ条件に見えるのに不可解、減点された採点ジャンプを割り出す。

 そのうちどれを参考にしたのか? 

 もしかして似たタイプの事例がないか? が切り分けできれば、Trace-Σのどの部分を修正したらいいのか、のたたき台の一部にはなるんじゃないか?

 尾堂は自分の考えに頷くと、Trace-Σ内部の情報の検索を開始した。

「……それじゃ、まず男子シングル最高峰のジャンプの得点データは?」

 結果が表示された。


 4回転サルコウ、過去最高得点、おれ。

 4回転フリップ、過去最高、おれ。

 4回転ループ、おれ。

 4回転ルッツ、おれ。


 尾堂は額を押さえて、据わった眼で画面を見つめた。

「……いや、そっちのやつは問題ないんだ。

 これは後回しだ。

 課題は4Aだ、先にそっち見よう」

 今度は4回転アクセルに情報を絞って再検索した。

 ずらりと画面に文字が表示される。


 4回転アクセル、成立、GOE加点、ブライアン。

 4回転アクセル、成立、GOE減点、ブライアン。

 4回転アクセル、両足着氷転倒、おれ。

 4回転アクセル、回転足りない、おれ。

 4回転アクセル、パンク、おれ。

 4回転アクセル、じゃないもはや回りすぎた3Aだろ、おれ。

 4回転アクセル、なんでこれに4Aタグつけた? おれ。

 そもそも4A関係データの72%、おれ……。


 尾堂が両手で額を押さえ、デスクに項垂れて撃沈していると、部屋の扉からとんでもない巨漢が姿を現した。

 技術者のデリクだ。

 片手には、食べ物でパンパンになったコンビニのビニール袋を下げている。 

 彼は尾堂の横幅三倍はある肉肉しい身体を揺らしながら尾堂に近づいてきた。

「よう、尾堂。

 何しょぼくれてるんだよ。

 クリームパン食うか?」

「いらない……」

 尾堂が項垂れたまま低い声で答えると、デリクは面白そうに笑った。

 デスクに座った尾堂の肩越しにパソコンに表示されている画面をを見る。

 デリクは鼻で笑うように息を漏らした。

「ふーん、見えてきたわ。

 ちょっと場所代われよ」

 言いながら、当然のように座った尾堂の腰を横から押して椅子にどっしりと腰を降ろした。

 尾堂は移動させられるままに立ち上がり、デスクに置いた両手で身体を支えた。

 そんな尾堂の動きを一切気にせず、デリクはパソコンを操作し、眼にも止まらない速さで画面を切り替えていく。

 そして言った。

「尾堂、現役時代のお前が教師データで、引退後は監修者。

 で、あらゆる4Aの怪しいデータの近傍にお前が顔出してる、つかもはや住んでる。

 それがどういうことか分かるか?」

 軽い口調のデリクに、デスクの横に立てかけてあった杖を取り戻そうとしていた尾堂は首を傾げた。

「いや……」

 デリクは満足そうに微笑んで、饒舌に言った。

「オリンピックの4A+4Aの採点におけるΣの不可解に見える動きの最大の要因はな。

 お前が現役時代に練習で4Aをやたら挑戦して、やたら失敗したからだよ。

 4Aの失敗例は大量にある。

 中でも、3Aの回りすぎたパターンはあらゆる想定がなされた状態でデータ内にあるんだ。

 ブライアンのセカンドの4AをΣは理解できなかった。

 だからΣは学習データに大量にある3Aの回りすぎだ、てモデルに当てはめたんだ。

 それで自信満々にGOE、出来映え点をマイナスにした。

 救済措置では干渉してきた採点系もそこにはツッコミしなかった。

 迷ってすらなかったんだろうな、Σが」

 すらすらと語る内容に唖然としていた尾堂は、強烈な違和感に眉を顰めて反論した。

「いや……待て待て。

 モデルはあるだろう。

 4Aの試合での成功して認定、採点されたパターンと記録は、Trace-Σの内部にいくつかあるはずだ。

 というか、それでGOEを大幅に引くのは理不尽過ぎるだろうが」

 デリクは頷いた。

「なるほど、そういう見方もあるな」

 彼はコンビニの袋を漁ると、1リットルの炭酸飲料を取りだし、勢いよく飲み始めた。

 半分一気に腹に収めたデリクは、口元を太い腕で拭って続けた。

「ブライアン本人の完成した4AモデルがΣの内部には確かに存在する。

 本来ならそっちに当てはめたはずだった。

 でもな、あんまりにもブライアンが人類卒業してたんだよ。

 Σは大量の失敗データと、別系統である運動生理学の知識を参照した。

 結果、成立したセカンド4Aなんて信用性が薄すぎる、という総合的な判断をした。

 で、それに反論できるのは、データの極端に少ない単独ジャンプの4A、しかもブライアン本人のやつだ。

 本人の判定モデルそのものを、Σ的には疑惑の4Aの教師データとして使用するのはおかしい、と競り負けたんだよ」

 今度は袋からクリームパンを取りだし、あっという間に丸々一個を丸かじりにした。

「GOEの減点についてはな。

 成功したセカンド4Aとしては未知であり、結果として4A失敗群に似ている。

 ただし着氷は成立している。

 じゃ、既知の分類として、3Aのオーバーローテーションという異常値に寄せるのが最適解と判断した。

 それは要するに、低品質の3Aだ。

 で、GOE、出来栄えで大幅に減点したんだよ」

 そこまで言われて、ようやく尾堂も納得してきた。

「ああ……。まあそれなら動きとしてはわかる、ような」

「さらに追い討ちかけたのが、Σはそもそも、開発当初の史上最高のフィギュアスケーター、尾堂稜のデータを初期基準にしてるってことだ。

 そっちの頼れる教師データに引っ張られたんだ。 あげく、Σ全体の仕様に監修者としてのお前の判定思想が盛り込まれているってきたもんだ。

 ――ブライアンの4Aを知っていたはずなのに、それ以上にΣはお前の失敗しつづけた4Aを見て、信じた」

 予想外の話の内容に立ちすくむ尾堂に、デリクは座っていた椅子を回転させて彼と向き合い、ふんぞり返って太い足で膝を組んだ。

「だからやっぱり、Trace-Σは壊れていないんだ。 むしろ真面目に働きすぎていた。

 だから救済処置は悪くない。

 ブライアンも悪くない。

 開発チームも悪くない。

 おれはもっと悪くない。

 つまり、」

 とうとうと語るデリクに、尾堂は嫌な予感がして口元を引きつらせた。

 デリクは肉に埋もれた顔にかけた眼鏡に手をかけ、くいっと位置を直した。

 その指先が尾堂を強く指さした。

「今回の騒動、それを引き起こす下地を長年シコシコネチネチ拵えてきた奴──真犯人は、お前だ!」

 尾堂は衝撃を受けて立ち尽くした。

 そんなひどいことがあるか。

「おれか⁈」

 尾堂は力の抜けた身体の体重をさらに杖に載せて、もう片手で顔を覆った。

「…………おれか……」

 悪かった、ブライアン。 


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