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第5話 エキシビジョン 追撃のタックルと辿り着けなかった場所

「オリンピックでアイスショーがあるなんて面白いですね」

 勝永は照明を落としたアイスアリーナの暗闇の中、上司であるテレビ局プロデューサーとカメラマンの二人と報道陣スペースの席に並んで座っていた。

 色とりどりのスポットライトが白く輝く氷の上を照らし、縦横無尽に滑り抜ける選手を追いかけている。

 先輩に当たるカメラマンがさほど興味なさげに氷上を眺めながら言った。

「フィギュアはデカい試合のあとはエキシビジョンやるのが普通らしいね。

 成績良かった連中が点数とかナシのプログラム用意して滑るんだってさ。

 まあ、メダリスト連中のお遊び兼観客サービスって感じなんじゃないの」

 JTNオリンピック特設班の三人は、エキシビジョン終了後に選手のインタビュー許可が出たので、待機がてら見物していたのだ。

 フィギュアスケートは試合全日程も終わり、元からのフィギュア担当部署以外の報道陣はまばらにしかいない。

 気怠げに席にもたれて伸びをしていたプロデューサーがぼやいた。

「そんなことより、やっとオリンピックも終盤だな。

 おれはもう、早くパラの連中に交代したいよ。

 五輪はあっちこっちに気ぃつかって走り回って、くたびれるったらねぇわ。

 ついでにこないだの記者会見では勝永の馬鹿が自由気儘に暴走するしよ。

 心臓に悪いって、全く」

「あー……すみません。

 なんか聞けって言われたのでつい。

 フィギュアって正直よく知らなくって」

 勝永は大きな肩を縮めて、軽く頭をかいて謝罪した。

 カメラマンが思い出したように言った。

「そーいやあの時の記者会見、尾堂がいましたね。勝永お前、知ってる? 尾堂稜」

「おお、そうだったな。

 で、お前さすがに尾堂は知ってるか?」

 プロデューサーが身体を起こして、横に座る勝永の顔を覗いた。

「すみません、知りません! どんな人ですか?」

 勝永が元気よく答えると、プロデューサーはやれやれと頭を掻いた。

「ちょっと前のシニア男子シングルのトップだよ。 引退前までは世界ランク1位を数年間独占してた。

 まあ、オリンピックには縁がなかったけどな」

「えっ、そうなんですか。

 なんでオリンピックには出なかったんですか?

 めちゃすごい人じゃないですか」

 カメラマンが頬杖をついて、記憶を辿るようにして説明を始めた。

「たしか、8年前のオリンピック直前の国際試合で大怪我したんだよ。

 金メダル最有力候補が、突然の棄権。

 その後、かなりきついリハビリを数年間やっていたそうだが、どうにもならなかったらしいね。

 で、いつの間にか引退してた。

 スケートどころか、もう自力で歩けないかもなんて聞いたけど、なんだ、ずいぶん回復してるみたいだ」

 黙って聞いていたプロデューサーが面白そうに口を挟んだ。

「いや、ここ四年はあちこちの試合に裏方として出没していたらしい。 

 例のAI採点システムの監修と、何でか代表みたいになってたってな。

 まあ、あの尾堂稜お墨付きのAI判定だ、なんて最高の宣伝だからな」

 カメラマンは納得したように大きく頷く。

「そうだったんすね。

 スタイル良くて見栄えが良いですもんね、トップスケーターって連中は。 

 知名度が高くて競技成績も上々、ついでに見てくれが良いなんてそりゃ、とりあえず組織の顔にしておくか」

「その割に、奴は採点AIの釈明担当じゃなかったのは残念だったな。

 しっかり身内でガード固めてやがる」

 プロデューサーが惜しい、と言うように顔を軽く歪めた。

 リンクの真ん中では、男女のスケーターが難しいリフトを披露して、カラフルなスポットライトを受けて輝いている。

 勝永はそれを唖然とした顔で眺め、ふと大きな声を上げた。

「杖で、スタイルが良くて、格好いい……?

 あ、おれ、別の日に会いました!」

「あ? いつ会ったんだよ」

 プロデューサーが怪訝そうに訊くと、勝永は軽く頭を抱えた。

「ブライアン選手の滑り終わった後です。

 急いでキスクラ? でしたっけ、そこに向かって走っている時にうっかりぶつかって転ばせかけてしまって……

 杖吹っ飛ばしてめちゃ焦りました」

 プロデューサーは軽く焦ったように彼に詰めよった。

「おい、待てお前、学生の頃ラグビーやってた、て言わなかったか?」

「あ、はい! 

 テレビ局入る前、高校と大学でガッツリやってました!

 先輩とか後輩は実業団入った連中もいます!」

 カメラマンも大きく溜め息をついて勝永に少し強い調子で言う。

「お前さ……。

 元ラガーマンが杖ついてる怪我人についうっかりでもタックルするのは本っ気で良いことじゃないよ? ガチで」

 眉を下げて、勝永は肩をシュンと丸めて反省し始めた。

「そうですよね……。

 もう一度きちんと謝りに行ったほうがいいかな……。

 その時も慌てて謝ったら大丈夫だって言ってたんですけど」

 とりあえず、大ごとではないと気づいたプロデューサーは軽く息をついた。

「ああまあ、その時に謝ったんならいいか、また怪我なんてさせなくて良かったわ。

 でも、もし会ったら今度はちゃんと詫びとけよ」

「はい! 

 ……ところで、ブライアン選手の出番はいつですかね? 

 もうそろそろ終わりじゃないですか?」

 勝永がカメラマンに訊くと、彼は呆れた声で言った。

「馬っ鹿お前、予定表見てないの?

 今夜はいない、もうカナダ帰ったよ」

「え、帰ったんですか?」

「エキシビジョンは辞退するってさ。

 早く拠点戻って練習したいらしいよ。

 世界選手権でマジでやるつもりだね、4回転アクセル二本、今度こそ認めさせてやるってさ」

 その言葉にプロデューサーは無念そうにぼやく。

「フィギュアの世界選手権か。

 でもおれらは食い込めないな。

 フィギュア報道の連中は選手の事情やらパイプやら、自分たちのところで隠しやがる。

 全く、せっかくAI判定のネタで盛り上がると思ったのに」

 そこで、はた、と気づいた彼はわずかに弾んだ声を出した。

「待てよ、世界選手権でまたAI判定がバグりました! なんてあったらどうすんだろな?」

「あ、それ面白いっすね」

 カメラマンが眼を輝かせた。

 プロデューサーは氷上の彼らを見て鼻で笑った。

「そもそも、4回転アクセルなんて正直見てもどうすごいのかわからねえよ。

 ぶっちゃけ、3回転と4回転の違いもわからんね、おれは」

「え、それは見ればわかるじゃないですか?」

 不思議そうな顔の勝永に、気まずそうな咳払いで彼は誤魔化した。

「……いや、それはいいんだ。

 おれが言いたいのは、すごいジャンプが成功、なんてことよりも、今度こそAI判定は上手くやれんのか? てほうが一般市民は興味があるだろ、てことだよ」

 次第に悪い笑みを浮かべて、腕を組んだプロデューサーはとうとうと語る。

「それも元世界王者、悲劇のレジェンド監修のAI判定システムだ。

 成功、失敗、どう転んでもそれなり以上の数字が取れる」

 そこまで言って彼はじっと考え込んだ。

「……尾堂をこっちに巻き込めねぇかな」

「いや、それこそおれらが接触したら即刻追っ払われますよ?」

 カメラマンに頷き、プロデューサーは勝永を振り向いた。

「勝永、お前、いちおう尾堂とは直接の接点があるんだよな」

「接点というか、タックルしちゃいました……」

 彼はにんまりと笑った。

「そうだ。足の不自由な怪我人にとんでもねえことしてくれたよ、お前は。本当にな。

 ――しっかり謝るついでに懐に入って奴を探ってこい。

 おい」

 プロデューサーはカメラマンと一言二言話すと、よし、と大きく頷いた。

「あとはそうだな……。

 手土産もつけてやろう、うちの局の映像採点システム、IceViewの4A二本の成功判定データだ。

 今ならデータのコピーを持ち出せる。

 急いでバグ改修しなきゃならんはずの奴の目の前にちらつかせたら、きっと食いつくだろうよ。

 それを餌に尾堂を追え、勝永」



 尾堂は高瀬と並んで座り、観客席の最前列でエキシビジョンを見ていた。

 本当はもういい加減にホテルに帰りたかったのだが、この時間まで会場付近にいるならエキシビジョンも見ていけと彼女に連行されたのだ。

 エキシビジョンが終わったあとの、今夜の飛行機の搭乗チケットをすでに手配している。

 予定外に帰国が遅くなったが、ようやく自宅に帰れる。

 一旦は仕事の仮の区切りがついた尾堂は、今は純粋にアイスショーをのんびり鑑賞している。

 氷上では重圧の消えた、成績を残した選手たちがが伸び伸びと演技を披露している。

 高瀬は軽い口調で尾堂に話しかけた。

「尾堂くんも大変だよねー。

 ここ数日めちゃくちゃ仕事しまくりだったでしょ?

 なんだっけ、一昨日は朝からISUと話してて、夜はカナダ連盟とも会談。

 で、Trace-Σの技術者の人かな? ひっきりなしに電話で難しそうなこと喋ってたって。

 昨日はあちこちの国の技術委員会? 

 で、今日はさっきまでずっと開発チームとリモート会議してた?

 あ、日本のスケート連盟とも移動しながら話してたみたいね?

 それでやっとこさ帰ろうとしたら飛行機の席なくて夜に延期、て感じ?」

「……なんで高瀬さんはおれのここ数日の動きを割としっかり知ってるんですか?」

「SNSで見たから。

 あなたの現役時代からのファン、稜くん多国籍観測隊が言ってたのよ」

 ほら、とスマホのSNS画面を見せて軽くスクロールする高瀬。

 尾堂は何とも言えない気持ちになった。

「何してんですかね、あの人たちは。

 おじさん見守って楽しいのか?

 ……ちなみに、なんか変なこと言ってませんでしたか?」

 彼は現役時代のメンタル管理の一環の延長で、自分関係のエゴサーチは基本的にしない。

 たまに尾堂の何かに発狂しているオタクの存在は知っていたのでここにきて今さら不安になってきた。

 高瀬は顎に指先を軽く当てて首を傾げた。

「うーん、変なこと……。

 あ、なんか、あなたの杖に嫉妬するって。

 杖になりたいって、そんな感じのこと話してた。

 あと、歴代の杖まとめ画像作ってすごい盛り上がってたかな。

 で、今回のそれはおニュー杖なの?」

 高瀬が尾堂の座っている座席に立てかけている杖を軽くつついた。

 尾堂は遠い目で天井のスポットライトを見上げた。

 まぶしい。

「……本気でよくわからないんですけど。

 いや、確かに杖はオリンピック前に新調しましたけど。

 どこ見てるんだ奴らは」

 高瀬は笑った。

 二人が見つめる氷の上ではもはや好き放題のプログラムを満面の笑みで滑る選手に、観客がどよめきと大きな手拍子を投げかけている。

「スケオタの生態は正直わたしもよくわかんない。

 愛されてるのは全身で感じてるけど。

 あ、ちなみに、絶対に顔写真とかはSNSに載せないし、買い物の詳しい内容とかリアルタイムの情報も言わない、ていう鉄の掟があるみたいね。

 あなたを不快にさせたくないんだって。

 だからさっき言ったのは断片情報からのわたしの予想なんだけど。

 合ってた?」 

 尾堂は妙な感心と呆れを感じつつ、大きな溜め息をついた。

「無駄にコンプライアンス意識が高いな。

 合ってましたよ、完全に。

 というか、杖のまとめはいいと思ってるのか?

 別にいいけど……」

 エキシビジョンも終盤、各部門のメダリストたちが氷上に並び、会場から歓声と拍手喝采を受けている。

 闇の中にスポットライトで華やかに照らし出された彼ら彼女らを優しい眼差しで眺めながら、高瀬が噛みしめるように尾堂に語りかけた。

「ねえ、尾堂くん。

 もう引退したわたしたちの世代がさ、必死に前に進んで、何とか辿り着いた到達点は、新しい世代の子たちに追い越されて、塗りつぶされて、消えていくね。 

 でも、わたしの作り上げてきたスケートは無意味なんかじゃないって、何故か、そう思うの」

 尾堂もメダリストたちを見つめ、拍手を贈りながら言った。

「高瀬さんは消えませんよ。

 オリンピック女子シングルの金メダリストじゃないですか。

 何十年経っても、最高の演技だったって記録と、観客たちの記憶の中に残り続けますよ」

 高瀬は軽く笑って隣の尾堂をちらりと見た。

「そうだと良いんだけどね、本当は。

 あ、でも、尾堂くんのこともみんなずっと忘れないよ。

 暑苦しいくらいに愛されてるじゃない」

「いや……一部のスケオタ連中、意味がわからない時が結構ありますけどね」

 尾堂は笑った。

 見つめる視線の先には、氷上の誇らしげなメダリストたちが輝く笑顔を振りまき、観客に大きく手を振っている。


 彼は心の中で、彼女に強く反論する。


 おれは、違う。


 どこにも辿り着けないまま、全て終わってしまった。


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