第4話 記者会見 スポーツマンシップと緊急改修案件(デスマ確定)
メダルセレモニーが終わった。
細かい雪が絶え間なく降る夜、オリンピックパークには多くの人や報道陣がひしめき合っていた。
男子シングルメダリスト三人は特設ステージに並んで立ち、煌めくメダルを掲げて和気藹々と笑顔を振りまいていた。
壇上の彼らを少し離れたところから眺め、尾堂は未だ残る疲労と、強烈な安堵を感じていた。
(順位が変わらなくて、良かった)
もしもTrace-Σの修正により、ブライアンの点数がコール・ヘンドリクスを上回っていたとしたら、ブライアン本人のみならず、金メダリストのコールの将来をも大きく変えてしまっていただろう。
国、連盟、記録、人生、名誉、全てが巻き込まれる。
だから、確定事項でないことはこの場で一切口にすべきではない。
(だが、それでも)
ブライアンがあの時跳んだジャンプはどういうものであったのか。
本当にTrace-Σは厳密かつ、正確な判定をしたのか。
それはまだ、終わっていない。
「他の二人も記者会見に、ですか」
オリンピックパーク内のメインプレスセンターの会見場で、尾堂は上司と向き合っていた。
もうすぐ記者会見が始まる。
関係者や報道陣がひしめく会場は、先程のメダルセレモニーの祝賀モードとは打って変わってピリピリとした空気に満ちていた。
まだブライアンはその場に姿を現してはいない。 早めに会場入りして会見で話す内容や、報道陣の空気感をチェックしていた尾堂は、ふらりとやってきた上司の言葉に戸惑った。
尾堂はTrace-Σの監修者であり、世界選手権での複数回優勝、という競技成績を持つ。
そのためフィギュアスケート業界のみならず、一般での知名度がそれなりに高い。
そのため表向きの代表、顔役のようなものであるが、本来の責任者は上に何人か存在する。
今回のブライアンの採点に関する記者会見では、尾堂自身が報道陣にシステム内部動きの説明をするつもりでいたのだが、直前で上司に交代を命じられたのだ。
「いや、君を矢面に立たすわけにはいかないよ。
大切な監修者で、看板みたいなものだし……。
それにまだ若いだろ?
ああいう面倒な連中は面と向かって文句を言いにくいおっさんに任せていけば良いんだよ。
というか君、いくつだっけ?」
「……34歳です。
言うほど若くもないですよ。
それに、ああいう連中はそれなりに慣れています。
いや、それより、金、銅メダリストの二人も記者会見に参加すると?
確定事項ですか?」
「あー、まあ、そうだね。
金メダルのコール・ヘンドリクスと、銅メダルの土屋智史、その二人がね。
いや、彼らのチームと各国連盟は止めたらしい。 でもどうしても、と説き伏せたそうだ。
試合で結果も出したんだから好きにさせろってね。
ブライアンが心配だったんだろう」
「そうですか……。
そう言われるとなおさら私が会見で話すべきなのでは。
多少は彼らと年齢が近いので、傍にいれば安心するのではないかと。
一応、競技者としては先輩ですし」
「良いから良いから。
君は向こうで見てなさい、あ、ほら、始まるよ」
「いや、本当に……!」
「記者会見始まります!
取材許可お持ちでない方はご退席お願いしますー!」
尾堂が上司に食ってかかった言葉に被せるように、司会者が辺りに響く大声を出した。
ずらりと並んだパイプ椅子にひしめく報道陣と、容赦なく部屋の奥の長テーブルに向けられるカメラ。
これ以上は食い下がれない、と尾堂が彼らの後ろの邪魔にならない後方に下がって壁際に寄った。
その時、前方のついたての影から男子シングル、金、銀、銅メダリストの三人が姿を現した。
彼らが長テーブルの椅子に座る一瞬ですら逃さない、とでも言いたげに並ぶ取材用のカメラから絶え間なくシャッター音が響いた。
「では、記者会見を開始いたします!
質問は挙手した方に順番で、こちらで当てさせていただきます。
発言を許可した方の質問にのみお答えしますのでご了承願います!」
司会の発言に記者から不満そうな声が上がった。
「お静かにお願いします!
発言は挙手でお願いします!」
司会が叫ぶ。
先を争うように記者たちが手を上げ、司会に当てられた者が鋭くブライアンに問いを突きつけている。
ブライアンはその中で、無表情でゆっくりと瞬きをしながら淡々と質問に答えていく。
「採点の誤認でしたね。
AI判定の欠陥で被害を受けたと怒っていますか?」
「怒っていません。
採点を修正してもらったので問題ないです」
「本当はご自分が真の勝者だったとは思いませんか?」
「思いません」
「Trace-Σの開発者の方々に何か伝えたいことはありますか?」
「いつも試合でお世話になっているので、感謝を伝えたいです」
脇に座っている金、銅メダリストの二人も時折牽制するように口をはさむ。
記者も詰問するよう、とまでは行かないが、彼らの穏やかな語調の中にも隠しようがない張り詰めたや空気や期待を感じる。
(嫌な感じだな)
尾堂は部屋の後方の壁に背中を押しつけて立ったまま、痛ましい想いで彼を見つめた。
彼はオリンピック銀メダリストだ。
四年に一度の、フィギュアスケートでは最大の祭典。
繊細なコンディションと調整を必要とするフィギュアスケーターにとっては、幼少期からの人生、喜びと悲しみ、多くの時間。
その全てをかけた、一生に一度の大会。
その栄光の先にあるのが、敬意もない、祝福もない、こんな乱雑な扱いで良いはずがない。
(……いや)
尾堂は肩でゆっくりと息をしながら強く杖を握りしめた。
(これの責任は、おれにも)
尾堂が黙って彼らを見守っているしかない間に、今度は開発チームによるTrace-Σの内部の動きに関する詳細な説明が始まった。
メダリストたちを相手にしていたときは多少の遠慮があった記者たちが、ここぞとばかりに追及を始めた。
それを尾堂の上司が落ち着いた調子で、記者たちの質問や挑発じみた言葉に対応していく。
時折時間を確認しながら記者たちを忙しなくさばいていた司会者が、一時質問が途切れた隙に脇に控えていた運営スタッフと素早く言葉を交わした。
司会者はそれに頷いて会場に集まる人々に言った。
「もう用意されていた時間が残り少なくなってまいりましたので、残りの質問はあとお一人だけ、今まで発言していない方に限定させていただきます。
まだ何か質問のある方はいらっしゃいますか?」
記者たちが躊躇したように黙ったその時、高く挙手した男が良く通る声で言った。
「すみません、質問です!」
「はい、どうぞ。
まず所属先とお名前をお願いします」
若く、がたいの良い男がパイプ椅子から慌てて立ち上がり、背筋を伸ばした。
「JTNオリンピック特設班の勝永裕哉です。
「まず、ライルズ選手、このたびは、銀メダルおめでとうございます!
あっ、金メダル、銅メダルのお二人も!」
今までに発言していた、ある意味非常に仕事熱心な記者たちと打って変わって、底抜けに明るい祝福の言葉だった。
メダリストたち三人は緊張が解けたように表情を緩めて彼を見返した。
ブライアンが微かに微笑んで、マイク越しに言った。
「……ありがとうございます」
「ついでみたいに言うなよ……」
静かに心にダメージを受けてやさぐれていた尾堂が小さな声で毒づいた。
「あの、すみません! 4A4Aってなんですか⁈」
「えっ」
そこから? と様子を窺っていた記者たちの間から、呆れたような声がいくつか上がった。
尾堂も毒気を抜かれて、立ち上がった男の後ろ姿を離れた位置からじっと見つめた。
大きな体格、明朗な声。
(あいつ、何だか会ったことがあるような)
尾堂が眉を顰めて考え込む間に、その男とメダリストたちが話し始めた。
長テーブルに並んで座った三人が顔を見合わせ、金メダリストのコールが丁寧な口調で言った。
「ええと、4回転半ジャンプを二回続けて跳ぶコンビネーションを4A+4Aと呼んでいます」
「4回転半……、え、何でジャンプが半分?」
「他のジャンプは後ろ向きに踏み切って回るんですが、アクセルは前向きに踏切なので、その分多く回転します」
勝永の呟きを目敏く拾ったコールが補足の解説をした。
ああ! と納得の声を上げた勝永だったが、再び、疑問を返してきた。
「……それは、こんな大騒ぎになるくらい難しいことなんですか?」
真っ直ぐな問いかけに、ブライアンが一瞬考えるように天井を見て、勝永を見返した。
「まあ……難しいです。
いや、今回は認定されなかったんですけど」
「4回転アクセルが跳べるのは人類で今のところ、ブライアンだけ、てことになってるので」
銅メダリストの土屋がブライアンを指して、何故か自慢げに言った。
「え、ライルズ選手だけ⁈
皆さんはどうして跳べないんですか?」
「……いや、それはこっちが聞きてぇですよ。
こいつがどうやって跳んでんのか」
「おい!
……すみません、うちのADが」
勝永の隣に座っていた壮年の男が潜めた声で叱責し、メダリストたちに頭を軽く下げた。
それを適当にあしらい、ブライアンは土屋に軽く笑って言った。
「……え、聞く?
というか、練習する?」
「いや、もし仮にやるにしても来シーズン以降か、さらにその先だけど。
でも教えてくれるなら、参考までに聞いとく」
土屋の言葉に、ブライアンは再び天井を向いて少し考え、真顔で言った。
「3回転半を、もう一周多く回ったら、4回転半だから」
「……そっか」
生暖かく微笑んだ土屋とは対照的に、勝永は明るい声で大きく頷いた。
「そうなんですね!」
「納得するな」
尾堂が思わずこれなりの声量で突っこむと、数人の記者が振り向いて尾堂を見た。
彼の姿を見て驚いた顔をした記者がさり気なくカメラを向けてくるのを、尾堂は軽く顔を背けて逃げた。
その動きが意外にも少し目立ったのか、ブライアンが尾堂の存在に気がついたらしい。
驚いた表情をしたブライアンと、尾堂の視線が一瞬交錯した。
「でも、嫌じゃなかったですか?
せっかくすごいジャンプをしたのに、AIは認めなかったというか、変な判定をしたんですよね?」
勝永が気遣わしげな調子でブライアンに問いかけた。
ブライアンは、表情を消して、真っ直ぐ前を見つめた。
その強い眼差しが、後方に立ち尽くした尾堂の眼をしっかりと捉える。
「AIが、Trace-Σが判定に迷うようなジャンプを跳んだ僕が悪いです」
「え? えっと……」
「だから、次の試合ではもっとちゃんとしたやつを見せます」
「えっと、次、ていうと」
勝永が困惑していると、黙って彼らの会話を聞いていた記者たちがざわつき始めた。
「……おい、まさか」
尾堂が嫌な予感に口元を片手で押さえる。
ブライアンは尾堂から眼を逸らさない。
彼は微笑んだ。
「一ヶ月後の世界選手権では、必ず」




