第3話 救済 迷うAIと右往左往のち安堵する人間たち
呼びかけに二人が振り向くと、スーツ姿の男が駆け寄って来るのが見えた。
実況アナウンサーの真田だった。
「真田さん、どうしたんですか?」
高瀬は不思議そうに、切羽詰まったような表情の真田に首を傾げた。
真田がすぐに口を開こうとして、彼女と一緒の尾堂に気づいた。
目が合って何か言いかけようとした彼を、尾堂は軽く会釈して手で制止した。
話を続けるように、眼で示すと、真田は手刀で尾堂に軽く挨拶をして、高瀬に向き直った。
「高瀬さん、探しました。
ちょっと面倒なことになったのでお知らせしたくて。
実は、ブライアン・ライルズの件でカナダが抗議していることが、フィギュアスケート関係外の、各国のオリンピック特設の報道部署で話題になってしまっているみたいです」
「ええ? 厄介な……」
高瀬はあからさまにうんざりとした表情を浮かべた。
真田は頷いたあと、深刻な口調で言った。
「それで、直接本人の言い分を聞きたい、聞くべきだと。
――明日の表彰式の後に、ライルズ選手本人への記者会見が行われることが決まりました」
「記者会見⁈」
「彼は断らなかったのですか?」
驚愕する高瀬の言葉に被せるように尾堂が訊いた。
「IOC──国際オリンピック委員会に先に打診をしたとかで、彼らが先に許可を出してしまったのだそうです。
もしも抗議で順位が変わるようなことがあれば、それが……採点がAIによるバグであったなら、優勝したアメリカのコール・ヘンドリクスへの救済措置はあるのか? という論点で」
「救済措置……」
尾堂が小さな声で呟いた。
「それに……」
真田は尾堂をちらりと見た。
「それでも本来は断ろうとしていたみたいなんですが、すでに海外メディアが『AI判定によるオリンピック史上最大の誤審』と報じ始めていて……。
事態沈静化のためにも会見をしよう、と決意したようです」
黙り込んだ尾堂に気遣わしげな視線を寄越しながらも、高瀬が強い声で言った。
「何も表彰式の後なんて、仮に順位後退があったとして、一番繊細なタイミングで記者会見なんてさせることないじゃない!」
「むしろ、だからこそ美味しい、と彼らが言っているのを耳にしました……」
真田が苦々しい表情で、声を絞り出した。
「何てことを……!」
「そうだ、救済措置だ……!」
高瀬が怒りと驚愕を見せるその隣で、尾堂が大きな声を上げた。
「えっ、何?」
「救済措置?」
戸惑う高瀬と真田に、尾堂は頷いた。
タブレットでネット検索すると、Trace-Σの公式紹介ページを表示し、二人に差し出した。
「ご存じかと思いますが、Trace-Σは複数のAIを組み合わせた採点システムです。
ISU――国際スケート連盟のルール、年ごとの更新事項、例外事項。
各技術要素に対する映像解析と採点基準。
試合での運用で得た詳細情報、過去大会の判断とプロトコル。
また引退選手、現役選手の過去データ、その他諸々から総合的に厳密な判定と採点を行います」
「それは知っていますが……」
タブレットから顔を上げ、何故今さらそんなことを、と言いたげに真田が戸惑ったように言った。
尾堂は言葉を続けた。
「そして、その全てを束ねているのはフィギュアスケートのルールの基本思想です。
その一つが、選手保護。
あまりにも採点で不必要なほどに損なことは起こらないようにする、ということです。
その救済処置がTrace-Σの内部で過剰に発動した可能性があります」
「何言ってるの? 救済どころか点数引かれて……」
高瀬がそこまで言いかけたところ、で尾堂のスマホから通知音が流れた。
「デリクからです」
尾堂がポケットからスマホを取り出して画面を自分と、二人にも見えるように掲げた。
チャットの画面を三人で覗き込む。
Derrek Warren
解析完了。
結論から言う。
映像解析と採点系が裂けてる。
「映像と採点が裂けてる?」
高瀬がスマホの画面に向かってしかめ面をして呟いた。
すぐに画面に新しい通知がきて、長い返信が表示された。
理由は以下の通り。
・Trace-Σには未定義判定が入力された場合、即座に無効化せず、既存要素として待避させる安全装置がある。
・4Aのセカンドジャンプはアクセル系として検出された。
踏切、滞空、回転、着氷、全部拾っている。
ただし参考データにコンビネーション2本目の4Aが存在しない。
セカンドジャンプの最高難易度として3Aを仮判定。
・採点系は3Aモデルへの適合を拒否。
・採点系の判定の待避先がコンビネーションの救済テーブル。
・シニア男子のリカバリーとして最も使用頻度が高く、無得点にならないトウ系ジャンプ、2Tに叩き込んだ。
・結果
表示 4A+3A
計算 4A+2T
基礎点 15.18
システムは壊れていない。
二つの救済処置がぶつかった結果だ。
そういうこと!
チャットの文章を最後まで読んで、尾堂は頷いた。
「……と、いう内部の動きがあったようです。
大体こちらの予想通りでしたね」
真田は納得した、という顔をしていたが、高瀬は不可解そうに尾堂に食ってかかった。
「理由は分かったけど……。
なんで尾堂君がすぐそれに気づかないの。開発チームの一員でしょ?」
「いや、おれは監修なので……技術者でもないですし。
開発段階ではほぼできあがっている時に、最終段階の元競技者としての肌感と競技思想を盛り込む手伝いをしただけです。
試合での運用にはかなり関わりましたが」
「ふーん……」
真田が焦った様子で訊いた。
「じゃあ、点数はどうなるんですか?」
「そうですね。セカンドジャンプが映像解析で3Aとしての認定はされているので……」
再び、尾堂のスマホが通知音を立て、デリクからのチャットを表示した。
選手の損になることはしない、というのが基本方針のルールだ。
4A+2Tとしての基礎点、15.18を、
4A+3A、基礎点22.55として内部ログを修正、プロトコルを再構成して送信する。
「そういうことになりますね」
「そうですか、そうなると……」
慌てて真田が自分のスマホを取り出したところで再びデリクからのチャットが表示された。
RESULT PROTOCOL-FREE SKATING
Name:Brian Lyles(CAN)
1 4Lz+3T 15.70 +3.00 18.70
2 FCSSp3 2.60 +0.50 3.10
3 4F 11.00 +2.50 13.50
4 4S 9.70 +2.00 11.70
5 ChSq1 3.00 +1.00 4.00
6 3Lo 4.80 +1.00 5.80
7 4Lz 12.65 -5.00 7.65 F
8 CCoSp4 3.50 +1.00 4.50
9 3A<< 3.63 -1.00 2.63
10 StSq3 3.30 +1.00 4.30
11 4A+3A 22.55 -4.10 18.55
12 CSSp4 3.00 +1.00 4.00
TES 98.43
PCS 95.04
Deductions -1.00
TOTAL FS 192.47
TOTAL(SP:110.00) 302.47
Rank:2nd
Winner:Cole Hendricks/USA
これが修正後のプロトコルだ。
確定版として使え。
以上!
「……順位は変わりません。
2位、銀メダルです」
「順位入れ替えなしなんですね。
良かった……!」
真田が胸を撫で下ろしたように大きく肩で息をした。
高瀬が椅子から立ち上がり、尾堂に詰め寄って念押しをする。
「点数と順位は今度こそこれで確定ね?
またなんかありました! なんてないよね⁈」
尾堂は椅子の背もたれに身を引きつつも答えた。
「はい。これで確定です。
これ以上詰める必要はないですし。
ご協力していただいてありがとうございました」
「そう……分かった。行ってくる!」
身を翻して広いロビーの先の出入り口に向かって駆けだした高瀬を真田だ呼び止めた。
「あっ、高瀬さん、どこへ⁈」
「コールとブライアンのところ! 二人の泊まってるホテル!
今すぐ知らせてあげなきゃ! 真田さんも一緒に来て!」
「ええ? はい!」
素っ頓狂な声を上げた真田だったが、すぐに表情を引き締めて彼女の後を追って走り去って行った。
ぽつん、と一人取り残された尾堂は杖を掴んで立ち上がりかけた体勢のまま、ぼそりと呟いた。
「電話しようと思ったんだけどな……」
まあ、あとにするか。
尾堂は椅子にゆっくり座り直すと、大きく息をついて背もたれに身体をだらりと預けた。
感覚のほとんどない片足を手で擦り、天井を仰いだ。
豪華な照明の灯りが眼に眩しい。
眼を眇めてそれを眺めながら、複雑な胸中のまま誰にともなく言った。
「良かったな」




