↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
16/17

第16話 Trace-Σ② 地方大会と歳相応の意識の必要性

 多くの人でざわつく廊下での突然の呼びかけに、尾堂は声の主を探して視線を彷徨わせた。

 すると斜め後ろから肩を叩かれ、無遠慮に顔を覗き込まれた。

「やっぱり尾堂じゃねえか。

 何してんだよ、こんなところで」

 妙に親しげな口調、唖然とした顔の同年代の男。(……誰だ) 

 尾堂は無表情を保ちつつ記憶を探った。

 もしかしたら昔会った誰か何かもしれないが、すぐには思い浮かばない。

 尾堂はフィギュアスケート界隈ではそれなりに顔が知れているので、彼を一方的に知っているだけの初対面の人物だということもあり得るので対応が難しい。

 尾堂がどうしようか迷っていると、男が笑った。

「馬鹿お前、おれのこと忘れたんだろ。 

 桑原だよ、ジュニアの頃一緒に試合出てただろ?」

「桑原?

 …………あっ、桑原か! 久しぶりだな」

 名乗られて一拍置いたのち、一気に記憶が甦ってきた。

 尾堂がジュニアの区分で試合に出場していた時の知人だ。

 彼よりも二歳年上だったはずだが、人当たりの良い人物でよく面倒を見てもらった記憶がある。

 普段の練習や生活では接点はなかったが、大きな試合があるときには遭遇することが時折あった。

 とは言っても彼は次第に試合での成績が伸び悩み、シニアに上がる前に姿を見なくなったので、もう最後に会ってから十年以上は経っているだろうか。

「やっと思い出したな、この薄情もん。

 で、どうしたんだ? 

 お前がこんなところにいるなんてな」

「いや、仕事で出張」

「仕事って」

「あ、いやちょっと待て」

 男二人が廊下で立ち止まって話し込み始めたのが邪魔だったのか、通行人がちらちらと視線を送って来たのに気づいた尾堂は桑原に片手を上げて制した。

「ここ通路だから、一旦、」

「……尾堂稜? あれ」

 すぐ近くで小さく潜めた声が聞こえた。

「……尾堂くんいる。なんで?」

 尾堂が何か反応する前に桑原が彼の腕を掴んで強く引いた。

「移動しよう。行くぞ」

 突然の動きに対応しきれずにふらついた尾堂が慌てて壁に手をついた。

「引っ張るな。そんな早く歩けない」

 桑原に文句を言うと、彼は少し呆然としたように尾堂の全身を見つめ、戸惑った顔で動きを止めた。

「ほら、行くんだろ」

 尾堂は軽く笑って言うと、さっさと施設の玄関に向かって歩き始めた。

 大人しく着いてくる桑原を振り返って確認した時、彼の存在に気づいた通行人たちの声が微かに耳に届いた。

「杖ついてる……」


 建物の外に出ると小さな植え込みとベンチがいくつかあった。

 そこで親子連れ何組かが談笑しつつ食事しているのを横目に見ながら、尾堂は空いたベンチを探して座った。

 桑原は立ったまますぐ隣でそれを見下ろし、真剣な口調で言った。

「……引退したって、ニュースで見た。

 ずっと怪我の治療してたって聞いてたけど、まだ悪いのか?」

「座れよ」

 尾堂は彼を見上げて隣を指した。

 桑原は顔をしかめてただ見下ろしてくる。

 それに溜め息をつき、尾堂は軽く片足を叩いた。

「これ以上はもう直らないらしい。

 だからスケートは辞めた。

 今は就職して会社員だ。

 お前は?」

 桑原は一瞬渋い顔で溜め息をつき、何かを振り切るような勢いで尾堂の隣に座った。

「おれは今、地元のリンクで子どもたちに教えてるよ。

 午後からの試合、教え子が何人か出るんだわ。

 ついでにうちの娘もな。

 まあそっちは午前中でもう終わったけど」

 尾堂は驚いて桑原の顔を見た。

「え、お前子どもいるのか。

 つか、ノービスB? デカくない?」

 彼は尾堂の二つ年上の31歳だったはずだ。

 桑原は唖然とした尾堂に首を傾げた。

「そうか? まあおれは割と結婚早かったし。

 なんだよ、変な顔して」

「……いや、おれが人生足踏みしてる間に同年代が遥か先に進んでたことに衝撃受けてる」

「妙に具体的な感想だな……。

 お前はお前で色々やってたんだろ。

 仕事で来たって言ったよな?

 何やってんの今? スーツ着てるし」

 うっ、と尾堂は言葉に詰まった。

 現在の仕事のことは知人に何となく言いづらい。「……まあ、一応スケート関係? のIT系?というか」

 尾堂は歯切れ悪く言葉を濁した。

「スケートのIT系って……。

 あ、そういや今回の試合、AI判定補助がつくとか聞いたな。

 それか? もしかして」

 桑原が至近距離で尾堂に向けて指さしてきた。

 尾堂は観念して頷いた。

「……それ。

 あと、うちの会社、この試合のスポンサーもやってる。

 つか、出場関係者レベルにもAI判定のことは周知されてるんだな」

「そりゃそうだろ。

 ……こう言っちゃなんだがAIで変な点数つけられるんじゃないかって不安がるコーチとか保護者もいたしな。 

 こんな小規模大会の結果でも進退に影響があるって子も何人かいるから」

 AI仮運用の詳細なことまでは知らないらしい。

 それとも知った上で不安があるのか。

 尾堂は桑原をじっと見て言った。

「いや、試合現場での計測記録収集が目的で、参考データの一つとしてジャッジに提供するだけだから安心してくれ」

 少しの間をおいて、桑原は真顔で頷いた。

「……そうか。

 悪い、お前の仕事の文句みたいなこと言った」

「気にするな。

 確かに、ちょっと胡散臭いだろうしな。

 おれも、もし自分の試合だったらめちゃくちゃ文句言ってたと思うし」

 尾堂の微かな笑みと率直な発言に彼は呆れたようだった。

「自分の職場の事業に対してお前……」

 少しだけ張り詰めていた空気が緩んだ。

 二人の座るベンチの近くにいる親子は彼らを気にすることもなくおのおの食事を続けている。

 男ふたりで昼食をとるでもなく、ベンチ一つを占有して微妙に深刻な空気のまま会話しているのは場違いといえばそうだ。

 尾堂は腕時計を確認した。

 休憩時間はまだしばらくあるが、いつ呼び出されてもいいようにしておきたい。

「桑原、おれそろそろ」

「お父さん!」

 お団子髪の少女が二人のいるところまで駆け寄ってきた。

 桑原は少女に気安く片手を上げた。

「おーどうした。

 もう昼飯食ったか?」

「まだ!

 一緒に食べよ!」

 父親の腕を掴んで引っ張る少女に大人しく従って立ち上がり、桑原は尾堂を振り返った。

「そーだな。

 尾堂、お前も飯まだ?

 一緒に来いよ」

 尾堂は同世代知人の娘という存在に呆然としていた。

「……やばい。

 娘、デカい。

 目茶苦茶育ってる」

 桑原は軽く尾堂を睨んだ。

「女の子にデカいとかいうな。

 9歳だ。

 普通サイズだ。

 別にお前の子でもおかしくない歳だぞ」

「うそだろ。

 そんなこと言ったらおれ、おじさんじゃん。

 ……こわ」

 娘にぶんぶんと両腕を振り回されつつ、桑原は鼻で笑った。

「そうだよ、おれたちはとっくにおじさんだよ。

 自覚しろ。

 ほら、飯行くぞ

 どっかで買うか?」

 早く来いと顎をしゃくられて、尾堂はベンチからのそのそと立ち上がった。

「コンビニ行く。

 昼飯買わないと。

 場所知ってるか?」

「知ってる。

 よくこの会場には来るしな」

 桑原は娘を抱き上げた。

 彼は施設の尾堂を先導して敷地外に向かって歩き出しつつ、少女に笑いかけた。

「よし、コンビニ行くか。

 今日の試合頑張ったからな

 なんかお菓子買ってこう

 クラブのみんなの分もな」

「やった!」

 尾堂はゆっくりとした足取りで和気藹々とした親子の後を追いかけた。


 昼の休憩時間が終わり、ノービスB男子シングルの試合が進んでいく。

 しばらくは技術者たちと一緒にいたが特にその場で彼がやることもない。

 常に待機している必要もないと気づいた尾堂は彼らの了承を取った上で、会場を回って見てくることにした。

 地方の小規模大会がどういう空気かは知っておいた方がいいかもしれないと思ったのだ。

 恐らく、こうした感じの出張はまたあるのだろうし。

 下手に目立っても何か言われても対応が面倒なので、気配を消しつつ会場を一周するようにしてゆっくり散策する。

 だが時折、子どもとがっちり眼が合う時がある。

(こっち見るな)

 杖を持ったそれなりに若いスーツの男、という存在が物珍しいのだろうか。

 子どもならではの遠慮のない眼差しに居心地の悪さを感じる。

 現役の頃によくあった、熱心なファンに捕捉されるイベントとはまた違う種類の圧迫感だ。

 尾堂は極力視線に気づいていない振りをしてその場から逃げ出した。

 リンクを取り巻くそれなりに広い観客席を歩いて見て回り、尾堂は不思議な気持ちになってきた。

(なんかアットホームというか)

 観客席には午前中に参加していた女子選手もいるが、選手の家族だろう親に祖父母、もっと小さな子どもも当然のように試合を見て、応援している。

 トップ選手であった尾堂が出るような大会は大きな試合ばかりだったので、自分の強い意志でチケット争奪戦を勝ち抜いてやってくる観客たちが常にひしめいていた。

(よく考えたら、フィギュアの競技人口ってこういうのがほとんどなんだろうな)

 すぐ近くの席では髪飾りをつけたままの女の子たちがお菓子を分け合いながら男子たちを応援している。

 ごく自然にリンクインした選手の名前を呼んでいるから同じクラブなのかもしれない。

 尾堂は観客席の上に登る通路の途中で立ち止まって少女たちをじっと見つめた。

(当たり前か)

 子どもの習い事を家族やクラブの仲間、学校の友達が応援する、という日常の風景。

 別に、この大会に出場している子どもたち全員がオリンピックや世界選手権を目指してるわけではないのだろう。

 だが、日々必死で頑張って練習していることは確実だ。

 尾堂の視線に少女の一人が気づいたらしい。

 彼が反応するよりも先に全員に周知されたのか、数人の少女たち全員が興味深げに、あるいは不審者を発見したとでもいうようにひそひそと何か相談し始めた。

(まずい)

 ここで彼女たちの親を呼ばれたら面倒というか社会人、企業の人間として相当にやばい。

 尾堂はなるべく自然に眼をそらすと、何事もなかったかのような態度ですぐ近くの空いた席に座った。

 微妙に傷ついた気持ちでがっくりと肩を落とす。

(女の子の集団怖い)

 そろそろ男子の試合も終盤だ。 

 たまたま席に着いた場所がちょうど良い全体が見渡せる位置だったので、尾堂はそこで残りの数人の選手の演技を見守ることにした。

 それぞれ多少のミスはありつつも、皆上手くまとめて滑りきり、最後の一人の演技が終わった。

 観客と関係者で埋まった会場のあちこちから拍手と歓声が響く中、尾堂は立ち上がった。

 そろそろと慎重に階段を降りて、技術者たちが詰めているジャッジ席付近に向かった。


 ゆっくりと歩いている間に表彰式前のトイレ休憩のアナウンスがあり、観客達による一斉の席移動が始まった。

 大勢の人の移動で混雑した通路に尾堂は苦労しながらも目的地に向かって進む。

(もっと早く動いた方が良かったな)

 何度か走る子どもに軽く接触してひやりとするタイミングが発生しつつ、何とか目的地のすぐ傍までやって来た。

 ジャッジ席の裏側の技術者たちが作業しているスペースに近づいていくと、数人のざわめく気配と同時に女の押し殺した怒声が微かに聞こえてきた。

「納得できません!」





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。