第15話 Trace-Σ① 言語化訓練と始めての出張
「このフリー、なんで本番で構成変えた?」
「いや、一応事前に変えるかもっていう想定パターンはいくつか作ってたから」
「実際に試合直前で難易度上げた理由聞いてんだよ」
「……なんとなく?
その日はいける気がしたから」
「もっと言語化しろ」
「身体がよく動いた」
「他には」
「氷の感じが好みだった」
「なるほど。他には?」
「気持ちが上手く乗ってたというか」
「具体的にどんな気持ちだった?」
「……今日はいけると思った?」
「真面目にやれよお前」
「これでも精一杯だ」
(けっこうきついなこれ)
KSI社に正規雇用という形になり、働き始めてから数週間が経過した。
まず土日祝日の公休日以外の日に朝から会社に出勤する。
そして決まっていない時間帯に呼び出され――恐らく開発リーダーであり尾堂担当であろうデリクの手が空いたタイミング――初日のような聞き取りを毎回2、3時間程度行われる。
そして、それが終わると開発室から即追い出される、という流れだ。
そして定時まで尾堂の待機場所として用意された部屋で開発途中であるAI判定システム、Trace-Σについての勉強をしている。
ちなみに尾堂に与えられたのは雇用契約について佐々木と話した小部屋だ。
あまり使われていない打ち合わせルームであったらしいのだが、新入社員に個室提供とは大盤振る舞いな気もしている。
確認したらこれも尾堂への配慮と囲い込みの一つであるらしい。
色々思うところはあるがありがたく受け取り、佐々木と軽く部屋を片付けた結果、デスクと休憩用のソファとオフィスラックだけのこざっぱりとした空間になっている。
その部屋が恋しくなるほどに今日の聞き取りはきつい。
これまでの数週間の仕事は過去の試合映像の選手の動きを元競技者の目線で言語化する、というものだった。
何でそんなことをするのか? と訊くと、デリクは言った。
「おれらみたいな技術者は、映像解析やセンサーの数値でどういう技術か、成立しているのか、失敗したのか、はわかる。
今までの開発でそこはもうほぼ完成してるんだよ。
で、問題は、選手がなぜ攻めたのか、なぜ守ったのか、なぜ成功したのに評価が伸びないのか、なぜ転倒前にもう諦めていると分かるのか。
それが数値では理解できなかったからだ。
だから常に開発側にそれを教授する元競技者が必要だった。
競技者とジャッジの暗黙知を徹底的にシステムに組み込むためにな。
で、せっかく協力させるなら木っ端選手なんていらん。
最高の選手であり、世界中から集まった最高のジャッジのフィードバックを受けて競技していた奴、つまりお前だ」
「……まあ、それならわかる」
そのようなやりとりがあり、尾堂自身も納得して日々真剣に競技の言語化作業に勤しんでいたのだ。
その作業が慣れてきたところ、今日になって始まったのが尾堂自身の過去の試合の言語化だった。
何故自分自身がこの時この選択をしたのかの理由、また何を考えていたのかなど、記憶をひたすら掘り起こして言語化する作業だ。
単純に忘れた、というのももちろんあるがデリクはそれには納得しない。
それなら自分ならどうしてその行動をしたのかを想定して答えろと命じられる。
だがそもそも、過去の経験則から無意識レベルで行動していたことも競技としては当然であり、そんなこと訊かれても困る、というのが正直なところだ。
だがなにより苦痛だったのは怪我をする前、縦横無尽にリンクを滑り跳ぶ彼自身のもう戻れない時間を、杖なしでは歩くこともできない今、直視させられるということだった。
だんだん気持ちが落ち込みつつも何とか質問に答え続けていると試合映像の一つが終わった。
隣のデリクが腕時計を見つつ頷く。
「よし、今日はここまでだ。
もう戻っていいぞ」
「……ああ、おつかれ」
脳と心にダメージを受けてげっそりとした思いで尾堂が言った。
数時間座り続けて違和感のある腰と僅かに痛む足を擦りながらオフィスチェアから立ち上がった。
適当に技術者たちに挨拶をして開発室を出ようとふらふらと杖を手に歩き出したところで、デリクから声がかけられた。
「尾堂、お前明日から出張だから、もう退勤して準備しとけ」
さらりと命じられた新規業務に尾堂は少し驚いて振り返った。
「……出張? しかも明日から? 急じゃないか?」
「別に急じゃない。
もう結構前から決まってた。
おれがお前に伝えるのを忘れてただけだ」
「それは忘れるなよ」
作業する手を止めることなく平然と答えるデリクに尾堂は突っ込んだ。
本来、デリクは彼の上役に当たるのだろうが、初対面が初対面であったのでどうにも丁寧な対応をしづらい。
さすがに社会人としてどうなのかと一度敬語で話しかけてみたが、本人に変な顔をされたのち拒否されたためこんなざっくんばらんな態度で固定してしまった。
「悪かったな。
じゃ、メールで詳細送ったから見とけ。
新幹線のチケットもな。
ここにいる技術者連中も数人同行するから相談はそいつらとやれ」
新幹線、ということはある程度遠方への出張だ。
そして技術者も同行するという。
尾堂は首を傾げた。
「……何が目的の出張なんだ?」
デリクは面倒臭そうに近くの棚を漁って分厚いファイルを抜き取り、近くにいた技術者に押しつけて尾堂に渡すように命じた。
とっとと作業に戻った背中を見つめる尾堂に向けて、彼は言った。
「地方のノービスの大会にTrace-Σの仮運転を押し込んだ。
AI判定の営業活動と運転の補佐をやって来い」
当然だが、フィギュアスケートには著名な国際大会や全国規模の大会のほかにもB級、地方大会が数多く存在する。
実を言うと尾堂自身は地方の競技会に出場したことは、幼い頃を除いてはあまりない。
中学生の頃には大きめの大会に出場できる成績がすでに得られており、そちらの試合を優先して動いていたからだ。
さらにシニアに上がってからはそれこそ世界選手権やグランプリシリーズ等々、世界中を駆けずり回って転戦してきた。
なので、尾堂にとって地方のノービス大会はほとんど未知の領域だった。
もちろん幼い頃には出場してきたが、年齢29歳の男の記憶など何の当てにもならない。
今回、開発途中のAI判定システムに計測させるのは、ノービスB――9歳から10歳の子どもたち――の競技会だ。
すでに会場入りしており、尾堂は技術者の数人と共に試合が始まる直前のリンクサイドに待機していた。
もうすぐ始まるのはシングル女子。
年齢区分として一番下のノービスはジュニア、シニアクラスと違ってフリースケーティングのみの一発勝負になる。
すぐ目の前の氷上で小さな女の子たちが真剣な顔で動きの確認をしている。
観客席はまばらに埋まっておるが、恐らくほとんどが出場選手の家族や知人などの関係者のようだ。
「もしかして緊張してますか?」
リンク脇のジャッジ席付近に持ち込んだ機材の調整を終えた技術者が、隣でそれを見守っていた尾堂に訊いた。
「少し」
尾堂は正直に頷いた。
それに数人いた技術者の一人が軽く笑った。
「大丈夫ですよ。
Trace-Σでの計測はしますが、これは一つの参考データとしてジャッジに提供するだけです。
今回はそこまで責任重大な案件ではないですから」
「それは聞いています。
でもなんだろう……、独特の雰囲気がありますよね。
変な緊張感があります」
デリクにメールで送られた資料によると、この出張によるTrace-Σの仮運用の目的は、AI判定の非公式参考判定を行い、現場の文句を聞き、現場での使用実績を作ることだ。
そして昨日渡されたファイルに入っていたのは過去の仮運用の記録とフィードバックによるシステム改善の詳細だった。
尾堂が仮運用に参加させられているのはその現場を見て元競技者目線での突っ込みがないかを期待しているらしい。
完全に何らかのセンサー扱いだ。
複雑な思いでいる尾堂に、機材を気にしながらも技術者たちが不思議そうな目線を向けてきた。
「尾堂さんがそんなこと言うのは意外ですね。
もっとよっぽど大きな国際大会に出ていたでしょう。
いつも平気な顔して」
今話していた彼も尾堂の現役時代の試合を確認いていたらしい。
AI採点システムの技術者なので当然ではあるが。
尾堂は少しばつが悪い思いで視線を逸らした。
彼の向けた視線の先には、リンク上に立つ一人の少女がじっと音楽の始まる瞬間を待っている。
もう練習時間は終わり、試合開始の時間だった。
「あんな小さな子もちゃんと試合出るんだなって。
観客席もなんというか、身内感あるし。
上手く言えませんけど」
少女の演技が始まった。
それと同時にTrace-Σの計測が始まり、技術者たちがその動きに釘付けになった。
観客席も一気に少女の演技に引き込まれ、一つの要素が成功するたびに歓声が上がった。
(そもそも、リンクに来るのが相当久しぶりだな)
三年前に怪我をしたその日から、必死の治療とリハビリの毎日の中、氷に近づくことは一切なかった。
(……戻ってきた)
どこか感傷のような、胸に強く込み上げる想いを今は心の奥に押し込める。
そしてAIによる技術の計測確認は技術者たちに任せ、尾堂は直接、目の前のリンクの演技を注視した。
女子シングルノービスBの試合は無事終了した。
小規模大会であるゆえに、今日の午後に男子シングルノービスBの試合を一気にやる予定らしい。
現在が昼12時少し過ぎである。
試合が終わって気持ちの緩んだ女子選手たちとその家族とコーチが帰宅しようとしていたり、午後の男子の応援に向けて昼食を摂ろうとしたりでロビーは人でごったがえしている。
当の男子選手たちも早めの食事を終えて各々ジャージやすでに着込んだ衣装のまま更衣室近辺をうろうろしていている。
地方大会だと思って甘く見ていたが意外にも人が多く、杖必須の尾堂にとっては移動しづらい。
今のうちに休憩と食事をと勧められた尾堂は、とりあえず人にぶつからないように気をつけながら顔をわずかに伏せて壁際をゆっくりと進む。
「あれ?
……もしかして尾堂か? まじ?」




