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第17話 Trace-Σ③ 保護者対応と子ども向け採点講座(ファンサつき)

「お母さん、落ち着いてください」

「おかあさん……」

 品の良い服装の女が、ジャッジの責任者だろう初老の男に詰め寄っているのが見えた。

 彼女のすぐ傍には衣装にジャージを着たままの男の子が泣きそうな顔でたたずんでいる。

 さらに、その子の肩に腕を回した人物、首にコーチ証をかけている男も難しい顔をしているという状況だった。

 少し離れたところで技術者たちが床に屈んで機械を確認しているのも確認できた。

 彼らも時折、揉めている数人に向けて何かを言っているようだ。

 尾堂がどうしようかと様子を伺っていると、彼らの会話が聞こえてきた。

「何で一位の子よりもうちの子のダブルアクセルの点数が低いんですか? 

 この子のほうが出来がよかったじゃないですか!」

「総合的に技術をみて評価をしましたので、今回の結果になりました。

 ご理解願います」

「総合的も何も、誰が見てもこの子のジャンプがが大きくて迫力があったじゃないですか!」

「採点はそれだけをみるものじゃないんですよ。

 もちろん、彼の迫力のあるジャンプはちゃんと評価対象になっていますから」

 冷静に宥めるジャッジの男に、しゃがんでいた技術者の一人が声をかけた。

「問題の要素はこちらです。

 ご確認お願いします。

 一位の子と、こちらのお子さんのダブルアクセルを別画面で再生します」

 さり気なく尾堂も彼らの傍に近づき、機材のモニターとパソコンに流れる映像に眼をこらした。

 皆が一斉に黙って二つの画面を見つめる。

 短い動画がそれぞれの画面に数回流れたところで技術者たちが顔を見合わせて頷いた。

 そのうちの一人が画面を丁寧に示して言う。

「……と、いうわけです。

 ちなみにそれぞれ、画面下の数値がうちのシステムで算出した採点結果になりますので、ご査収ください」

 何故か誇らしげな技術者たちに、その場に白けたような沈黙が訪れた。

(空気を読め開発チーム)

 尾堂が技術者たちの態度に呆れつつ内心で突っこみを入れたが、彼らはそれどころではない。

 子どもを見ていたコーチの男がどこか疑うような眼差しでTrace-Σの機材をじっと見つめた。

「確かに二人のジャンプの映像を見ると、こいつがそこまで点数が伸びなかった理由もわからなくはありません。

 ……でもこのAIの数字見て点数寄せたのもあるんじゃないですか?

 こんなにAIとジャッジの採点が揃うなんておかしいでしょ」

「寄せていません」

 わずかに感情の混じった声でジャッジがそう言った。

 さすがに耐えかねる発言だったのかもしれない。 一気にその場の空気が重くなるのが尾堂のいる離れた場所からでもわかった。

 そんな状況にも関わらず、ここぞと言わんばかりに技術者が顔を上げて拳を握った。

「国際ジャッジの基準に合わせてAI判定の精度を上げています。

 だから採点が揃うのは当然というか。

 あと、GOE構成要素はですね」

「専門的な話はいいです!」

「話がややこしくなるので今はご遠慮願います」

 激高した母親と冷たく言い放つジャッジに技術者が撃沈された。

 また彼らが強い言葉で言い争いを始めたところで、尾堂は渦中で固まっている子どもに気づいた。

 彼は青ざめた顔で大人たちを見上げて時折何かを言いかけ、そのたびにあしらわれるか宥められるか、という状態にただ呆然とした顔をしていた。

(本人置き去りにするなよ)

 尾堂自身もなんだかもやもやとした気持ちになってきた。

 その時、背後から勢いよく肩を掴まれた。

 驚いて足元がふらついたが、何とか堪えて振り向くと、すぐ近くに桑原がいた。

「尾堂! やっと見つけた。

 探してたんだよ」

「桑原、驚かせるなよ。

 転ぶかとおもっただろ」

「悪い。でもまさか現場にいるとはな

 ……で、状況わかるか?」

 桑原が控えめに少し離れた場所で言い争う人々を親指で指した。

 こちらの様子には気づいていないらしい彼らを見ながら、尾堂は頷いた。

「採点が不満らしい、ていうのはわかった」

「そういうことだ。

 あの子、うちのクラブの先輩の教え子。

 優秀なんだけど、最近微妙にスランプなんだ。

 ついでにお母さんがめちゃくちゃ熱心な人でな」

「なるほどな」

「今回の試合結果で上位クラブの推薦決まるから期待した成績じゃなくてテンパっちゃってな、あんな感じだ。

 というわけでお前、説得してくれ」

「はあ?」

 謎の要請に尾堂が唖然として桑原を見ると、彼は尾堂に大きく頷いた。

「ノービスB、10歳男子のフィギュアに熱心なお母さんが元世界王者、尾堂稜を知らないわけないだろ。

 お前なら沈静化できる、行け」

「いや……興奮してるお母さん落ち着かせるなんてできねえよ。

 今まで生きてきてそんなのやったことない」

「いうてお前、あと15分もしたら表彰式だぞ。

 このまま抗議してても点数も順位も変わらん。

 むしろあの子に変な印象がつく可能性のほうがが高い。

 お前、一回全部引っ掻き回してくれよ」

「全く……何を期待してるんだ」

 ぼやく尾堂の背中を桑原は押し、二人でどんどんと前に進む。

 散々揉めていた彼らもさすがになんだ、と尾堂と桑原を見たが、すぐに自分たちの会話に戻る。

 ただ、尾堂がいることにようやく気づいた技術者は尾堂さん、と呟いて何か言いたげだった。

 尾堂はそれに頷いて、無造作にジャッジと親子、コーチの前を横切って技術者に声をかけた。

「すみません、さっきの映像、もう一度流すことはできますか?」

「ちょっと、今こっち取り込んでるから!

 関係ない人はこないで!」

「すみません、うちの社員です」

 桑原の先輩だというコーチの男が苛立ったように声を荒げ、慌てて技術者の一人が説明した。

 尾堂はそのやりとりを無視して一瞬母親を見たがすぐに視線を逸らして子どもに声かけた。

 小さな身体がびくりと大きく震えてすぐ隣のコーチの背後に隠れた。

 怖がらせてしまったらしい。

 やれやれ、と尾堂は少しだけ苦労しつつ、子どもの前に屈もうとその場に杖を置いて膝をゆっくりと床につけた。

 気づいた桑原が慌てて尾堂の身体を支えて手伝う。

 ちなみに文句を言いたげだったコーチも杖装備という身体属性に怯んだのか口をつぐんでいる。

 これ幸いと尾堂は地べたにしっかり座って、コーチの背後から顔だけを出してきた子どもと目を合わせた。

「で、お前はこの採点、納得してるか? 

 それともおかしいと思う? どっちだ」

 そう訊くと、子どもは少し迷ったように大人たちを見上げ、俯いた。

「……今日は絶対うまくできたと思ったから、悔しくてお母さんに点数変だって言った。

でも、こんなに怒られるなら言わなきゃ良かった」

 尾堂は頷いた。

「そうか。

 つまり、お前は自分の演技の方が上だった、ってのは実は今でも思ってる、そうだな?」

 子どもがあからさまに震え上がって慌てて隠れようとした。

 それに尾堂は腕を伸ばし、彼の手を軽く押さえて引き留めた。

「別に怒ってない。確認しただけだ。

 だから、なんで今回こういう採点になったのか説明する。

 それ、聞くか?」

 淡々と質問する尾堂に、子どもが警戒を解いたらしい。

 おずおずと歩み寄ってきた彼に頷き、尾堂は技術者に声をかけた。

「すみません、こっちにモニター二つ持って来てください。

 ちょっと動けないので」

 即座に快諾して準備を始めた技術者たちを見守っていると、母親が駆け寄って来て息子を強く引き寄せた。

「勝手に話を進めないでください!

 説明はもう聞きました!

 でも納得できないんです!」

「じゃ、もう一度聞いてください」

 尾堂はあっさりとそう言い、子どもを手招いた。 彼は母親をちらりと一瞬見上げたが、すぐに手を振り解いて運ばれてきたモニターとノートパソコン二台に向き合う尾堂の隣に立った。  

 母親が尾堂の発言に二の句を継げないでいる間に、映像が再び流れ始めた。

「問題のジャンプはこの直後からです。

 リピート、スロー再生させることもできますよ」

「あ、そうしてください」

 技術者の提案に頷き、繰り返される映像を見ながら画面を指さした。

「まずお前だな。

 先に良いところからだ。

 一番はアクセルの高さがかなりでてる。

 あと、飛距離、幅もあるな。

 相当な迫力がある。

 それは自信があるだろ」

「うん」

 子どもが少し嬉しそうにそう言った。

 尾堂はあえて感情を抑えた口調で淡々と続けた。

「次に良くないところだ。

 まず、助走が長い。

 それでいて跳ぶ直前に滑走のスピードが落ちていて、さあ今から跳ぶぞ、ってあからさまに見える。

 で、上手く降りたは良いが、そこで綺麗に流れずに止まってしまった。

 だからここで出来栄えの減点だ。

 それが良いところとプラスマイナスされてGOE加点が1.1だな。

 それで、期待していたほどダブルアクセルの点数がつかなかった」

 ジャンプが繰り返し流れる映像にその場の全員の視線が集まった。

 先ほどは嬉しそうだった子どもも、黙りこんでじっと自分の映像を見つめた。

「次に一位の奴な。

 気になるだろうジャンプの高さと飛距離は、ぶっちゃけ普通だ。

 別に悪くもないが、これだけで圧倒的ってわけじゃない。

 確かにここだけ見ると、明らかにお前のダブルアクセルの方が質が良いな。

 で、なんでこいつのほうが点数が良かったのか?

 これ、ちょっとしっかり見ろ」

 尾堂の意図を汲み取ったらしい技術者が彼の言葉に合わせて映像を最初の助走から最後までをスローにして繰り返し再生した。

「……お前と比べると助走が短い。

 ジャンプの入りが自然でわざとらしくない、かつ、前触れほぼなしに跳んでる。

 アクセルを降りた後も、そのままスケートが流れて次の動きの要素に繋げている。

 音楽にも動きが合ってるだろ」

「……ほんとだ」

 ひどく小さな声で子どもが同意した。

 尾堂は隣の彼を見た。

「確かに一位のこいつにもまだ足りないところはあるが、技術の完成度は高い、と言える。

 だからこいつの出来栄え点がお前より上だったし、今回優勝したんだ。

 納得できるか?」

「……うん

 おれ、全然ちゃんとできてなかった」

 少し潤んだ目をして子どもは俯いた。

 床に座り込んだままの尾堂は彼の顔をわずかに見上げて小さく笑いを漏らした。

「いや、全然ってことはないから」

 想像以上にしょげてしまった少年をフォローしようとしたところで、彼の母親が悔しそうに口を挟んだ。

「……そんなの、素人はわからないですよ。

 ややこしい決まり作って、頑張ってる子どもを混乱させるなんてひどいです」

尾堂は背後に立っていた彼女を振り返った。

「わからないってことはないと思いますよ。

 少なくとも、この子は素人ではないので。

この競技の評価基準がややこしいのはまあ、確かですけど」

「そんなこと言ったって。

 この子、絶対才能あるんです。

 この試合ですごく良い成績出せたら、もっと良いクラブに移籍できるはずだったのに」

 尾堂は視線を再び隣の子どもに移した。 

 ずっしりと落ち込み、無言で涙を零し始めた子に尾堂はあえて少し強い口調で言い放つ。

「いちいち落ち込むな。

 泣くほど悔しいなら親もジャッジも全部利用するつもりでいろ。

 減点された、悪いところが明確ならそこを直せばいいだけだろ」

 子どもの細い肩を数回軽く叩いてやると、彼は

びっくりしたように尾堂を見かえした。

 複雑な表情を浮かべた母親が、驚いた拍子に涙を止めた息子を見つめている。

 顔を袖で拭って何か考え始めたらしい子どもの頭を彼のコーチがわしわしと荒っぽく撫で回した

 一件落着、に向かい始めた空気に初老のジャッジもほっとしている様子だった。

「おれたち、そのこと最初にめちゃくちゃ話したのに……」

 機材を見ながらも技術者たちが妙に無念そうにぼやいた。

 尾堂は呆れた思いで彼らに教えてやった。

「基本、胡散臭いんですよ、AI判定システムは。

 さっき関係者に聞いたところによると、すごい保護者に評判悪いみたいですよ」

「尾堂さんだって一緒にシステム作ってるじゃないですか」

 尾堂は鼻で笑った。

「作ってるというか、おれは何がしかのセンサーらしいですけどね。

 どこかの開発リーダーによると」

「……尾堂?」

 KSI社のメンバーたちのじゃれ合いにジャッジの男が何かを感じたのか、少し離れて見守っていた場所から尾堂の背後に近づいてきた。

 それに気づいて尾堂座り込んだまま上を向き、ばっちりと目が合った。

 ジャッジの彼は仰天したように眼を丸くした。

「尾堂稜さん⁈ あなた、何してるのこんなところで!」

 どうやら尾堂を知っていたらしい。

 尾堂自身はこの初老のジャッジの顔は記憶にないが、狭い業界なので当然といえば当然だろう。

 尾堂は苦笑いを浮かべた。

「え、何……仕事してます、多分」

 採点に不満のある母子とジャッジの仲裁は彼の仕事なのかという疑問はあるけども。

「仕事……?」

 ジャッジが不思議そうな顔をした。

 尾堂はさりげなく彼から視線をそらした。

 そんな間、母親は口元を手で覆いながら妙に興奮したようにそわそわしていた。

「……え、稜くん? 嘘?」

「誰? 知ってるひと?」

 もう落ち着いたらしい子どもが母親と尾堂とを交互に見た。

「お母さんが昔から……大好きな人!」

「……そうなの?」

「うん! 正直、お父さんなんかよりもずっと格好いいよね!」

「お父さんより⁈」

 不穏な発言に子どもは衝撃を受けたように言葉をおうむ返しに叫んだ。

 嬉しそうな母親とは対照的に彼は尾堂を怪しむように見た。

 つらい。

 先程のやりとりで彼と築けたような気がした信頼が一瞬で壊れた。

「お子さんに誤解が生じています。

 旦那さんへの好意とは別種のもの、競技由来のものであるとあると説明してください」

「ねえ! 握手してもらお! ほら!」

「ええ……」

「聞いてますか、お母さん」

 はしゃぐ母親が強引に息子の腕を掴んで引きずり尾堂に大股で近づいてくる。

 仕方がなく目の前に突き出された手を取って雑に握手する尾堂を見て、桑原がしみじみと言った。

「やっぱりなんかお前、昔より妙に言語化力あがったよな……」

 それは多分、某上司兼AIシステム開発リーダーの延々と続く聞き取り訓練の成果だ。

 不審者を見る眼差しで尾堂を見る子どもの手をあえてしっかりと掴んでぶんぶんと大きく軽く振った時、会場にブザーの音が響いた。

 気がつけばもう休憩時間の終わる五分前。

 そろそろ表彰式が始まる。

 リンクサイドには男子の上位三人が控えているのが見えた。

 観客席も続々と人が戻り、段々と埋まってきていた。

 ジャッジの男がその場にいる全員を見回して言った。

「時間ですね。

 皆さま、戻りましょう

 ……君、今日の演技はとてもよかった。

 次の試合は優勝目指して頑張りなさい」

 立ち去る直前の穏やかな言葉に、子どもはジャッジに向き直って慌てたように頭を下げた。

「……はい。

 今日はありがとうございました。

 困らせてごめんなさい」

「うん、次に生かせればいいよ」

 そんな彼らを横目に尾堂は桑原の手を借りて立ち上がり、適当にスーツの膝の埃を払った。

 桑原は何故か満足そうに何度も頷いた。

「やっぱりお前強いよな」

「なんだよそれ……どうですか?」

 機材を取り囲んで言葉を交わす技術者たちに尾堂が声をかけると、皆が一斉に笑顔で振り向いた

 尾堂が怯んで一瞬身を引いた時、技術者の一人が嬉しそうに言った。

「バッチリです。

 ユーザーの具体的な不満点、使用体験も聞き取りできたのは収穫でした!

 今回の仮運用は大成功ですね!」

 隣にいた桑原の顔が引きつった。

「怖い」

 尾堂は頷いた。

 KSI社で働くようになってからの彼自身が痛感していたことだ。

「AI技術者って基本こういう連中らしい。

 やっぱりやばいよな、こいつら」

「大丈夫? お前」

 尾堂は複雑な想いを抱えたまま微笑んだ。

「やるしかない。

 ……こんな今のおれでも、スケートと関われるんだからな」



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