第13話 社会復帰 競技経験者超優遇雇用案件(高収入・高待遇・福利厚生あり)
テレビ局に到着したときはまだ夕方前だったが現在はもう完全に陽が落ち、走る車の窓の外はほとんど薄暗くなってしまっていた。
冬の木枯らしが舞う都内の光景を眺めつつ、尾堂はスーツのジャケットを脱いで適当に座席にかけた。
靴を脱いで後部座席に窮屈ながらも横たわる。
「……朝からずっと動いて疲れた。
勝永、悪いけど会社着くまでの間、少し横にならせてくれ。
何かあったら声かけろ」
「わかりました。
尾堂さんの会社の位置は覚えてるんで、ゆっくり休んでください」
「助かる。
眠りはしないから用があったら遠慮せずに言えよ」
「了解です」
勝永がハンドルを握って前を見たまま頷いた。
それを確認して尾堂は瞼を閉じた。
しばらくスムーズに移動する車の心地よい揺れを感じていると、段々眠気が襲ってきた。
それを何とか振り払おうと苦心していたところで、勝永がおずおずとした声で話しかけてきた。
「……あの、すごい失礼なこと聞いてもいいですか?」
尾堂は座席に横たわったまま瞼を薄く開けた。
運転席に座る勝永の後ろ姿を見ると、彼の肩の線が少し緊張したかのように力が入っている。
「お前は割といつも失礼だろ。
なんだ?」
「尾堂さん、元はすごいフィギュア選手で、多分後輩想いな人なのに、なんでTrace-Σの運営なんてやってるんですか?
AI判定で選手、損してますよね?」
思い切ったような、強い口調だ。
ずっと心に秘めていた疑問なのかもしれない。
尾堂は少し声を立てて笑った。
それに反応したのか、勝永の後ろ姿が硬直する。
「本当に失礼だな」
笑い含みの尾堂の返答に、勝永は力なく肩を落とした。
「すみません。
でも、尾堂さん自身は仕事が嫌にならないのかなって」
車は順調に都内を移動して会社へと進む。
寝ながら見上げた窓の外の暗い空からは白い雪がまばらに舞い降り始めた。
何となくそれを眼で追いながら尾堂は過去を想う。
「今回は確かに駄目駄目だけどな。
やっててよかったことも確かにあるんだよ」
「良かったこと……ですか?
具体的にどんな……?
あ、すみません。
休んでたのにややこしいこと訊いて」
尾堂が休憩していたことを思い出したらしい勝永が急に慌てだした。
今さらな彼の対応に尾堂はいや、と言って仰向けにしていた身体を運転席側に向けた。
片腕を枕にして頭の位置を調整する。
「いいよ別に。
眠気覚ましにちょうど良い。
とりあえず、おれがなんで今の仕事してるか、だな?
それは単純に、引退後の就職に困ってたからだな」
「えっ。
なんですかそれ?
もっとすごい覚悟とか、熱い理念とかそんな感じの強い想いがあったんじゃ⁈」
勝永は勢いよく振り向いた。
危ない、前向け。
片手で前方を指示すると、勝永は慌てて安全運転に戻った。
それを確認した尾堂は鼻で笑った。
「故障アスリートの社会復帰舐めんな」
「え」
今まで赤だった信号が青になって車が動き出した。
尾堂は続ける。
「今の職場の提示条件は破格だった」
「ええ……?」
「現役復帰断念当時、30歳近く」
怪我した当時から3年ちょいはリハビリしてたからな、と補足した。
「生活、就労に響く障害あり」
怪我をした足を軽く叩いた。
「職歴ほぼスケート」
学歴も人間関係もほぼそれな。
「そこに、競技関係で基本は内勤デスクワーク、高収入かつ福利厚生ありの大企業スカウト求人。
断る理由、あるか?」
「……ないですね……」
物凄く腑に落ちたような勝永に尾堂はそういや、と追加した。
「つか、おれ自身も昔、フィギュアでAI判定とか絶対無理だろって思ってたしな」
「そうなんですか⁈」
またしても勝永が勢いよく振り向いてきた。
だから、前向けって。
そう注意しようとしたが、信号が赤になっていることに気がついた。
いちいちタイミングが良いのか、実は抜け目がないのかわからない男である、勝永。
尾堂は仰向けで両腕を頭上で組んで枕にした。
「当時はまあ、色々、大変だったな……」
「フィギュアスケートのジャッジ、判定はカードゲームじゃない。
過去から現在に至る歴史の地層であって、あらゆる揉め事を想定したルールブックなんだ。
言うなれば法廷だ。
ぽっと出のAIシステムなんかに全部理解されてたまるかよ」
ちょっと格好つけすぎたな、と思いつつも尾堂は就職先の先輩となる予定の技術者たちを睥睨した。
結局、尾堂の片足は完全には回復はしなかった。 念願のオリンピック出場を確定後、直前の国際大会の会場での事故での大怪我。
次回のオリンピック出場を目指したが、必死のリハビリも甲斐なく杖無しで自力で歩けるようにすらならなかった。
氷に乗れる程度の回復も、ましてや優秀な後輩たちを押しのけて選出される成績も積めない。
だから尾堂はスケートを諦め、引退することにした。
ここで、彼は新たな問題にぶち当たった。
引退後の就職、今後の生活保障だ。
「なんもできないが?」
尾堂は就職サイトを各種渡り歩きながらぼやいた。
フィギュアスケートはアマチュア競技だ。
世界王者だろうがオリンピックメダリストだろうがそれで一生食っていけるわけではない。
現役中に今後の所属先を決めておく選手もいるが基本、仕事を始めるのは引退後だ。
先輩たちのセカンドキャリアで多いのは、プロスケーター、振付師、リンクスタッフ――まずここまでは除外。もう滑れないので――解説者、タレント――はオリンピアンレベルの実績が不可欠。
一部は完全に裏方に回る場合もあるが、その場合でも伝手が必要だろう。
競技に打ち込み過ぎてそちら方面の繋がり作りはあまりしてこなかった尾堂にとっては痛手だった。
ならば一般企業だと意気込んで就職サイトを巡ってみたが、当然ながら健常者前提の求人だ。
「どうするかな……」
座っていたベッドのどこかに適当にスマホを放り投げ、尾堂は腕を組んで仰向けに倒れ込んだ。
ちなみに、彼が連盟に引退を申し出てからもう2週間近くが経過している。
その直後からしばらくは実務的に忙しかった。
今まで世話になっていたリンクや関係者に引退の挨拶をしたのがまず一つ。
また復帰の見えない長期の完全休養に入ってもなおスポンサー契約を続けてくれた企業に礼を言って契約解除だのという類いの用事だった。
やっと自分自身の今後のみを考えられるようになったのがほんの昨日だ。
それで現在、未来がかなり詰み気味だという壁にぶち当たっている。
現在、彼は実家で生活しているので即座に生活に困るわけではないが、いつまでも世話になっているわけにはいかない。
現在無職で30歳近くになる職歴無しの身体障害者。
相当きつい肩書きである。
しかし、実家が彼をかなり気遣ってくれるので、このままでいればぬるっとニートになりかねないのが不安なところだ。
「それは駄目だろ……」
とりあえず、各種知人と、気まずいが元スポンサーに総当たりで……。
そこまで考え、いつの間にか追い詰められていた自分に気づき、尾堂は一度大きく深呼吸をした。
視線を落として、筋肉のばっさり落ちてしまった片足を見つめた。
太ももからふくらはぎ、足首から爪先までを軽く揉むようにして触れる。
少しは動くし、鈍い痛みがある程度には感覚もある。
でも、もうこれ以上は戻らない。
「全部、なくしたな」
ぼんやりとそう呟いた時、どこかで電話が鳴った。
尾堂は身体を勢いよく起こしてスマホを探す。
「どこいった?」
ベッドの布団の上を手で撫でて探るがなかなか見つからない。
立ち上がるのは手間なので這う姿勢でスマホを捜索することしばらく、長い着信が続いた後、電話の音が鳴り止んだ。
「ほんとどこ……あった」
ベッドの下に落ちているのを発見した。
先程放り投げた時に勢い余って転がっていったらしい。
「KSI?
どこだ? これ」
尾堂は液晶画面に表示された受信先の名前を見て眉を顰めた。
スマホに登録された電話番号にある以上、彼自身がやりとりしたことのある相手ではあるのだろうが、正直記憶がない。
一応検索してみたが、アルファベット3文字のほかに手がかりがないので脈絡のない結果しか出てこなかった。
「……まあいいか」
留守電も残っていないし、直接訊いてみるしかない。
そう決めると、尾堂は履歴から電話をかけることにした。
耳に押し当てて何回か呼び出し音が続いた後、丁寧な男の声が聞こえてきた。
『折り返しのご連絡ありがとうございます。
わたくし、Kinesis Systems International(キネシス システム インターナショナル)の佐々木と申します。
こちら、尾堂稜さまのご連絡先で間違いはなかったでしょうか?』
「Kinesis Systems……。
はい。尾堂です」
誰だったかな、と思いつつも尾堂は頷いた。
電話の向こうの男は続けた。
『このたび、競技引退との報道を聞き、連絡させていただきました。
実は、弊社で新しいスポーツAI判定事業を計画しております。
そこでお願いがあります。
あなたの競技経験と知識を貸していただけないでしょうか?』
Kinesis Systems International。
略称は KSI。
センシング技術とAI開発を主力としており、他にもモーション解析や自動認識システムではそれなりに名が通っている大手企業だ。
大手テクノロジー企業として世界中に支部があり、その日本支部は休養前、尾堂のスポンサーでもあった。
尾堂の各種ジャンプをメインとした動きの詳細データを計測していたという経緯があり、彼の練習先のリンクにKSIの社員が大仰な機材を持って押しかけてきたことが何度かある。
だがそれ以外では基本的に接触もなく、ただ資金提供だけをしてくれるというある意味非常に親切な契約先だった。
尾堂にこの企業の記憶がなかったのは彼自身が直接対応しなくてはならない状況が契約時以外にはなく、チームに任せていたからだ。
彼の怪我での無期限の休養を伝えた時に真っ先に契約を打ち切ってきたスポンサーの一つではあるが、尾堂自身にこの企業に対する悪感情は全くない。
だが、彼らの業務計画自体には懐疑的だ。
「……ということで、現在、フィギュアスケートのシングル、ペア、アイスダンスの90%以上のAI判定のシステムは完成しています。
ですが、特にシングル競技においての残り10%弱がどうしても埋まりません。
スポンサーとして協賛したB級大会で判定の参考データを計算してジャッジと選手たちに提供したのですが、必ず彼らは呆れるか、さもなくば怒り出す、という状況が続いているのです。
そこで、競技については圧倒的な知識量と経験則があり、過去に弊社でスポンサードしていた尾堂さんにご協力いただければとお願いしたのです」
「なるほど。そういうことだったんですね」
KSI日本支部の本社の最上階、広い会議室で説明を受けた尾堂は頷いた。
「それで、尾堂さんとしては、如何でしょうか。
先程システムについて説明させていただきましたが、今の時点で何かご意見はありますか?」
AIシステムの開発の発端と現時点での技術の解説をしていた司会の男が丁寧に尾堂に話を振った。
彼は長テーブルの真ん中の椅子に座り、目の前を説明用のスライドを眺めながら片手で顎を擦った。
「そうですね……。
正気か? とは思いましたよ」
「は……」
尾堂は軽く噴き出すようにして笑った。
「あなたたちはフィギュアスケートはAI判定に向いていると言った。
美しさを競う採点競技のようでいて、明確な技の成立基準、各ジャッジの採点の上下切り捨てによる恣意的な個人意思を排除できる公平さの確保。
決められた手札でのみ戦うボードゲームに近いシステムであり、機械での採点が容易なスポーツ。
なのに何故かAI判定支援の競合が少ないブルーオーシャンだと。
――笑わせますね」
部屋の中には、尾堂と司会者の男のほかに、実際にAIシステムの構成をしているという開発チームの技術者たちがいる。
尾堂は部屋の中の人々全てを睨み付けて言った。
「フィギュアスケートのジャッジ、判定はカードゲームじゃない。
過去から現在に至る歴史の地層であって、あらゆる揉め事を想定したルールブックなんだ。
言うなれば法廷だ。
ぽっと出のAIシステムなんかに全部理解されてたまるかよ」
こんなことは言わないほうが良い。
せっかくの果てしなく好条件のスカウト求人案件だ。
そう頭では理解しつつも、どうしても胸の中の強いむかつきが収まらない。
大きく肩で息をする尾堂に、あからさまな嘲笑が投げかけられた。
「元世界王者さまは毒舌だな。
大怪我して引退したって?
で、意気消沈してんのが来るかと思いきやずいぶん活きが良いじゃねえか」
「……あなたは?」
オフィスチェアにふんぞり返って腕と足を組んだ外国人の男は鼻で笑った。
「デリク・ウォーレン。
この案件の開発リーダーやってる。
どうも、これからよろしく。
元フィギュアスケーターさんよ」
眉を顰めた尾堂の傍にいつの間にか近寄ってきていた司会者が耳打ちをした。
「……今回の件が難航したので外部から呼んだ技術者です。
……うちの全社で見ても、彼以上に優秀な人材はいません」
デリクは大きく笑って両手を広げた。
「今さら、やめられねえよ。
ここまでのシステム組むのにいくらかかったと思ってんだ」
「……金の問題じゃないだろ。
選手のこれまでの人生と、未来がかかってる」
真剣に言い募る尾堂を再び鼻で笑うと、デリクは立ち上がって彼の元に近づいてきた。
すぐ目の前に立ち塞がって見下ろす長身を尾堂は黙って見上げた。
先程までと違い、その顔には何の感情を示す表情もない。
「こっちだって似たようなもんだ。
膨大な予算注ぎ込んだ企業プロジェクトってのはそういうもんだ。
で、本題に入るぞ。
――お前を呼びつけたのは、おれだ」
「お前が?」
尾堂が怯まずに彼を見上げると、強い視線で見下ろす男が傲慢に言い放った。
「過去のお前の演技と各要素の計測されたデータを見た。
あの時点で最高の、現在も超える者のいないスケーターであるのは間違いがないだろう。
そのお前の眼から見た競技の裏側と、構成するロジック、全てを明確に言語化しろ。
全てをTrace-Σに組み込んで今度こそシステムを完成させる。
協力してもらうぞ、尾堂」




