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沈黙のういザード  作者: サファイロス
4章 昇華のブリザード

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第21話 秋は音にならず

 ホールの照明が、ゆっくりと落ちていく。

 天井のシャンデリアがひとつ、またひとつと光を失い、

 客席に残るのは、期待と緊張が混じり合った静けさだけだった。


 先ほどまで囁き合っていた声が、

 誰かの咳払いを最後に、すっと消える。


 ステージ中央。

 スポットライトに照らされたグランドピアノが、

 黒曜石の湖のように静かに佇んでいる。


 その艶やかな天板には、

 今夜ここに集った人々の想いが、無数の光として映り込んでいた。


 ――始まる。


 誰かがそう言葉にするより早く、

 会場全体が同じ予感を共有した。


 時間が、ほんのわずかに引き延ばされる。

 音が生まれる直前の、張り詰めた空白。


 舞台袖から、足音が二つ。


 白い騎士礼装を纏った憂と、

 深い色合いのドレスに身を包んだ千秋。


 二人が姿を現した瞬間、

 拍手が湧き上がる――が、それはすぐに収束した。


 これは、歓声で迎える舞台ではない。

 見届けるための舞台だと、誰もが無意識に理解していた。


●


 ステージの上。

 千秋はドレスの裾をぎゅっと握りしめ、深く息を吸っていた。


 心臓の音が、やけに大きく聞こえる。

 それでも背筋は伸び、視線は真っ直ぐ前を向いている。


 その隣――

 白い騎士礼装の憂の身体に重なるように、

 雪乃の気配が、静かにそこにあった。


 ほんの少し俯いているようにも、

 すでに音の世界へ踏み込んでいるようにも見える。


 客席の一角で、

 菊子は指先にそっと力を込めながら、拍手を続けていた。


(あの夏……)


 思い出されるのは、

 海の上を進む船と、強すぎる日差し。


 葉月と自分が、急速に距離を縮めていく一方で、

 憂は孤独を深め、すれ違い、

 ついには――自分とも衝突した。


 理解しているつもりだった。

 守っているつもりでもあった。


 けれど、その隙間に寄り添い、

 憂を救い続けていたのは、雪乃だった。


 夜更けのゲーム台。

 明かりを落とした部屋で、

 やっと本音を明かし、弱さも涙も見せてくれた少女。


 菊子は、拍手のリズムを変えず、

 その想いを胸の奥で噛みしめる。


 その音は――

 いま舞台に立つ三人すべてへのエールだった。


 ウィザードの柔らかさは、

 憂と千秋が育てた“春”。


 ハザードの激しさは、

 雪乃がたった一人で抱え続けた“夏”。


(……秋は、どこに)


 そう思った瞬間、

 答えは、まだ閉じられた譜面の中にあると気づく。


 このあとに続く――ブリザード。

 そこにはすでに、“秋の余韻”が忍ばせてある。


 収穫。

 手放し。

 別れを受け入れる覚悟。


 四季は終わりへ向かい、

 そして、冬が訪れる。


●


 菊子は視線をステージへ戻した。


 千秋は胸元に手を置き、

 ぎゅっと目を閉じている。


 静かに、譜面を開く。


 そこにあるのは、

 かつて未完成だった最後の二小節。


 クリスマスの朝。

 雪乃と向かい合い、

 最後の練習をした夜。


 その直前――

 テーマパークの、クリスマスイブ。


 眩いイルミネーションの下、

 憂の隣で笑った時間が、

 千秋の胸に、恋という名の火を灯した。


(……でも)


 翌日。

 雪乃の前で、その炎は凍りついた。


『私は……憂の身体しか、居場所がないの』


 想いを告げた、その瞬間。

 優しく、しかし確かに拒まれた言葉。


 お互いに分かっていた。

 届かない恋。


 震える指で、

 涙で滲む譜面に書き加えた二小節。


(あれが……わたくしの“冬”)


 ――と、その前に。


 千秋はそっと譜面を閉じ、

 席の横に置かれたペットボトルへ手を伸ばす。


 キャップをひねる指が、わずかに震える。

 冷たい水が喉を通り、

 胸の奥の熱を、静かに鎮めていく。


(大丈夫……まだ弾けますわ)


 再び譜面へ視線を戻した、そのとき。


 隣から、確かな視線を感じた。


 顔を上げる。


 そこに、雪乃がいた。


 憂の身体の輪郭に重なりながら、

 まっすぐで、優しい瞳で、千秋を見つめている。


 声はない。

 けれど、確かに伝わる。


(大丈夫。あなたは一人じゃない)


 千秋は、小さく頷いた。


 それだけで、雪乃は安心したように微笑む。


 譜面の上、

 黒い音符たちは、冬の朝のように静かに凍りついている。


「千秋」


 姿は見えなくても、

 雪乃は、すぐ隣にいる。


「はい、雪乃さん」


「これはね、あなたと私の曲」


 寄り添うような声。


「私ひとりの冬じゃない。

 あなたが越えてきた季節も全部、ここに入っている」


「でしたら……なおさら」


 千秋は、静かに息を整えた。


「完璧に、弾き切ってみせますわ」


 鍵盤に、指を置く。


 冷たい象牙の感触が、

 胸の奥の傷を、優しく撫でる。


 そっと目を閉じ――


 最初のコードを叩いた。


 ――静かに降り始める、

 深く、澄んだ、雪の音。


 それは、終わりではなく。

 託された未来の、始まりだった。

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