華出井 葵(12)と願いの井戸 69
甚八の顔を見ていた京護は、「もし」と言った後、何度も口ごもった。
少ししてから、俯きながら付け足す。まるで、甚八に縋りつきたく手を抑えるように。
「もし、怒るなら……俺が会いに行く人のこと、言わなくてもいいよ。自力で探すから」
探す人は、影と同類。惨劇から生き延びたが、人である中身を食われた人。
京護の母親の行方を、知っている可能性がある。
父親が殺された夜から離別している母親との再会が、京護の最優先だ。
甚八から返される物を待つだけの、京護が俯いたままでいると、扉の向こう側から声をかけられた。
ノックが2回。
「失礼。こちらにおいでですか」
抑揚のない女性の声は、静かでいてよく通る。艻月霧子だ。
呼び出されるなら、ここで話は終わってしまう。
仕方がないなと諦めた京護を見ていた甚八が、立ち上がった。
「ちょっと待ってて」
「先生?」
細い枝を何本も京護の足元に絡ませている足元の影は、絡ませた枝に葉を生やし、その葉を目に変えて甚八を様子見する。
絵本だけを見ていた枝1本の方は、まだ絵本が大事だった。
甚八は霧子が立っている扉を僅かに開け、小声で話かけた。甚八の体で、霧子が隠れてしまった。
広い部屋なおかげで、京護が気配を落としても二人の会話は聞き取れない。
待っててと言われた通り、京護はその場から動かない。可動域に制限がある影も、京護を留まらせるように絡み着く。
霧子と甚八の会話は、2,3程で終わり、甚八だけが戻ってきた。
「先生、その、下に行かなくて良いの?」
「10分ほど時間を貰ったよ。ご隠居様に聞かれたくないのは、あちらもだから」
甚八だけが、華出井ミヨをご隠居様と呼ぶ。
ミヨは嬉々として、京護の服を外商と共に選ぶと言った。それがどうなったかの意識を向ける前に、甚八がボックスソファに座る。
本当は部屋の中央に近い場所に座りたかったが、そうすると影を間に挟むことになる。
具合が悪いので、数歩歩いて元の壁側にした。
「連君。大事な話をしよう」
甚八の声は、笑顔に似合わず真剣みを帯びていた。
思わず、京護の肩が揺れた。
無かった事にされなかった安堵と、何を言われるのかという緊張。
足元の影は葉の数だけの目で、甚八だけを見上げている。
絵本を見ていた方は、手元にある最後の絵本を読み始めた。
甚八は、京護だけを見る。
「さっきの質問だけど、僕にも優先順位がある」
言いながら少し前かがみになり、両手を祈るような形で膝の間で組む。
つられて、京護も少し前のめりになる。
「連君の一番がお母さんなら、僕の一番は、君でも病院でも本家でも、円花家でもない。
いずれ言う時もあるだろう」
京護は、意外そうに目を丸くした。
顔に出すぎている少年に、微笑ましくなってしまった。
「意外かい」
「え、あの」
「言える時がきたら言うよ。むしろ、是非聞いて欲しい」
やけに語尾が強い。余計に甚八の一番が気になったが、話す気が無いのは明白だ。
聞いて欲しいと言った同一人物に似つかわしくない、自虐を乗せた片笑みを浮かべたからだ。
「僕の知りたい欲が血筋の業なのは、否定しようがない。業が円花家の起因であり、もはや存在証明のようなものだ」
甚八は、組んだ両手を、強く握りしめる。
「呪いだとしても……」
言いかけた最後の言葉は、飲み込んでしまった。少し考えて、言葉を探す。
内に抱える禍根を吐露する相手は、目の前の少年ではないからだ。
「……呪いだとしても、君の味方でいる。君を最優先にするのを隠さない、葵様程じゃないけど」
頬を丸くして笑うと、葵の名もあって京護の肩の力が少し抜けた。
甚八の笑顔は、人好きがする物に見え、相手を柔和させる力がある。
「連君が自身を傷つける事と、僕の最優先を害する事じゃなければ二つ返事で応援だってする。学校にだって行かせてあげたいしね」
組んでいた両手を外し、その手を膝の上に置いた。
どうか。
どうか、届いて欲しい。
「そして、僕の最優先に関してだって、もし連君が目的の為に何かをしようとしても、僕は君を怒らないよ」
全てを言うには時間も言葉も足りなく、また、あったとしても言えない物を抱えていても。
挽回のチャンスは、もっと前から君に求めているのを知らなくても。
どうか。どうか。
「連君。僕はね、その時どうするかは、とうに決めているから跡を継いだんだ」
肩を叩いてやりたい、頭を撫でてやりたい。背中を押してあげたい気持ちを込めて、京護の質問に返した。
「君のしたいようにしてごらん」
甚八の応えに、京護の目から涙が溢れ出る。
ぽろぽろと雨のしずくのように頬に流れ、床に落ちていく。
「っ……、う……」
俯くと、余計に玉となって落ちた。
手で拭っても落ちるので、京護の足に絡みついて歪な接ぎ木状態だった影が、目の葉を増やして涙を拾った。
葉の形をした目に落ちる雫だけ、床を濡らさず消えていく。
嗚咽混じりにも構わず、京護は何度かむせぶ呼吸を繰り返した末に、ようように吐き出した。
「ずるい聞き方してごめんなさい……」
涙の雨が影に消えても、声は甚八に届いている。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
謝らせるつもりはなかったのに、言の葉はとめどなく落ちていく。
「僕を試したことを? 良いさ、お互い様だ」
お互い様と言われ、ピタリと謝るのを止めた。甚八を上目遣いに見る合間も涙が流れるが、悲観さは薄れている。
甚八は、あからさまに笑ってごまかした。
「それより時間も無いし、どうして探している奴が、君のお母さんの手がかりになるか教えて欲しいなあ」
話を逸らせるには丁度良い、ここへ来た本筋を持ちかける。
「無理に今すぐとは言わないけど、保険として交換条件にしないか。
連君が知らなくて僕が知ってる、行方不明だった人の事」
初めて、絵本を読んでいた方の影の興味が完全に甚八に移った。
【なんだ イエ いえ ナンダ】
甚八は内心、ガッツポーズをした。
「手短に言うと、その行方不明になって今は艻月が見張っているのは、僕と同じ分家の1人。
犬荏家の人間だ」
「ひ、ひにゅ、え?」
泣きすぎた京護が、名前を反復するつもりでしゃっくりをあげてしまった。
甚八は横に置いていたスマホを操作し、画面に漢字を打ち込んで見せた。
「こういう字で、いぬえと読む。
これで円花、蔵馬、艻月と4つの分家を紹介した訳だがっ」
1人と二つ分の視線を浴び、甚八は得意げに言った。なんなら胸まで張っていた。
「決して、四天王と呼ばないでくれ。円花家以外で最弱の争いが起きるから」
後に京護は、何を言われたかサッパリで涙が引っ込んだと、葵に言う事になる。




