華出井 葵(12)と願いの井戸 64
甚八が寝てしまったので、京護は周囲の絵本を探した。
手の届かない場所の床には、無造作に置かれている2冊。京護の座る背後の、ブロックソファ側に立てかける形で置かれていた1冊は、影が見つけた。
「おれが知りたい事より絵本てさあ、もー。絶対、なにか隠してるし」
愚痴を零しながらも拾い集める。3冊あれば良いだろうと、影が鎮座するブロックに置く。
その時、渡した絵本に見覚えがあった。
「あれ、これってお母さんが読み聞かせてくれたやつだ。こっちは俺が古本屋で買ってもらったの」
1冊は見覚えが無いが、話はどことなく覚えている。
影は、京護には分かる言語で教えた。
風を切る音は小さく、まるで内緒の話ようだ。
影の言葉に、京護は驚いてもう一度絵本のラインナップを確かめる。
影は、こう言った。
【【最初のもこれも全部、ワシらの家にあったやつと同じやつ】】
「……たまたまとか」
【【クソガキに聞けば良い】】
クソガキ呼びに、京護の視界は本から影に移った。
「クソガキて葵君のこと? 葵君はクソガキじゃないって。聞いたって、なにがどうなるんだよ」
甚八を気にして、京護が小声で言い返す。
絵本を枝一本の姿で捲っては読む影の背中側に、目が一つ浮かんだ。
影の足元にもあるが、そちらは寝ている甚八を観察している。
【【気になる事を知りたいなら同じ。お前はクソガキに甘い】】
「そりゃ恩人だもん。少なくとも何もしてくれなかったお父さんより」
【【してやった】】
なにを、と言う前に。目が閉じて、代わりに口が複数、枝分かれに茂る葉のように増えた。
短く、小さく、風が切られる音が京護の耳に響き渡る。
【【病院のは切り損ねた】】
【【クソガキの傍にいたから】】
【【だが切れる】】
【【お前が見た男だからだ】】
京護は目を見開いて動揺する。
命が助かった理由に葵がいても、驚きはない。
だが、お前が見た男というのは、初めて聞いたからだ。
井戸に落ちた時。元の生活に戻りたくて家に帰りたくて、今の全て、何もかも無くなってしまえと願った。
京護の体を使ったのは認識していても、京護自身が惨状の一端であるまでは、思いつかなかった。
影は構わずに畳みかける。
【【ワシは切りたい】】
【【切られるのが楽しかったから、あいつも楽しんでくれる】】
【【切れるようにした人間なら楽しんでくれる】】
【【クソガキは見逃せと言う。クソガキの言う奴も探していたから都合は良い】】
耳を塞いでも、届く声。
最後に、枝一本だけに戻った影が、絵本を見る為の動きを止めて、京護一点だけに集中した。
甚八に向けていた目すらも、京護を見上げる。
【【息子。お前が決めろ】】
「……おれになにが出来るって言うの」
耳を覆いながら、俯く。無力なようでいて、傍から見れば、少年の体によって影を隠しているとも捉えられる。
少年の顔の真下で、影は応える。
【【決めろ】】
【【こいつも食うか自分で決めている】】
影がページを捲る先で指したのは、きのこを両手に持った、水色のワンピースに白いエプロンを着た金髪の少女。
ウサギを追いかけた先の穴に落ちる、少女の絵本。
アリスシリーズ一作目の、ある1ページ。
母親が、寝る前の京護に読み聞かせたものだ。
【【ワシの動きを止めたお前の、決めるものが知りたい。まもると決めた息子だから】】
まもると決めた息子。
言語化するには不確かな、けれど小さな棘として残るニュアンスの違いを感じた。
「え、ちょ、お父さん結局おれの質問に答えてないよね?」
どこまでも誤魔化してるだけだろと非難しようとした所で、3分経った。
けたたましく鳴るアラームに、設定した甚八より京護の方が驚いた。
「わああっ⁈」
びくりと全身が震える京護に気づかず、甚八は寝た時と同様の早さでアラームを消した。
「はー、ちょっとスッキリしたよ。下からまだ何もないよね」
壁にもたれた背や腰を撫で、最後に背伸びをする。
驚きで胸を抑える京護を見た甚八の表情には、何も怪しく感じるところはなかった。
目の下の隈は酷いまま、けれど先より明瞭さのある顔立ちになっている。
「う、うん、無いけど。3分でそんな戻るの? 先生の体どうなってるの」
「んー? そんな変な事じゃないよ。目からの情報て凄く多いんだ。3秒間、目を閉じるだけでも効果があってね。
まあ僕は専門じゃないからハッキリ言えないけど、試してみると良いよ」
「うん……」
首を撫で、肩を揉みつつも目を輝かせて言われた。
何を返すべきか悩んで、ぼんやりと頷く。
寝たフリには見えないので、寝れて良かったと言うべきか。先までのを聞かれなくて良かったと思うべきか。
考えてしまう京護の思考を切り替えさせたのも、甚八だった。
影は既に、絵本に興味を戻してしまった。
「さっきは悪かったね。話の続きに戻ろうか」




