華出井 葵(12)と願いの井戸 51
「あ、ごめん。寝てた」
「嘘だよね。無言でおれ睨みながら付いてくるの、やめて欲しいんだけど」
みんな先生を見てる、と言われて振り返る。
霧子だ。まずい。
外商スタッフは全員、僕が怪しい大人ではないかと対応に困っている。笑ってごまかそう。
ミヨは笑っていた。じゃあ、良いか。
「ごめんごめん、ついでだから聞いて良い?」
「えぇ、なんで今…………」
京護の、下がり気味の眉の根が、益々下がる。
甚八は気にせず宥めつつ、少し背を丸めて近寄った。
「お二方とうまくやっていけそうで、良かったね。
人の第一印象って、結構重要だから。
悪くなかったんだろ?」
京護は、口を真一文字に閉じた。
もしかして、先に誤魔化したのを、見破られたのだろうか。
甚八は、こう尋ねた。
『連君のプレッシャーの基準が分からないな。あのお二方より、服の方が困るのかい』
甚八の聞きたい答えは、京護にとって言語化の難しい物だった。
5年前に攫われて以来、井戸に落とされた約10日前まで。京護は、陰惨と理不尽が当たり前の、人体実験の日々だった。
華出井家には、別の世界に通じる井戸がある。
井戸の先には、地上の世界で生きる生き物を食う、人を食う影たちがいる。
京護の父親も、人のフリをした、人を食った影だ。
井戸の先には影の他に、叶え方に歪みを持っても、人の願いに反応する宝物がある。
その宝物を独占することで、本家の華出井家と分家達は、富を得て来た。
本家で、事情を知らぬ者は居ない。
華出井ミヨを除いて。
ミヨは、亡き夫ー先々代当主ーの遺言で、何も知らないままでいさせるとしている。
葵がそれだけ言ったのを信じ、遺言だから守られていると、京護は疑っていなかった。
それが、影の言葉で一転する。
葵が宝物で作った物と同じ匂いが、華出井ミヨからしていると。
傍仕えの艻月霧子も、暗に認めた。
最初に挨拶した時と、今と。ミヨの印象も情報も、大きく変わった。
京護は、甚八を凝視する。
また逃げても、甚八なら引いてくれる。
でもどうせなら、服とは違って、まとまった思考を聞いて欲しいとも思った。
京護は、真一文字に結んだ口を、ゆっくり開ける。
ミヨと霧子を一瞥してから、服の陳列に視線を戻す。見ているフリだ。
京護の声は、傍でないと拾えないほどに小さい。
「あの人たちは、おれに線を引いてくれている気がするんだ。
でも、あそこじゃ居なかった、優しい線て感じ」
甚八と京護は、互いに視線を合わさない。
京護は言葉を考えながら話し、甚八は静かに聞いている。
「あれが葵君が言ってた、おれの事や、い…………色々知らないから、出来る線なのか分からない」
井戸、と言いかけて口を閉ざし、言い直す。
「よく分からないけど、葵君以外で怖くないって思う人いるんだなって。
だから、あの日に居なかったなら、良かった」
最後に京護は、僅かに口元の緊張を緩めた。
息を吐いたのを、甚八も見逃していない。
同時に、良かったとする、対義の本音にも気づく。
声にする事で、京護は、自分の感情の意味を理解した。
そうだ。自分は、影が京護の体を使って殺した人の中に、ミヨと霧子が居なかったのを喜んでいる。
つまりは、命に優劣を付けた証だ。
「そう思うからかな。葵君もお父さんも気づいているのに、何を見逃したのか、おれまだ分からないんだ」
京護は目に止まったトレーナーを手に取り、甚八を見上げた。
「先生は分かる?」




