華出井 葵(12)と願いの井戸 49
「奥様は、わたくしがお仕えした時から今の瞬間も、心身申し分なくお美しい。
その美しさを保つ手助けをするのが傍仕えであるわたくしの仕事であり義務でもあり、なにより、わたくしの望み」
手短の割に前振りが長いなと、甚八は思ったが黙っておいた。
黙っていたので、霧子は続ける。
「旦那様の奥様に対するお心と、導いた結果に対し、傍仕えの身であるわたくしに否やはありません。
連様の事も、葵様の大事なご友人であり、いとこ様として接するだけでございます」
京護は、自分も様づけの中に入る事をむずがゆく思いながら聞いていた。
霧子は二人の心情を気にせずに背を向けて、客室ホールの扉が正面になるよう、体制を変える。
方扉のドアノブに両手をかけてから、肩ごしに京護に忠告した。
彼女の言いたい事と、甚八の望む答えは、とどのつまりコレになる。
「円花医師と、ソレを抑え込まれませ、連様。
この屋敷と連様により手出しできないのは、既に把握しております。
禁忌に触れたところで敗北するのは、そちら」
最後に、霧子は影を見下ろした。
「葵様がお帰りになるまで、連様が五体満足で生きておられるのであれば、わたくしとしては差支えございません」
本音であるのが伝わり、言われていない京護の方が、思わず生唾を飲み込んだ。
足元の影は、カサカサと笑う。
【おまえ ヘン おまえ シル あれ シラヌ】
【シル へん キンキ しる シル しる シル】
甚八も変わらず、不本意の声をにじませる。
「抑えろって、コレと同じ扱いなんだ僕」
「あの、先生は大丈夫だ、です。でもお父さんは」
【オマエ おんな オボ えた】
【オボ え テロ】
影は、自主的に京護の足元から消えた。
「…………今のって、負けた奴のお約束で出る捨てゼリフだよね」
「多分、葵様との口喧嘩中に覚えたやつを、使いたかっただけだと思う」
「そう」
葵を君呼びではなく様づけに戻っているが、当の葵がいないので、甚八は聞き流した。
大人しくなれば良い。甚八は呆れ、京護は安堵し、霧子は満足げに扉を開けた。
「お待たせ致しました」
二人が霧子に続いて中に入ると、並べられていた商品が変わっていた。
「あれ?」
「全体的に黒いね」
甚八が思ったまま感想を述べる。事実、デザインはほぼ変わらず、色の彩度と明度だけ下がった。
車椅子に座っている華出井ミヨは、持っているカタログを閉じて、3人を出迎える。
「おかえりなさい」
膝の上に置かれたカタログには、いくつか付箋が貼られていた。
待たせたというのに、気分を害した様子は無い。むしろ、楽しそうだ。
甚八は、付箋は注文するのだろうという事は、想像できる。この光景は分からない。
単純にストックを入れ替えただけなのだが、京護は、まるでマジックを見た気分になっている。
血色は良くなり、開いた口が塞がらないまま眺めている京護をチラリと見つつ、甚八はミヨに話しかける。
「ご隠居様も、葵様のようにサプライズがお好きなのでしょうか」
黒い洋服、黒い鞄、黒いアパレル製品が集結している。黒ってグラデーションになるんだなあと、他人事で見渡す。
「キョウちゃんが、今着ているようなのって言ったものだから、ひと通りとお願いしたの。
最近の子は、そういうのが好きなのね。
似合っているわ」
京護は、自分を見るミヨにたじろいだ。
下から見られる事は、葵以外では慣れていない。
ましてや、大人からの悪意のない接し方に対しては、この5年では皆無に等しい。
甚八とて、最初は無頓着と紙一重で、警戒していた。
影の言葉と先のやり取りが無ければ、ミヨを警戒するのは無意味ではと、思ってしまう。
屈託のない笑顔は耐えず、京護は結局、当たり障りない返事をする事にした。
着ている服が似合っていると、服を褒めてくれた。
「ありがとう、あの、ございます」
「せっかくですもの、もっと選んでね。
ちょっとしたパーティー向けのも、お願いしたの。
急に必要になった時、あると便利なのよ」
好意的に受け止められたミヨも、頬を紅潮させて更に勧めつつ、同意を霧子に求めた。
「ねえ、霧子さん」
「はい、奥様。おっしゃる通りでございます。奥様が私の為にお選びくださったストールは、デザインもTPOも完璧でございました。重宝致しております」
「あなたはいつも大げさねえ。
でも、使ってくれて嬉しいわ」
先までの緊張感と煽りはなんだったのか。
一番の被害者だと自負している甚八は、分家同士の関係を、一旦置くことにした。
甚八の生まれ育った円花家が医療従事・研究なら、霧子の艻月家は警備・警護を生業にしている。
本家の華出井家から見て、分家は全て横並び。とはいえ、右腕になりがちなのは円花家。
分家同士が仲が良いとは、聞いたことが無い。無いので、甚八は目下注視すべき相手に思考を戻す。
その注視すべき京護は、ずっと動かない。
「…………反応がない。ただのしかばね、じゃない。連君、落ち着いて」
金持ち耐性無かったもんな、と思った甚八に、京護は眺めながら尋ねた。
「ちょっとしたパーティーって何」
「それは僕も知りたいよ。急に必要になった事ないし」
京護は、咄嗟に手近な物を着ただけなのに、どうしてこうなったと足元を睨む。
影は、沈黙していた。




