華出井 葵(12)と願いの井戸 42
忘れていたことのついでに、思い出した事もある。
葵の作った道具による抑止と、京護の願いによって影の攻撃性は無効化されている。とはいえ、可動範囲であれば、出て来れるのだ。
京護は、踊り場の手前で立ち止まる。明確な姿はしないものの、京護の腕や肩に絡まり、揺らめき動く影を睨んだ。
「お父さん。絶対、出て来ないで。おれが良いって言うまで見られないようにして」
影は揺らめきを一寸止め、すぐにまた同じ動きをした。返事はない。
「ダメな予感がする」
「おっさん、信用無いもんね」
現に、影は隠れない。
「お父さん。じゃあ、出てても良いけど見つからないようにして。おれが小さい時に、家でかくれんぼしただろ」
親が子供に言うようなセリフを、子供が親に言っている。
実は階段下の1階で待っていた甚八は、漏れ聞こえる京護の声に、心の中でツッコミをした。
3段目に座り、背中を丸めてぐったりしながらも、すぐ上の会話は聞き洩らしていない。
京護の条件に、影は是を返したらしい。
「背中はもぞもぞするから、袖の中とかにして。うで時計風とか良いよ、かくれてって言ってるんだから」
「おっさんにゲームと思わせたら良いのかな。今度ぼくともかくれんぼしようね京護。ここ広いしさ」
再び降りてくる足音に、甚八は気合いを入れて立ち上がった。人身御供の使命を果たした疲労の割に、頭はすっきりしている。
二人を待っている間の数秒か数分、甚八は気を失うように寝ていたが、本人は気づいていない。
最初に甚八に声をかけたのは、葵だった。
「甚八。ばあちゃんとひいおばあ様、どこにいるの」
「お二方は、客室ホールに物を運ぶ手配を外商とされておられました。今は、書斎においでです」
「甚八が思ったより生きてる。どういう感情の顔それ」
「先生、何があったの」
葵はそれなりに想像がつくが、京護は予想もつかない。外商という、京護は聞いたことが無い言葉は気になるが、置き去りにした甚八の方が先だった。
甚八は先導する形で、ゆっくりと歩きながら会話を始める。
まずは、何があったのと聞かれたので、答えた。
「ご隠居様の世話係に怒られた後、ご隠居様専用の医療設備を見せて貰って満足したからかな。
ほぼ診療所だ。連君にも使って良いと聞いたから、これなら退院の許可も出せるよ」
「ご隠居様?」
聞きなれない言葉に、京護が聞き返す。
「ん? ああ、華出井の大奥様。葵様のひいおばあ様の事だよ。
僕は、ご隠居様と呼ばせていただく事になっている」
「ひいおばあ様、もっと気軽に呼んでって言ってこない?」
葵が、甚八の背中に尋ねる。書斎までは、あと数歩だ。
「言われましたが、相手は本家ですよ。僕は円花総合病院の者でも、分家の人間です。
なにより、世話係に睨まれましたから」
「ばあちゃん、やっぱり怒った?」
葵が一番気にしていた質問に、甚八はゆっくりと足を止めた。葵と京護も、つられて止まった。
甚八は虚空を見る眼差しで天井を眺めた後、溜息を床に落とす。
「…………あの短い合間で理詰めと感情論と正論と理不尽の同時攻撃でした。あれは艻月家の定石なんでしょうか。それとも同じ分家だから、遠慮が無いのでしょうか」
小声を意識しているので聞き取りにくいものの、近づいた二人には、ハッキリと理解できた。
甚八は、もう一度溜息を落とす。
「どちらにせよ女性が怒った時の容赦の無さは、こちらに反論の余地を与えないので、この役目は出来れば二度と御免です」
ただピザを美味しく食べただけなのに、と最後に零した。
大の大人が本気で泣くのではと思った京護は、本当になにがあった? と恐れた。
全てを察した葵は、甚八の背中を叩いて労った。身長が近ければ、肩さえ抱きそうだ。
「甚八よくやったよ」
「もっと褒めてくださって良いですよ」
二人のやり取りがいつも通りなので、想像より軽い物なのかもしれない。
考えるのを止めた京護は、会話の中で気になった事を葵に尋ねる。
「艻月て、さっき名前の出てた家の人なの?」
「うん。ばあちゃん、艻月から来た人。でも、ばあちゃんは大丈夫」
なにが大丈夫?
顔に出ていたのだろう。葵は甚八を超えて、先に書斎に向かった。
「一緒に居てれば、すぐ理由は分かるよ」
玄関からほど近い場所で、立ち止まる。
葵が扉を軽くノックし、中から「どうぞ」と返しがあってから扉を開けた。




