華出井 葵(12)と願いの井戸 31
京護は、攫われた5年間での記憶に関して、曖昧な部分もある。
忘れたままでいたい物もあるが、こと葵に関しては思い出したいと、思っている。
それは、葵が子供でありながら自分を一番気遣ってくれたからだ。
葵と初めて会ったのは、覚えている限りでは去年の残暑の終わり。秋の始まる頃だ。
初対面から、印象の強い子供だった。
単衣を着ているのもあったが、印象はむしろ、言動や存在そのものだ。
そんな所にいて、さびしくない?
ぼくも大人ばっかりでつまんない。
いっしょにごはん食べようよ。
ぼくともっと遊んでよ。
葵が話しかけた日や次の日。決まって京護の環境が改善された。
地下から地上へ。
粗末な部屋から、見た目は清潔な空間へ。
身なりは、葵が来る時だけ整えられた。
1か月に1度程度しか会っていないにも関わらず、如実に変わるのだ。
一度、京護は尋ねた事もある。
「葵様がおれの為に、なにか言ってくれたんですか」
葵はしかめ面で返した。
「京護まで様なんて言うのやだ」
質問の答えは無かったけど、機嫌はすぐに戻り、一緒に絵本を読んでその日は終わった。
あの日。
京護が井戸に落とされた日も、本当は会える予定だった。
初めて、事前に会う日を葵から教えてくれたから。
「その日はぼくの、おひろめなんだ」
京護が閉じ込められている部屋で、葵と二人。
床に寝転んで、夏休みの算数ドリルをしながら、葵が答える。
「おひろめ?」
七夕が過ぎ、一つ年を取った葵が楽しげに続けた。
「そう。それでずっと忙しいんだけど、終わったらもっと一緒に遊べるよっ ツキイチなんかじゃなくって、もっともっと!」
床に置かれた盆の上で、麦茶入りのグラスに入った氷が呼応するように、カランと鳴った。
同じ盆の皿には、星型のクッキーが乗っている。
「京護と一緒の学校にも行きたいし、一緒に住んだらもっと遊べるじゃんて。
おじいさまが、おひろめ終わったらぼくのお願い聞いてくれるんだって」
算数のドリルを閉じた葵が、床に仰向けになって寝転んだ。
なんとなく、葵を真似るように同じ仕草をする。
横を向けば、自分より小さいのに、自信と確信に溢れている。
「本当はそのおひろめも京護に見て欲しいんだけど、駄目なんだって。
ケチだよね、大人の都合て意味わかんない事ばっかりでうざい。
でも、終わったらぼくの天下だから」
そんな喜びを露にする子供の前で、京護は本音を飲み込んだ。
京護の願いは、ただ、家に帰りたいだけだ。
両親と揃って過ごしたいだけ。
その願いに葵は居ないが、もし帰れても、葵とだけは会いたいと思える。
葵のおかげでこの1年は人並の時間が与えられている。
感謝どころか、疲弊した心身の前では崇拝すら覚えた。おかげで、強制された様呼びも、京護の中では馴染んでいる。
京護が何故ここに居るのか。何も知らないであろう葵との時間は安らぎでも、ここで過ごすことの延長にある。
それでも、京護は笑みを浮かべて頷いた。
「楽しみにしててね」
「葵様が楽しみなら、おれも楽しみしてます」
葵は即膨れ面で、
「その、様呼びも敬語も、全部終わった後は止めてね。ていうか、止めさせるから」
ぼくたち友達でしょ、と付け足した。
葵は仰向けから体を反転させ、更に乗っているクッキーを一つつまむ。
星型の角は丸く、葵は、そのクッキを食べる前に天井へ掲げた。
葵から見れば、空に浮かぶ星そのものだ。
「ばあちゃんのクッキー、京護と一緒に食べたい事も叶ったし。願いの井戸すごい」
「願いの井戸?」
京護は仰向けのまま、クッキーを見上げている葵を見る。
葵は持っているクッキーを食べてから答えた。
「ここに居るなら聞いた事ない? 願いを叶えてくれる井戸のこと」
京護は少し考えて、答えに困った。
井戸は、聞いたことがある。
だが、願いのと、とは付いていた記憶はない。
結局、首を横に振った。
「蔵の中にある井戸は、なんでも叶えてくれるんだって。ぼくも叶ったよ。
ぼくの願い、なんだと思う?
京護なら、なにを願う?」
その時、どう答えたのか、記憶が抜け落ちている。
だから現実の、今の京護が記憶の答えを求めて今の葵を見る。
葵は京護の胸元にいる、カラスの形をした影に悪い顔を向けていた。
とても良い、悪い絵笑顔だ。
「一応おっさんがいるじゃん。おっさん、そのまま首を縦に振ってよ」
葵が手元の立体パズルを掲げ、下ろす。
カラスの影は、葵の視線誘導に従って、見上げて俯いた。
【くび フル こうか】
「そうそう。甚八、これで良いでしょ」
「それを親の同意と言うなら、ちっともよくありません」
二人の攻防を気にしない影は新しい遊びだと思ったのか、鳥型で前倒しの動作を繰り返す。
こういうのなんだっけ? 見た事あるな。
「おとうさんが、水飲み鳥みたいになった」
いつか何かで持って帰って来たっけと、現実逃避してしまった。
水飲み鳥とは、永久機関のように見えて、熱力学を利用するおもちゃだ。
「…………おとうさんに同意よりは、おれもおれの事は自分で決めたいかな」
「だよねっ 京護はやっぱりぼくの味方っ ほら甚八、2体1だよ」
「多数決で囲われても僕は負けません」
葵と甚八は、段々と言い合うのが楽しくなっているのが、京護にも分かってきた。
現実のインパクトで、京護の曖昧な記憶と疑問は再び、霧の中に包まれる。
霧の中から、1年前の葵が尋ねた。
ぼくの願い、なんだと思う?
葵は、その願いに京護が関わっていると、言いたかったのだろう。




