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華出井 葵(12)と願いの井戸 76

 霧子はつかさずミヨの前に周り、片膝をついて見上げた。

「奥様の望みが、私の望みです。

 奥様の為の、私の手料理。振舞う事で、奥様が喜ばれるのであれば、惜しみなく振るわせて頂きます」

「本当? 嬉しいわ。

 いつも通りで良いのよ。

 それが一番美味しいの」

「心得ております。毎食の事ですので、私は栄養管理を怠りません。

 奥様のおみ足も早くよくなるようにと、私のメニューは更に考慮を重ねております」

 霧子は拳を握り、自分の胸元に寄せる。

 よほど痛々しく映るのか、包帯の巻かれたミヨの足を、眉根を潜めて見下ろす。

 本筋とズレてきている会話と空気だが、気にする二人ではない。

 ミヨは気にしないでと意味を込めて、霧子の名前を呼んで顔をあげさせた。

「霧子さんは、いつもすごいわね」

「恐縮でございます」

 甚八は、途中から思っていた。

 なにか舞台じみている二人だなと。

「このやり取り、もしかして毎回見せられるんだろうか」

「おれに聞かれても」

 小声で言い合っている甚八と京護は、ミヨと霧子の空気に入る気はない。

 入る隙間が見えないので、終わるのを待っている。

 無いスポットライトが見える二人は、いくつか会話を交わしてから、霧子がゆっくり立ち上がった。

「円花医師」

「はい」

 真っ先に呼んだ甚八に、霧子は簡素に答えた。

「手伝えとは申しません」

「助かります」

「葵様がお戻りになられるのは、1時間後のご予定です。

 それまで連様と奥様を、こちらの部屋にて、よろしくお願いします」

 霧子は一歩だけ、甚八の前に立つ。

 その一歩を不思議に思いつつも、ある程度の霧子の言葉に予測が出来た。

 分家の繋がりには、華出井の恩恵を受ける為に築き上げていった末の、共通の物がある。

「特に連様は、まだ犬荏の者を見ておられないのではないですか。今から出入りしますよ」

 やはりその名前かと、合点のいく顔で頷いた。

 建設的な話は助かる。

「ああ、病院にも居るけど認識はしてないでしょう。

 名前だけは言っているから、僕からついでに説明しておきますよ」

「結構。それでは奥様、何かございましたらいつでもお呼びくださいませ」

「ええ、大丈夫よ。

 霧子さん」

 一礼で部屋を出て行った後、霧子と同じように京護が一歩、甚八に近づいた。

「先生、イヌエって。さっき言ってた」

「ああ。円花家は医療や研究職を中心に働いている人がいたり、会社を持っているんだけど、それは他の分家も同じでね」

「うん」

「犬荏家は」

 一度、甚八はミヨを一瞥してから京護に答えた。

「掃除とかクリーニングとか、後はメンテナンスとか。作業労働に関する事が多いんだ。

 それで、本家や本家に関わる場所で家事をしたり掃除しているスタッフがいれば、それは犬荏家の人なんだ」

 外商が来たので掃除と、住人の寝支度に必要な事をしに、これから屋敷に入って来る。

 そう、甚八はしめくくった。

 横で聞いていたミヨが、京護にとっては意外にも話を付け加えてきた。

「でも、こちらには来ないと思うわ。

 わたくしからも、お礼を言いたいのだけど。

 滅多にわたくしには、姿を見せては、くださらないの」

 社交辞令ではなく、本当に残念がっているのだろう。少し、肩が内側に落ちている。

 甚八は、少しだけ前かがみになって、ミヨとの視線を下げる。

「ご隠居様のお手を、煩わせたくないのでしょう。ご隠居様が快適に過ごされるための事を、なさっているのですから」

「ふふ。

 そうね、感謝はね、霧子さんを通して、伝えてるの」

「なら、それで十分でしょう。

 我々は艻月さんの言う通り、時間をどう過ごすかを考えましょうか」

 二人だけで分かる会話を、京護は黙って聞いていた。

 想像できるのは、自分は本家内のどこかで、犬荏家の人間も見ているだろうという事。

 分からないのは、単純な事。

「……あの」

 甚八に聞こえる程度に声をかけたのに、先に反応したのはミヨだった。

「なあに?」

 期待の高い、眼差しだ。

 驚いた京護は、反射で甚八を見上げる。

 甚八は目配せだけで黙っていた。また逃げたかと疑ったが、屋敷の優先順位はミヨだったのを思い出す。

 なら、仕方ない。

「霧子さんは、ロクヅキなんです、えと……ロクヅキなのは何でかなって」


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