内界諸国見聞紀行 第五章 麦の内界
いよいよここからは、私が実際に歩いた内界を訪ねていく。どの内界から書き始めるか、ずいぶん迷った。ファークルニア地方の蒼天の浮遊回廊のような名高いものから始めれば、書物としての恰好はつくだろう。だが最初は麦の内界と決めていた。内界のうちで最もありふれ、最も地味で、そして間違いなく最も多くの人を食わせてきたのが、麦の内界だからである。
機構の帳面によれば、知られている内界のうち、数で群を抜いて多いのがこの手のものだという。山の腹だろうと森の奥だろうと、門をくぐれば果てのない麦の原が広がっている。壁は遠く霞み、動かぬ太陽の下、大麦、小麦、燕麦など様々な麦が入り混じって実っている。刈っても刈っても、早い麦なら20日、遅いものでも30日もすれば元どおりに実り直す。同時に、最も短命な内界でもある。単純な作りの内界ほど早く消えるという話は第二章に書いたが、麦の内界はその筆頭で、五年もたずに消えたものも珍しくない。
王国歴1607年の刈入れの月、私はとある山あいの領にある、オルミという村を訪ねた。パン焼きの村として、その名を聞いたことのある読者もいるだろう。街道を外れ、段々畑のあいだの道を登っていくと、村はずれの岩山に洞窟の口が開いている。中に入り、ゆるく下る道をしばらく行くと、岩肌がふいに整った石積みに変わり、その先に例のアーチ門が立っている。外は刈入れどきで、村も畑も一年でいちばん気ぜわしい季節であった。ところが門をくぐったとたん、季節という言葉が意味を失う。頭上には雲ひとつない空と動かぬ太陽。見渡すかぎりの金色の原が、風に大きくうねっていた。ここには刈入れの月も芽吹きの月もない。いつ入っても、刈入れどきなのである。
村人は組を作って門をくぐり、日に半日ほど刈って戻る。湧く生き物は子供の背丈にも満たぬ小物ばかりで、等級でいえばいちばん下の灰にあたる。間引きは村の若い衆が刈り入れのついでに済ませてしまう。麦の内界を持つ村では、これがごく当たり前の姿である。私も鎌を借りて半日刈らせてもらったが、狩り手あがりの腕が農作業で通用しないことだけは、よく分かった。
村のパン焼き場を仕切る老婆に、麦の味を訊いてみた。答えはこうである。「外の麦は年に一度、中の麦は20日に一度。ありがたいのは中の麦だけど、味が乗るのは外の麦なんだよ。だからうちは混ぜて焼く」。実際、内界の麦は外の麦にくらべて、どこか味が淡い。悪くはないが、それだけで焼いたパンは少し寂しいのだという。オルミのパンのうまさは、この配合の妙にあるらしい。
さて、オルミがパン焼きの村になった経緯には、少しばかり苦い話がある。麦の内界を得た村は、当然ながら麦を売る。尽きない麦であるから、いくらでも安く売れる。するとどうなるか。まっとうに畑を耕している隣の領の麦が、売れなくなるのである。数十年前、これがもとで隣領との悶着になった。向こうの領主は麦の禁輸を打ち出し、こちらの領主も引かず、一時は兵を出すの出さぬのという話にまでなったと、村の古老は語っている。間に入ったのは機構であった。落としどころはこうである。オルミは麦を生のままでは領の外へ売らない。そのかわり、パンに焼いて売る。焼く手間の分だけ値は上がるから、隣領の麦の相場を壊さずに済む。この取り決めが、結果としてオルミをパン焼きの村にした。今では隣領の麦を買い入れて内界の麦と混ぜて焼いているというのだから、あの婆さんの配合は、和解の味でもあるわけである。
麦の内界の話をするなら、崩滅の後のことに触れないわけにはいかない。荒れ果てた田畑が実りを取り戻すには、長い年月がかかった。そのあいだ人が何で食いつないだかといえば、多くの土地では麦の内界であった。無暦時代の乏しい記録を繰ると、麦の内界の見つかった土地に人が集まり、村となり、町となった例がいくつも拾える。派手な鉱石も薬草も出さぬこの内界が、実のところ、いちばん多くの命を救ってきた。麦の内界を恩寵の筆頭に数える人が多いのは、もっともなことだと思う。
ただし、麦の内界は早々に消える。珍しいことに、オルミの内界は見つかってから今年で三十二年になるそうで、これは麦の内界としてはかなりの長寿である。村人もそれをよく承知していて、内界に頼りきらず、外の畑を手放さずにいる。いつか消えるのではないかと不安にならないか、と例の老婆に訊いたところ、笑ってこう言われた。「麦の原は消えるだろうさ。けど、窯と腕は消えないからね」。帰り道、私は背負い袋いっぱいのパンを分けてもらって山を下りた。固くなっても、割って汁に浸せばうまい。
果てのない金色の原は、たしかに見事な眺めであった。だが振り返っていちばん心に残っているのは、麦の原ではなく、門の外の焼き場から立ちのぼるパンの匂いのほうである。内界と人との付き合いの、いちばん古くていちばん幸せな形が、あの村にはある。




