内界諸国見聞紀行 第四章 内界で生きる人たち
ここまで三つの章を費やして、内界がどのように見いだされ、どのような場所で、誰の手によって扱われてきたのかを書いてきた。本章では人の側に目を移す。序で触れたとおり、内界に関わる生業は大きく三つ、狩り手、採り手、守り手に分かれる。旅の見聞に入る前に、この三者がどう生まれ、どう暮らしているのかをまとめておきたい。白状すれば、私はかつて狩り手の飯を食っていた身であるから、筆がそちらに偏りそうになるのを抑えながら書くつもりである。
狩り手
最初の草原の逸話を思い出してほしい。羊を食い荒らす異形を退治したのは、兵でも英雄でもなく、居合わせた村の大人たちであった。狩り手の始まりもこれと変わらない。間引きはもともと、村の狩人や樵といった腕自慢の仕事であり、小さな村では今でもそうしているところが少なくない。
手に負えぬ生き物が出れば、領主に頼んで兵を出してもらう。だが内界が各地に増えてくると、それでは追いつかなくなった。国とて、領内のすべての内界に軍を差し向ける余裕はない。そこに現れたのが、流れの傭兵や軍を退いた者たちである。腕を持て余した彼らが有償で間引きを請け負うようになり、それがどこの土地でも見られるようになったころ、いつしか彼らは狩り手と呼ばれるようになっていた。
暮らしぶりはまちまちである。町に居を構えて近隣の内界の間引きを受け続ける者もいれば、旅をしながら行く先々で仕事を拾う者もいる。腕さえあれば元手がいらないから、ちょっとした小銭稼ぎに、あるいは急な金策のために、期間を限って狩り手をやる者も珍しくない。時代が下ると、傭兵団さながらの狩り手の一団も生まれた。若い狩り手に戦い方を仕込み、怪我や老いで退く者には仕事や資金を世話する、互助の組合のような集まりである。ある地方の寒村では村ぐるみで一団を成しており、農閑期になると揃って出稼ぎに出るという。
狩り手の技は、人と斬り結ぶ剣術とは別の道を歩んできた。相手は異形である。人の急所を突く技が通じる小型のものはまだよいが、巨体のもの、固い外皮や鱗を纏ったものが相手では、力ずくで断ち割るほかない。狩り手が大剣やメイスを好むのはこのためで、技術もおのずとそれを前提に組み立てられている。どこが弱点か、どう動くか。こうした知識は、始まりのころは手探りの連続で、文字どおり命と引き換えに一つずつ集められた。今では機構が若手の訓練を引き受け、見たことのない相手を狩る前には狩り方の講義まで開いてくれる。先人の払った代価を思えば、居眠りして聞くわけにはいかない講義である。
現代の狩り手には位階がある。もとは内界の生き物の危険度を段階付けたもので、どの段階の生き物を倒せたかが、そのまま狩り手の序列になった。等級は神々の色に倣い、下から灰、水、鉄、白、金、青、白銀の七つ。上の等級に進むには、いまの等級で実績を積んだうえで昇格試験に通らねばならない。試験ではまず内界の生き物と環境についての知識が問われ、最後は指導官の同席のもと、昇格にあたる段階の生き物を実際に討ち果たしてみせて、ようやく認められる。ちなみに白銀に格付けされた生き物は、これまでに五頭が認められているだけで、討伐の記録は一つもない。したがって白銀等級の狩り手は、いまだこの世に一人もいない。私がどの色まで登ったかは、恥ずかしいから書かずにおく。
採り手
内界の環境は一様ではない。むしろ人の立ち入りを拒むような内界のほうが多いくらいである。灼熱の溶岩が流れる火山、極寒の雪山、峻厳な岩場、鬱蒼と茂る森。獣も虫もいないとはいえ、環境だけで十分に人を苛む。採るものにしても、ただ摘めばよいわけではない。薬効を保つ採り方、食べられるようにする処理、正しく扱わなければ枯れてしまう花。こうした難所と難物を専門とする狩り手が次第に現れ、採り手と呼ばれるようになった。
間引きの済んだ内界に入って採取をするのは誰にでもできるが、その内界に何があり、どこにあるのかを調べ上げるところまでやるのが採り手である。見つかったばかりの内界は、中がどうなっているのか誰も知らない。採り手が隅から隅まで歩き、地図を引き、記録を作って、はじめて人が安んじて入れる場所になる。新しい内界には狩り手と採り手が組んで挑むのが定番の形で、私も幾度か組ませてもらった。
採り手は知識を秘す。希少なものの採り方や、そこへ至る安全な道筋は彼らの生命線であり、探ろうとする者は手ひどい抵抗にあう。だからか、群れたがる狩り手と違って、採り手は一人で動く者が多い。採り手同士が集まって情報を交換し合う寄り合いがある、といううわさは方々で聞いたが、たしかめられたためしがない。老いた採り手は見込みのある若者を選んで後継とし、持てる知識と技をそっくり引き継がせる。書物にならない学問が、こうして師から弟子へ、細い糸のように渡されていくのである。
私事を一つだけ書かせてもらう。狩り手であったころ、組んだ採り手に雪山の内界で命を拾われたことがある。彼が黙って引き返した道を、採り手の秘密主義を笑っていた別の隊が進み、戻らなかった。以来、私は彼らの無口を笑わないことにしている。
守り手
守り手の始まりは仲介である。町の商会は近隣の村々へ定期的に商品を卸してまわるから、村の近くにある内界の様子が自然と耳に入る。それを町に滞在する狩り手に教えて、手数料を取る。これが各地でめいめいに生まれた。やがて商会は、持ち帰られた素材や収集物の買取、それを求める人への売却、採集依頼の斡旋、道具や情報の提供と、狩り手と採り手の暮らし全般を支えるようになっていく。内界と人との営みを取り持つ役どころである。
もっとも、まっとうな守り手ばかりではなかった。相場を知らぬ狩り手を買い叩き、採り手をだまして知識を引き出すような悪徳の徒も少なからずいた。前章に書いたとおり、これを憂えたダラニファが各地の守り手をまとめ上げ、その流れが今日の機構につながっている。おかげで現代では、守り手といえばほぼ機構の職員をさす言葉になった。
機構がいまの名を持つに至った経緯は、守り手の章であるここに書くのがふさわしいだろう。王国歴251年のこととされる。ダラニファの興した商会の第十五代商会長、ヴァルドント・ボースの時代である。
ことの起こりはある小国であった。守り手が内界の管理とその利益を握っていることを不服とした王が、強権をもって国内の守り手商会の活動を止めさせ、その機能を国の窓口に集めようとした。軍まで動かしての接収である。抵抗した商会からは、不幸にも死人が出た。
ボースの反撃に剣は要らなかった。まず国内の狩り手と採り手をすべて引き上げさせ、この国の素材を買い取る流通の網を閉じたのである。小国もはじめは軍を使い、村人に間引きを担わせてしのいだが、それで足りるのは生き物の弱い内界だけである。対処のたやすい内界はやがて自然と消え、残るのは強力な生き物の巣くう内界や、特殊な知識なしには採取もかなわぬ内界ばかりになった。国外から資源は入らず、国内の資源は売れず、国は年々痩せていった。内界が消えれば、その資源を特産としていた村や町の稼ぎが落ち込むのが常である。よその土地では、守り手がそうした土地を陰ながら支え、新しい特産づくりや農業の指導までして急な困窮を防いでいる。この小国で起きたことは、いわば守り手を失った土地の姿そのものであった。人が流れ出し、税も集まらなくなった小国にはやがて内乱が起き、事を起こした王は討たれた。新しく戴冠した王は守り手への専横を詫び、ここに事態は幕を引いた。
和解のため小国を訪れたボースは、王と語り合ったのち、あの名高い宣言を行った。長いが、全文を引いておきたい。
内界は誰のものでもない。初代商会長ダラニファは「我々は、なにものにも屈せず、属さず、服さない。」と言ったが、それは何も我々のことを言ったのではない。内界それ自体がそうであるがために、それに関わる我々も自然とそうであるだけである。崩滅の日、我々の命脈は断たれていた。それが今に繋がるのは内界があるおかげである。荒廃した土地、枯れ果てた河川、実りをつけぬ田畑が広がるなか、わずかな恵みに頼りながらその日その日を生き延びるしかなかった我々が、死に絶えなかったのは、内界が恵みを惜しげなく、誰と区別するなく与えてくれたからである。それを今、人の欲で恣にし、独占せんとすることは、内界が人にこれまで与え続けて来てくれた無私の恩寵を蔑するものである。我々守り手が守るのは、内界と、内界と人との営みであり、あらゆる人が内界の恩恵に預かれんとすることを目指すものである。此度の事件が如き蛮行が再度行われぬために、本日を以て当商会は内界保全機構と名を変え、内界があるべき姿であれるよう尽くすことを旨とし、内界を侵さんとするあらゆる難事を排するために活動することを宣言する。
この宣言をもって内界保全機構は生まれ、その後もいくつかの軋轢と衝突をくぐりながら、今日の地位を築いていった。
狩り手が間引き、採り手が恵みを取り出し、守り手が両者と世間とを繋ぐ。どれか一つが欠けても、内界と人との付き合いは立ちゆかない。次章からはいよいよ、私が実際に歩いた内界を一つずつ訪ねていく。ここまでの三つの章は、そのための長い支度であったと思っていただきたい。




