内界諸国見聞紀行 第二章 内界とは
内界諸国見聞紀行 第二章 内界とは
第一章では、最初の発見の次第を追った。この章では、それから二千年ちかくのあいだに人が確かめてきたことを、ひととおり並べる。出どころは、機構と諸国の台帳、学院に積まれた調べ書き、そしてわたし自身が歩いて見てきたものである。先に断っておくと、ここに書けるのは、内界がどう振る舞うか、までである。なぜそう振る舞うのかには、まだ誰も答えられていない。
内界は、ある日突然に生まれる。昨日まで何もなかった場所に、朝には、あの石組みのアーチ門が立っている。前触れらしい前触れは、これまでのところ見つかっていない。門の立つ場所にも、決まりがない。洞窟の奥が多いと言われるが、それは洞窟の奥から順に人が覗くからでもあるだろう。森の大木の幹に開いたもの、崩れた城壁の内に開いたもの、街なかの屋敷の壁に開いたもの。平原のただなか、遠浅の海の上、砂漠の岩陰。わたしが自分の目で確かめて帳面に写した門だけでも、立ち場所は五十を下らない。
発生の法則を突き止めようとした学者は、これまでに何人もいた。突き止めた者は、まだいない。ただ、二千年分の記録から、経験則と呼べるものが三つ拾い上げられている。
一つ。人里を離れた場所には生まれにくく、都市が大きくなるほど、その周りに生まれやすい。
二つ。人里離れた場所で見つかる内界は、調べてみると、かつて都市や集落のあった跡地であることが
多い。
三つ。中の世界は、門の立った土地と違う姿を取ることが多い。砂漠の門をくぐれば寒地が、海辺の門をくぐれば山が、山の門をくぐれば海や湖が、都市のそばの門をくぐれば平原が、というふうに、外と中とが対になる傾向がある。
三つとも、理由は分かっていない。ただ、一つ目と二つ目を並べると、内界は人の営みのあるところに寄ってくる、と言いたくなる形をしている。学院ではこれを人集説と呼んで、かれこれ百年論じているが、決着はついていない。
現れ方が突然なら、消え方も突然である。ある朝、門がない。それだけである。寿命は内界ごとにまちまちで、記録に残る短いものは五年ほど、多くは三十年までのあいだに消えている。その一方で、百年を超えてなお立ちつづける門もある。なぜ消えるのかについては、採りすぎたからだ、神の怒りに触れたのだ、中の何かをうっかり壊したのだ、と諸説が飛び交うが、どれも確かめられた試しがない。同じように使われていた二つの内界のうち、片方だけが消えた例が知られてからは、採りすぎ説も旗色が悪い。
消滅について、忘れてはならない話を一つ書いておく。かつて、内界の中に村を築いた者たちがいた。気持ちは分かる。夜がなく、冬がなく、恵みは尽きない。住み処として、これほどの土地はないように見える。村は幾年か栄えた。そして、内界の消えたある朝、村ごと消えた。たまたま門の外に出ていた数人だけが、残された。以来、人は内界の中で暮らさない。寝泊まりの小屋は建てても、家は建てない。法で禁じられているわけではない。この一件だけで、足りたのである。
中の作りは、学院の分けかたでは五つになる。
開放型。平原、丘、森、湖、海といった、広く開けた空間である。第一章の草原はこれにあたる。
山岳型。山裾のこともあれば、山がひとつ丸ごとのこともある。火山や雪山の記録もある。
閉鎖型。石積みや煉瓦の通路が、迷路のように張りめぐらされたものである。世間で迷宮と聞いて思い
浮かべられるのは、だいたいこの型である。
建物型。打ち捨てられた屋敷、宮殿、砦。墓地や街道が丸ごと、という例もある。誰も住んだ覚えのない屋敷が、埃ひとつなく建っている。
複層型。以上の組み合わせである。平原の真ん中に地下へ降りる階段が口を開け、降りた先に迷路が続く、というふうに、いくつもの世界が重なっている。
おおまかに言って、単純な作りの内界は早く消え、複雑で広大なものほど長く残る。これも、理由は例によって分かっていない。
どの内界にも、生き物がいない。獣も、鳥も、魚も、虫もいない。外から連れ込めば生きられるし、殖えもするから、羊も蜂も中で飼われている。いないのは、はじめからそこにいる生き物である。
ただ一つの例外が、あの異形どもである。万夜の眷属に似た姿のものが多く、大きさも形もさまざまで、なかには、どの獣譜にも載っていないものや、神代の幻獣と見まがうものの記録もある。彼らは、例外なく人を襲う。人の形をしたものも、人の言葉を話すものさえいるが、どれだけ言葉を交わしても、殺意だけは変わらない。話が通じることと、分かり合えることとは、別のものらしい。
そして、彼らは門を出られない。生きたまま境に触れると、見えない何かに弾かれる。中でどれほど増えようと、外の村が襲われた例は一つもない。入口の町が、門のすぐそばまで軒を寄せて栄えていられるのは、この一事があるからである。
骸は別である。倒した骸は、中に捨て置けば霧のように消えてしまうが、外へ持ち出せば、姿かたちを保ったまま残る。爪や鱗が細工の材になるもの、内臓が薬種になるものもいて、これも、二千年の間引きと持ち出しのなかで培われてきた知識である。第四章で述べる狩り手の実入りは、間引きの手間賃と、この持ち出しの売り上げとでできている。
最後に、桁外れの話をしておく。人に見つからぬまま長い年月を経た内界では、間引かれることのなかった異形どもが、ひしめき合っている。こうした内界が見つかると、村の狩り手の組では手に負えず、軍が動員されることもある。そして、見つかるまでに時を経た内界ほど、広く、複雑なものが多い。いま知られている最大の内界は、ファークルニア地方の、蒼天の浮遊回廊と呼ばれるものである。門をくぐると、そこは空である。小島ほどの大地がいくつも宙に浮かび、見渡すかぎり、どこまでも連なっている。あるはずの壁を、まだ誰も見ていない。わたしも二度入ったが、二度とも、壁どころか島の数を数えることさえ諦めて帰ってきた。
ここまでが、内界について、いま言えることのあらましである。現れては消え、人のそばに寄り、恵みを差し出し、異形を湧かせる。付き合いが二千年ちかくになっても、分かったことの目録より、分からぬことの目録のほうが厚い。それでも人は、分からぬなりに、内界と折り合う仕組みを作り上げてきた。次章は、その仕組みの話である。




