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内界諸国見聞紀行 第一章 内界の発見

内界諸国見聞紀行 第一章 内界の発見


 内界は、いつ、どのようにして人に知られるようになったのか。たしかなことを言える材料は、実はそう多くない。時は崩滅のあとの混乱の時代である。昨日まであった村が今日はなくなっていても不思議ではなく、ひどいときは、書物は破いて火口にするか壁の穴に詰めるかという世だった。記録を残す余裕のある人間が、そもそもいなかったのだ。そのなかで、内界について今の人が読める最も古い文献が、ひとつだけ残っている。グラナガダン大図書館に納められた、一冊の旅の手記である。


 書き手の名は、伝わっていない。表紙が失われ、図書館の目録にはただ、旅の者の手記、とある。紙と綴りの検分から、崩滅からそれほど遠くない時代のものと判じられている。わたしはこの手記の写しを何年も鞄に入れて歩いたあげく、結局ヴェレンから二十日かけて、原本を見に行った。写しで足りるだろうと同輩には笑われたが、踏まざるを書かず、である。行ってよかったと思っている。


 その旅人は、ある晩、山裾の洞窟で一夜を明かそうとした。手記はこう始まっている。


  風をよけて奥に入ると、洞窟は思ったより深かった。焚き火の薪を集めるつもりが、つい奥が気になって、灯りを持って進んだ。岩の壁が、いつのまにか、切り出して磨いたような白い石の壁に変わった。こんな山奥に、誰がこんなものを造ったのか。さらに行くと、石組みのアーチの門があった。人がひとり通れるほどの門で、その内側は、真っ黒だった。灯りをかざしても、黒いままだった。今夜はここまでにする。門の前で寝る。


 手記によると翌朝この門について旅人は様々調べている。まず棒を差し込んで先を確認する。門は壁に付いているのだから、棒は壁に突き当たるはずである。ところが、棒はどこまでも入っていった。引き抜くと、棒は濡れても汚れてもいない。声をかけても返事はなく、小石を投げ込んでも、音は返ってこなかった。縄を結んだ荷袋を入れて引いてみると、荷袋はそのまま戻ってきた。彼は半日、そういうことを一つずつ試している。いくらか試したところで、旅人は意を決して門をくぐることとする。ただ一言、門をくぐることにしてみる、とだけ書かれていた。


  次の頁が、おそらく人が内界について書いた、世界で最初の一節になる。


  門をくぐったら、草原だった。眩しくて、しばらく目が開けられなかった。空があって、太陽があって、風が吹いていた。わたしは山の中にいたはずである。歩いた距離を考えても、山の端から少し入ったくらいのはずである。それなのに、草原だった。遠くに、灰色の壁が見えた。おかしなことばかり書いていると自分でも思うが、見たままを書いている。


 旅人は、この草原に数日とどまった。手記には、最初の夜のことも書いてある。


  日が暮れない。外はとうに夜のはずだが、ここは昼のままである。仕方がないので、外套を顔にかぶせて寝た。妙な気分だが、雨の心配も、獣の心配もない野宿というものを、わたしは生まれてはじめてした。よく眠れた。起きても、まだ昼だった。


  川の水を、とうとう飲んだ。飲まなければ調べが続かないので、腹を決めて飲んだ。冷たくて、うまい。いままで飲んだどの水より、癖がない。


 腹を決めて飲んだ、のくだりで、わたしはいつも笑ってしまう。笑ってから、頭が下がる。誰も飲んだことのない水を最初に飲む役は、誰かが引き受けねばならなかったのだ。


 そして旅人は、調べたことを几帳面に箇条書きにしている。この箇条書きが、のちの内界研究の出発点になった。原文のまま引く。


  一、太陽は動かない。外が夜でも、ここは昼のままである。

  二、川の水は尽きない。摘んだ草は、数日すると元に戻って生えている。

  三、門は草原の真ん中にあり、どちらへ歩いても、半日ほどで壁に着く。

  四、壁は傷ひとつ付かず、とっかかりもなく、登れない。

  五、壁は丸く草原を囲んでいる。川は壁で途切れているのに、流れは続いている。

  六、草はあるが、獣がいない。虫の一匹もいない。


 これが人が初めて書き残した内界についてのものである。これ以降様々な姿の内界が発見されるが、そのどれもこの記述にある特性を共通のものとしてしている。この内界は常に昼であったが、ある内界では夜であったり、夕暮れであったりと、時の進みというものが内界にはない。すべての内界は共通して円形に囲まれ、そこを越えることはできない。資源は尽きることなく、果実などがある内界では、採っても数日たてば実りなおしているのである。


 さて、この旅人は、不思議がってばかりではいなかった。手記の終わりのほうには、こうある。水があり、草があり、雨も夜もない。ここで一晩休めるなら、峠越えがどれほど楽になるか、と。彼はこの場所を、立ち寄った先々で言い広めた。はじめは誰も信じなかったらしい。山の腹に草原があるという話は、酒場の法螺の型としてはありふれている。それでも、峠を越える者は試しに寄る。寄った者は、次から必ず寄る。かくして最初に知られた内界は、聖地でも学問の的でもなく、まず旅の中継ぎの宿場になった。門の外の洞窟には、いつしか焚き場と薪の置き場ができ、麓の村は、峠を行く隊商に草鞋と塩を売るようになった。


 ほどなく、夜のない牧草地に目をつけて、羊を放つ者が現れた。刈っても尽きぬ草である。冬が来ない。狼も来ない。蠅もたからない。羊飼いにとって、これほどの土地はない。羊はよく肥え、その毛と乳が、麓の村を少しずつ豊かにした。人は図太いもので、驚くより先に、役立つのなら使うのである。わたしはこの逞しさを、けなす気にはなれない。崩滅のあとの、誰もが飢えていた時代の話である。不思議を拝むのは、腹がくちくなってからでいい。


 手記は、ここで終わっている。旅人がそののちどこへ行ったのかは、分からない。手記が図書館に納まるまでの道筋にも諸説あるが、確かめようがない。続きを伝えるのは、この草原を抱えた村の記録と、領主の調べ書きである。


 ある日、放した羊が数頭、戻らなかった。はじめは迷ったのだろうと思われた。壁に囲われた草原である。逃げ出しようがない。翌日、牧童の報せで大人たちが探しに入ると、草原の奥、壁の近くに、食い荒らされた羊の骸があった。そのそばに、子供ほどの背丈の、暗い紫の肌をした異形のものが五体、羊を貪っていた。神書に伝わるドルヴァに似ていた、と村の記録は伝えている。異形どもは人を認めると、ためらいなく襲いかかってきた。村の男たちはこれを打ち払ったが、幾人かが手傷を負い、腕を失った者も出た。獣も虫もいないはずの箱庭で、あれだけが湧いた。


 村は、寄合を開いた。記録には、そのときの言い争いが短く残っている。あんな化け物の湧く場所に、二度と人をやれるか、と言う者があり、それに答えた古老の言葉が、そのまま書き留められている。ではおまえは、あの草原なしで、次の冬を越せるのか、と。誰も答えなかった、と記録は結んでいる。この一行に、あの時代のすべてが詰まっていると、わたしは思う。

 報せを受けた領主は、兵を入れて草原を調べ直させた。兵たちは幾月か草原に詰め、湧いては打ち払い、数を数え、日を数えた。分かったことは、いま狩り手なら誰でも知っている事柄の、最初の確認である。あの異形どもは、草と同じように、時を置いてまた湧く。人に対しては例外なく敵意を持ち、話も交渉も通じない。身振りを試みた兵もいたようだが、得たものは手傷だけだった。放っておけば数を増すばかりで、安全に使いたければ、定期に間引くほかない。倒した骸は、中に置いておけば数日で霧のように消える。ところが、外へ持ち出せば、姿を保ったまま残る。これは、領主に証しを見せようと骸を一体担ぎ出した兵が、図らずも確かめたことである。調べ書きの結びは、役人の文らしく素っ気ない。益、害を補うて余りあり。用を続くべし。ただし間引きを怠るべからず、である。


 それでも、と書きかけて、思い直す。それでも、ではないのだ。だからこそ、人はこの草原を捨てなかった。宿場として、牧草地として、あまりに有用だったからである。村は腕の立つ者を選び、時を決めて間引きに入らせるようになった。はじめは村の持ち回りだったものが、やがて銭で請け負う者の仕事になり、腕自慢が近隣から集まるようになる。誰もまだその名で呼んでいなかったが、これが、狩り手という生業の遠い始まりである。


 このころから、世界のあちこちで、似たような話が聞こえはじめる。山の腹の草原。地の底で波の音を立てる海。崖の内側の、季節の止まった谷。どの土地の話も、筋は驚くほど似ている。誰かが偶然に門を見つけ、恐る恐るくぐり、腰を抜かし、それから、使い道を考えはじめるのだ。崩滅に焼かれた世で、それが人々にとって何を意味したかは、序に引いた穀倉番の手記のとおりである。人と内界の付き合いは、こうして始まった。以来二千年、この付き合いは続いている。


 では、その内界とはそもそも何なのか。次章で、分かっているかぎりのことを並べる。先に断っておくと、分かっていないことのほうが多い。これだけ付き合ってきたのに、いまだにわかっていないことが多いのは興味が尽きない。しかし、歩いて分かる種類のことではないので、それらの解明は高楼の連中の仕事に取っておく。わたしは、わたしの分かることから書くことにしたいと思う。


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