内界諸国見聞紀行 序
序
本書は、内界について筆者の体験に基づいてまとめた書になる。
白状すると、わたしは机に向かうのが苦手だ。この序文ひとつ書くのに、宿の親父の酒の誘いを二度断って、ようやく取りかかっている。それでも本を書く気になったのは、十五年歩くうちに、人に話したいことが溜まりすぎたからだ。
名乗っておく。ダイン・ロ・ヴァルガ。学都ヴェレンの地誌学院で、民俗と地理をやっている。籍はあるが、机はない。あっても使わないので、学院が若い者に回してしまった。文句は言えない。わたしの学派は実踏派といって、踏まざるを書かず、を看板に掲げている。地誌は足の裏でやる学問だ、というのが師ロズマーンの持論で、師はその持論のとおりに歩きつづけて膝を壊した。引退の日、師はわたしに言った。わしの足はここまでだ。続きはおまえの足で歩け。それで、歩いてきた。本書はその十五年から、九つの内界を選んで書いた見聞の記録である。
先に、言葉を三つだけ覚えてもらいたい。内界で働く人は、だいたい三通りに分かれる。中に入って恵みを集める採り手。湧いてくる異形を間引く狩り手。内界にかかわる管理全体を統括する守り手。この三つはこの先の頁に何度も出てくるから、覚えておいてもらえると話が早い。
ついでに身の上も明かしておくと、わたしは若いころ、学資が尽きて、三年ほど狩り手の組にいた。学者の経歴としては疵であろうが、後悔は一切していない。内界のことをいちばんよく知っているのは、机の上の誰かではなく、毎日あそこで働いている連中だと、あの三年で骨身に沁みたからだ。いまも腰に剣を差しているのは、そのころの癖が抜けないせいで、左手の小指が足りないのも、そのころのよい思い出である。学院の連中はわたしを、学者の皮をかぶった狩り手と呼ぶ。狩り手の古なじみ共は、狩り手の皮をかぶった学者と呼ばれていた。どちらも気に入っている。
なぜこの本を書くのか。内界の本なら、世にもうたくさんある。機構と領主の台帳を開けば、どこに入口があって、年にどれだけ恵みが出て、いくら納められたかが分かる。学院の書庫へ行けば、内界とは何かをめぐる論文が百年分積んである。ただ、どちらを読んでも出てこないものがある。内界と人の営みの関係である。内界は人にとってなくてはならない資源の泉であり、内界があって成り立っている人の営みは数知れず。内界の恵みに浴していないものは一人もいないであろう。人があるから内界があり、内界があるから人は営めているのだと私は強く思う。内界はあの崩滅の日以降に生まれたとされる。草木も生えず、食物もなにもなく、食うや、飲まずや、といった生活が当たり前の時代に突如と現れ、ともすれば死に絶えていたかも知れない人の命脈をつないだのは内界である。
わたしの手元に、その時代の声がひとつある。グラナガダン大図書館で写させてもらった、無暦時代のある山村の、穀倉番の手記である。
今日も、山の腹の原で麦を刈った。外は灰の雪が降るのに、あの中だけはいつも昼で、麦が実っている。神さまの蔵だと、村の年寄りは言う。どの神さまかと聞くと、誰も答えられない。それでも、子らが生まれてはじめて腹一杯で眠っているのを見ると、恩寵という言葉のほかに、あてはまる言葉を知らない。どなたか存じませんが、ありがとうございます。
この感謝の現れにこそ内界と人との関係の根っこがあるように思える。数字の上だけ、記述の上だけでは見えてこない内界の本質こそ、あらわにされるべきものであり、それだからこそ私は内界に引かれて止まないのである。
それに、なにより、内界は単純に面白い。山道を小一時間も登っていないのに、目の前に果てのない麦の原が開ける。地の底で波の音を聞く。何度くぐっても、あの一歩目にだけは慣れない。何度も歩いて、何度も驚いた。その驚きを、熱が覚めないうちに紙へ移したつもりだ。
本の並びは簡単だ。第一章で内界の見つかったいきさつを、第二章でだいたいの性質を、第三章で管理の仕組みを、第四章で三つの生業を書く。ここまでが旅支度で、第五章から第十三章までが本番、九つの筆者が特に心に残った内界の探訪記である。読者は椅子から動かなくていい。沓の泥は、わたしが引き受ける。
最後に、道々で泊めてくれた村々と、組に混ぜてくれた狩り手たちと、膝の悪い老師に礼を言う。この本の上等なところはだいたい彼らのもので、間違いはぜんぶわたしのものだ。
王国歴1609年 実りの月
街道筋の宿にて
ヴェレン地誌学院 実踏派 ダイン・ロ・ヴァルガ




