内界諸国見聞紀行 第十三章 蒼天の浮遊回廊
最後の章は、この内界と決めていた。この紀行を麦の内界から始めたとき、名高いものから始めれば恰好はつく、と書いた。あのとき名前だけ挙げて素通りした内界が、これである。ファークルニア地方、蒼天の浮遊回廊。見つかってから百年、知られている限りで最大の内界であり、あるはずの壁を、いまだ誰も見たことがない。始まりを麦にした以上、締めくくりはここだと、初めから心づもりをしていた。
王国歴1609年の青葉の月、私はファークルニアの高原に立った。門は、乾いた岩山の中腹に開いている。名高い内界だけあって、門前には機構の大きな支部が構えられ、出入りは厳しく検められている。奥へ進むことを許されるのは、腕と経験を認められた狩り手と採り手だけだ。ただし、最初の島までなら、見物人にも門は開かれている。私はむろん、見物人の側である。
門をくぐった先は、空だった。足の下には草に覆われた島がある。だがその島の縁から先には、何もない。下を覗き込んでも、青い虚空が霞んで続くばかりで、底が見えない。見上げても同じである。雲すらまばらな青が、どこまでも深く続いている。そしてその青のなか、あらゆる高さ、あらゆる遠さに、島が浮かんでいるのである。小さいものは家ほど、大きいものは村がまるごと載るほど。岩の腹を見せて浮かぶ島々は、風に流されるように、それぞれの速さでゆっくりと動いている。島の一つから細い川がこぼれ落ちて、途中で霧になって散っていくのが見えた。私は縁から離れたところに腰を下ろして、気がつけば半日、ただ空と島を見ていた。この光景を書ける言葉を、私はまだ持っていない。一生かけても忘れられないだろうということだけは、あの場で分かった。
この内界が回廊と呼ばれるわけは、島々の動きにある。島は勝手気ままに漂っているように見えて、実は一定の周期で巡っており、時が来ると、島と島とが渡れるほどに近づくのである。私も一度だけ、その瞬間に立ち会えた。最初の島に、遠くにあった島がゆっくりと寄ってきて、縁と縁とがほとんど触れるほどに並んだ。待ち構えていた採り手の一隊が板を渡し、荷を担いで駆け抜けていく。やがて島はまた静かに離れ、隊の姿は次の島の茂みに消えた。渡りの窓は長くて半刻、短ければ瞬きほどだという。窓を逃せば、次に島が寄るまで、その島で待つほかない。奥の島々には、こうして渡りを繋いだ者しかたどり着けない。島から島へ、寄っては離れる橋を渡り継いでいく。回廊の名は、伊達ではないのである。
だから、この内界の主役は採り手である。どの島がいつ、どの島に寄るのか。それさえ読めれば、回廊は果てまで歩ける理屈になる。見つかってから百年、幾多の採り手がこの島巡りの解明に挑みつづけてきた。門に近い島々の巡りは、いまではかなりの精度で読めるようになっていて、機構の支部には歴代の採り手が書き継いできた運行の帳面が積まれている。だが、それで読めているのは、回廊のほんの入口にすぎない。奥にはまだ、誰も足を載せたことのない島が数えきれないほど浮かんでいて、すべての運行を明らかにした者は、百年たった今もいない。迷いの館が地図にできない内界なら、こちらは地図が終わらない内界である。ある老採り手は、帳面を撫でながらこう言った。「わしが読めたのは島三つ。それでも、この帳面に三行増えた。上等ですよ」。
気安く進めない理由は、渡りの難しさだけではない。この内界の界物は、鳥や竜を模したものが多い。空から来るのである。開けた島の上では、身を隠すところがない。頭上はるかの青の中に点が湧き、見る間に膨らんで、翼を鳴らして襲いかかってくる。狩り手は常に空を仰ぎながら島を歩き、渡りの窓のあいだも警戒を解けない。奥へ進むほど界物は強くなるのが常で、回廊の深部へ潜る隊には、青等級の狩り手が名を連ねると聞く。
そして、この回廊には、あれがいる。白銀に格付けされた界物は、世に五頭しか認められておらず、討伐の記録は一つもない。その五頭のうちの一頭が、この回廊の空を飛んでいるのである。竜を模した、山のような影だという。会おうと思って会えるものではなく、深部へ潜った隊が、はるか遠くの青を横切る影を見た、という話が年に幾つか帳面に載る程度だ。それで十分である、と誰もが言う。近くで見えたときは、逃げ場のない島の上だからだ。採り手たちの見立てでは、どこか奥の島に、あの竜の寝床があるらしい。寝床の島の巡りが読める日が来るのか、来たとして、それは幸運なのか災いなのか。答えられる者はまだいない。ただ、あれを討てば史上初めての白銀等級の狩り手が生まれるという事実だけが、酒場の若い衆の目を、今夜も輝かせている。
私はといえば、最初の島から一歩も先へは行かなかった。渡りの窓が目の前で開いたとき、正直に言えば、足がうずかなかったわけではない。だが、私の取り柄は引き際である。日が傾く前に門をくぐって帰り、支部の帳場で見物人の名簿に名を書いた。名簿は分厚く、頁を繰ると、諸国の言葉で無数の名が連なっていた。狩り手でも採り手でもない人々が、ただこの空を見るためだけに、ファークルニアくんだりまで来ているのである。その気持ちは、半日空を眺めた身として、よく分かる。
帰りの高原で振り返ると、岩山の門は小さく、その向こうの空は、こちら側の空と同じ色をしていた。あの青の中を、いまも島々が巡っている。誰にも読み切れない周期で寄っては離れ、誰も知らない島を浮かべたまま。百年かけて、人はまだこの内界の入口に立ったばかりである。それを心細いとは、私は思わない。むしろ、こんなに大きな謎を残したまま筆を置けることを、幸福に思う。内界を巡るこの長い旅の終わりに、世界でいちばん大きな宿題の前に立てたのだから、締めくくりとしては上々である。あとは結びを残すのみだが、その前に、もう一度だけ振り返って、あの空を目に焼き付けておくことにする。




