内界諸国見聞紀行 結び
この結びを、私は自分の書斎で書いている。机の上には、旅の名残がいくつか載っている。セルナの工房で買った小さな水晶。割らないままの灯星がひとつ、紙の山の脇で静かに灯っている。抽斗には底塩の包みがまだ少し残っていて、樽詰めの湯はさすがに持ち帰れなかったが、トーヴェの包み煮の味なら舌が覚えている。振り返れば、この書物そのものが、旅先でもらってきたものの寄せ集めである。
だからまず、礼を言わなければならない。麦の原で鎌の持ち方を笑いながら教えてくれた人たち。穴の底へ案内してくれた検分人と、杖一本で壺を仕留めた老採り手。焚き火に席を作り、焼きたての一尾を分けてくれた狩り手の一団。吹雪の晩に湯と寝床と芝居の席を世話してくれた宿の人々。石段の下の海で舟に乗せてくれた漁師たち。名を挙げていけば、それだけで一章になってしまう。機構の支部の帳面と、それを書き継いできた名も知らぬ先人たちにも、本書は多くを負っている。そして、狩り手あがりの風来坊にすぎない私を、どこの土地でも当たり前のように迎えてくれた門前の人々の気安さがなければ、この紀行はそもそも成り立たなかった。旅を支えてくれたすべての人に、この場を借りて頭を下げる。
旅を終えて、あらためて思うことがある。内界は、遠いところにあるのではない。読者よ、今日の食卓を思い出してほしい。パンの麦は、どこかの内界の原で刈られたものかもしれない。汁の塩は、地の底の海から上がってきたものかもしれない。病んだ日に飲んだ薬の材料、指にはめた石、夜道を照らした灯り。王の腰の剣から台所の塩壺まで、内界の恵みは、気づかぬうちに私たちの暮らしの隅々にまで染み込んでいる。崩滅の日からこのかた二千年ちかく、人はこの不思議な隣人とともに生きてきた。門をくぐったことのない人でも、内界と無縁に暮らしている人は、実のところ一人もいないのである。
それでいて、私たちは内界のことを、ほとんど何も知らない。門はなぜ、ある朝突然立つのか。なぜ中の世界は、外の土地と裏腹なのか。開かずの窓の向こうには何があるのか。水路を通らぬ湯、境で止まる生き物、誰が描いたとも知れぬ名画、読み切れない島々の巡り。本書はそうした謎を方々から拾い集めてきたが、その一つにも、答えを出せていない。神の恩寵と呼ぶ人の気持ちも、ただの気まぐれと肩をすくめる人の気持ちも、旅の間に幾度も分かった。どちらが正しいのかは、これからの人が確かめていくことだろう。
だから最後に、読者を誘っておきたい。この謎は、狩り手や採り手や学者だけのものではない。初見の浜は誰にでも開かれているし、大瀑布の虹も、浮遊回廊の最初の島も、路銀と少しの元気さえあれば見に行ける。行けば必ず、本書に書き切れなかった何かを見つけるはずである。私の筆はダラニファの足元にも及ばないが、あの大先達の書に導かれて私が旅に出たように、この拙い紀行が誰かの背中を押すことがあるなら、書き手としてこれに勝る喜びはない。内界はいまも、世界のどこかで新しい門を開いている。もしかしたら明日、あなたの町の路地にも。そのときは、どうか怖がる前に、少しだけ胸を躍らせてほしい。二千年のあいだ、私たちの隣人であり続けてくれたものが、また一つ、扉を叩いているのだから。
王国歴1609年 刈入れの月
ダイン・ロ・ヴァルガ




