内界諸国見聞紀行 第十一章 試しの内界
王国歴1609年の芽吹きの月、私は古戦場のほとりに立っていた。何百年も前、名も残らぬほど昔の戦で幾千の兵が倒れたと伝わる谷である。いまは草が茂るばかりのその谷を見下ろす山あいに、ひとつの門がある。採れるものは何もない。麦も石も薬草も、湯の一滴すら出ない。商人の帳面には載らず、世間の口の端にものぼらない。それでいて、狩り手でこの内界の名を知らぬ者はいない。試しの内界である。
中の造りは、これ以上ないほど単純だ。門をくぐると、数人が並んで歩ける幅の石の回廊が、ただ一直線に延びている。しばらく進むと石の扉があり、その先は広いホールになっていて、そこに界物が待っている。ホールを抜ければまた回廊、その先にまた扉とホール。この繰り返しが、どこまでも続く。界物は必ずホールにしかおらず、回廊で襲われることはない。分かれ道もなければ、隠し部屋もない。迷いの館とは正反対の、これほど見通しのいい内界を私はほかに知らない。にもかかわらず、この内界の果てにたどり着いた者は、いまだ一人もいないのである。
狩り手たちはここで、おのれの腕を測る。それも、一人でである。徒党を組んで挑む者はいない。掟があるわけではないのだが、一人で入らねば意味がない、というのが狩り手たちの共通の了解になっている。試されているのは一団の力ではなく、おのれ一個の力だからだ。何番目のホールまで進み、生きて引き返してこられたか。その数が、そのままその狩り手の器ということになる。ホールの界物は倒しても、半月とたたぬうちにすべてよみがえる。だから記録はいつでも塗り替えられるし、同じ者が季節を変えて何度でも挑める。麓の宿場の酒場には古い柱が一本あって、挑んだ者は自分の手で名と数を刻んでいく。刻む数に、証文はない。それでも偽りの数を刻んだ者がどうなるかは、狩り手の世界の不文律に属する話なので、ここには書かない。
この内界の界物には、はっきりした特徴がある。どれも、人の形を模しているのである。ホールに現れるのは一体のときもあれば五体のときもある。数が多いほうが厄介だろうと思われるかもしれないが、逆だ。一体で立っているときほど、手ごわい。五体は群れの戦いをするが、一体は剣士の戦いをする、と狩り手たちは言う。そして奥へ進むほど、相手は強く、老獪になっていく。古戦場のほとりに、人の形をした強敵が延々と並ぶ内界が開いた。あれは戦で果てた兵の影だと、酒のすすんだ晩にだけ声をひそめる古株もいる。
どこまで行けたかを示す証は、ないと書いた。ただ、それに近いものはある。この内界の界物は、時折り何かしらの武器や防具を身に着けているのだ。そしてそれが尋常の品ではない。諸国のどの鍛冶場の銘とも違い、金物の質そのものが市井のものと一線を画している。深いホールの相手ほど良い物を持つと言われ、持ち帰られた得物は、それ自体が何よりの深さの証として、また武人垂涎の品として、途方もない値で取り引きされる。
そして、あの剣の話をしなければならない。柱に刻まれた最も深い数は、三十五である。百年近く前にただ一人、三十五番目のホールまで至って生きて戻った狩り手がいた。その者が三十五の間の主から持ち帰った一本の剣は、いまはある国の王家に納められ、代々の王が引き継ぐ銘剣となっている。折れず、曲がらず、研ぎすら要らない。そればかりか、持ち主が矢玉にさらされたとき、剣がおのずと矢の道を曲げて主を守った、と王家の記録は伝えている。戦場でその王が浴びた矢が、ことごとく足元に逸れて突き立ったという件は、軍記にまで書かれている話である。狩り手の名は、酒場では十人が十通りに言い、正しい名は王家の記録にだけ残っているという。その名の主のあとに三十五へ届いた者はおらず、三十を越えた者すら、この百年で数えるほどしかいない。
もう一つ、狩り手たちが仲間内でしか口にしない話がある。奥まで行った者は、何かを得て帰る、というのである。それが何かは、誰もはっきりとは言わない。深手がやけにきれいに癒えた。あれから妙に悪運が強い。深くまで行った誰それは、最期まで穏やかだった。話の中身はてんでばらばらである。ただ、浅い者ほどこの話を面白がり、深くまで行った者ほど、笑わずに黙る。
白状する番だろう。私も挑んだことがある。狩り手の一団に同行し、世界を放浪していた若いころの話だ。第四章で自分の等級を書かずにおいたのは恥ずかしかったからだが、試しの数のほうは、狩り手同士なら初対面で聞き合う正直な物差しなので、ここにも書いておく。九つ。それが私の上限だった。九番目のホールには、一体だけが立っていた。長い得物を提げて、静かにこちらを見ていたあの立ち姿を、私はいまでも夢に見ることがある。斬り合う前に、私は扉を閉めて引き返した。臆病と笑われても仕方がないが、あのとき退いたおかげで、いまこうして書き物をしている。
滞在中、若い狩り手が一人で門をくぐっていくのを二度見送った。二度とも、日暮れ前に戻ってきた。二度目の晩、酒場で隣り合ったので、いくつだったかと聞いてみた。七つ、と彼は悔しそうに言い、それから少し胸を張って、去年は五つだった、と付け足した。私は自分の九つを白状して、一杯おごった。試しの内界が測っているのは、どこまで進めるかであると同時に、どこで引き返せるかでもある。あの若者が柱に刻む数は、これからまだ何度か増えるだろう。三十五の伝説には及ばずとも、生きて数を増やしていく者だけが、次の伝説の候補でいられるのである。




