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内界諸国見聞紀行 第九章 迷いの館

 建物型の内界は、五つの型のなかでいちばん静かな型である。門の先に、打ち捨てられた屋敷や宮殿、砦がぽつんと建っている。卓には食器が並び、寝台は整えられ、燭台まで揃っているのに、住人だけがどこにもいない。まるでつい今しがた、家人が席を立ったばかりのような部屋が、どこまでも続く。畑もなければ川もなく、採れるものといえば置かれている品物くらいのものだから、実入りの薄い型としても知られている。そしてどの建物型も、不思議なくらい似通っている。一つ見れば十を見た気になる、と言う狩り手もいるほどだ。


 その建物型のなかに、一つだけ、まるで似ていないものがある。王国歴1608年の白霜の月、私は谷あいの岩壁に立つその門をくぐった。世に言う、迷いの館である。


 この内界には、外がない。門を入ると、そこはもう館の大広間である。空も地面もなく、ただ廊下と階段と部屋が、果てもなく続いている。窓はあるのだが、硝子の向こうに白い霧が見えるだけで、景色というものがない。しかもこの窓、どれだけ力を込めても開かない。錠があるわけでも、建て付けが悪いわけでもなく、ただ開かないのである。壁の代わりに霧と開かずの窓がある内界だと思えばいいのかもしれない。それだけならまだ、変わり者の建物型で済む。この館が迷いの館と呼ばれるわけは、別にある。廊下と階段の繋がりが、入るたびに変わっているのである。


 誤解のないように書いておくと、中にいるあいだは変わらない。昨日は右に曲がれば食堂だったのに、今日入り直すと同じ角の先が吹き抜けの階段になっている、という変わり方だ。だから中では白墨で床に印をつけながら進み、帰りはそれをたどって戻る。次に入れば、印のついた床ごと部屋の並びが入れ替わっているから、白墨は毎回引き直しになる。建物型がすべてこうなのではない。よその建物型は、何度入ろうと間取りは同じである。知られている限り、繋がりの変わる内界はこの館ただ一つで、なぜここだけがそうなのかは、例によって誰にも分からない。


 もう一つ、この館で気を抜けない理由がある。ここの界物は、建物の調度に擬態しているものが多いのだ。廊下の壺が、通りかかった者に急に躍りかかってくる。燭台が、甲冑が、時には絵画までが、である。案内を頼んだ古株の採り手は、長い杖を持っていて、目についた調度を片端から小突きながら歩いた。反応がなければ通り、跳ねれば下がる。単純だが、これに勝る用心はないのだという。私も大広間の脇で、飾り棚の壺にしたたか驚かされた。杖で突かれたとたん、壺が牙を剥いて跳んだのである。狩り手あがりの反射で腰の得物に手が伸びたが、仕留めたのは案内人の杖の一振りのほうが先だった。年季が違う、ということにしておく。


 さて、この館には二つ名がある。地図にできない内界、である。第四章で書いたとおり、新しい内界を隅々まで歩き、地図に起こすのは採り手の腕の見せどころで、彼らはこの仕事に職人の誇りを懸けている。その採り手たちが、この館にだけは、こぞって挑んでは敗れてきた。ある高名な採り手は一年通いつめて三十枚の見取り図を作り、三十枚とも二度と使えなかったことを確かめて、筆を折ったという。そして、あのダラニファである。『内界探訪記』でこの館に触れた箇所を探すと、あれほど筆まめな大先達が、たった一行しか書いていない。「この館の見取り図は、諦めた。読者よ、笑わば笑え」。私はこの一行が好きで、旅の手帳の表紙の裏に写してある。


 目ぼしい実入りのないこの館に、それでも人が通うのには、もう一つわけがある。ごくまれに、とんでもないものが見つかるのである。古代のものとしか思えない遺物、銘のない名画、誰の作とも知れぬ彫像。どの部屋にいつ現れるかは知れず、年に数点も見つかればいいほうだが、これが好事家のあいだで途方もない値をつける。内界芸術、という一つの分野になっているほどで、屋敷の壁に掛けるなら家宝の剣より館の絵、という数寄者は年々増えているらしい。描いたのは誰か。彫ったのは誰か。銘はなく、答えもない。分からないことが、かえって人を熱くさせるのだろう。


 ただし、忘れてはいけない。この館で見つかる「名画」や「彫像」の大半は、擬態した界物である。手を伸ばした好事家が指を食われかけた話は、枚挙にいとまがない。そこで役に立つのが、界物は生きたまま門の境を越えられない、というあの決まりである。本物なら、抱えて門を抜けられる。擬態なら、境で弾かれる。つまりこの内界では、門そのものが目利きなのだ。おかげで館の出口では、時折り悲鳴が上がる。腕に抱いた彫像が、境で弾かれたとたんに正体を現すからだ。案内人いわく、「出口でだけは、誰でも本気で走りますな」。


 私はといえば、学徒の習いで、案内人に呆れられながら半日がかりで一角の見取り図を作った。翌日、確かめに入り直して、それが紙屑になっているのを自分の目で見た。分かっていてやったのだから世話はないが、おかげでダラニファのあの一行を、前よりずっと近しく感じられるようになった。地図にできない場所が一つくらいあってもいいとまでは、地図に世話になり通しの旅の身としては言わない。ただ、白い霧の窓と入れ替わる廊下を思い出すたび、あの館は人に見取り図を許さないのではなく、ただ間取りに飽きっぽいだけなのではないか、という気がしてくる。次に入るときも、館はきっと模様替えの最中である。


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