管理責任者の憂鬱3
置きっ放しの椅子と組んだばかりのベッド。
いつもの静けさ漂う部屋は、いつも以上の寂しさに包まれていた。
「トロールか……」
晶は革の鎧を肋骨に結びつけながら独りごちた。
晶も知っている、ファンタジー世界では有名な森の巨人だ。この世界での立ち位置は分からないが、晶の認識では雑魚の部類だった。
ただ、居場所が分からなければ、そもそも夜明けまでどれ位時間の猶予があるのかさえ分からない。
「うーん……。というか、生き肝ってなんだろ」
分からないことだらけの課題に一抹の不安を感じながら、晶は槍を手に部屋を出た。
まずはトロールがいる場所を探さなければならない。そんな時に晶が頼れる相手は彼らしかいなかった。
「アバさん、いるー?」
「アババ!」
いつものアバさん部屋に入ると元気なアバさんが迎えてくれた。その奥には陽気なアバさんと、強気なアバさんもいる。
元気なアバさんが晶を奥に案内してくれ、陽気なアバさんが晶のために小さい椅子を引いてくれ、強気なアバさんが晶の前にカップを置いてくれる。
「あ、今日は飲みに来たんじゃないんだ」
ビールを注いでくれようとしていた陽気なアバさんを手で制し、晶は話を切り出す。
「今日は相談があって来たんだ」
「アババ!?」
元気なアバさんが小首を傾げる。
「トロールって知ってる?」
「アババ」
強気なアバさんが机を叩く。よく分からないがトロールというワードに反応しているようだ。
「実は今からトロールの生き肝を取りに行くんだけど、居場所を教えてくれないかなって思って」
「アババ!」
「アバーバ」
「アババ」
彼らは話し合い、頷き、晶に向き直る。
「アババ!」
元気なアバさんが皆を代表して言った。勿論晶には何を言ってるのかさっぱり分からなかった。
アバさん達はすぐに支度を始めた--と言っても、棍棒を取りに行っただけだが、どうやらトロールの居場所まで案内してくれるようだった。
ダンジョンを出ると外は夜だった。
目の前には鬱蒼とした森が広がり、天を仰げば眩いばかりの満天の星空。
夜の森特有の湿気を帯びた空気。珍しい葉の形をした草木。聞いた事もない美しい声で鳴く虫の音。夜空に浮かぶ二つの月。
「これがソフィの暮らしてきた世界か」
初めてダンジョンの外に出た晶にとっては全てが新鮮だった。もっと異世界風景を堪能したいところだったが、気を引き締めすぐに森へと入る。
夜空に月が二つあるお陰で、森の中でも歩くのに不便がない程度は明るかった。木漏れ日ならぬ木漏れ月が差し込むからだ。それでも道は見え辛く複雑だ。
アバさんはそんな森の中を迷う事なく、慣れた足取りで奥へと進む。
もし彼らが案内をしてくれなければ、晶は今頃途方に暮れていただろう。一歩ずつだがゴールに近付いている気がする。
「アバさん、ありがとうね」
「アバーバ」
陽気なアバさんが「何てことない」といった感じで返す。
「アババ」
強気なアバさんが何か言う。
「トロールのこと?」
「アババ」
良く分からないが、アバさんにはアバさんなりのトロール事情があるらしい。
森の中を進むこと1時間。先頭を歩いていた陽気なアバさんが足を止めた。
「アバーバ……」
「アババ……」
「アババ……!」
アバさんが何やら小声で話し合っている。どうやら目的地が近いらしい。
晶もアバさんを真似て物音を立てないよう慎重に歩く。
そして茂みを掻き分けたその先に、恐らくトロールだろうその生物がいた。
「うわぁ……」
晶は唖然とした。
見た目はアバさんに似ている。不健康そうな緑色の肌。禿げ散らかした頭。厳ついおっさんの顔。しかし、サイズと体格が圧倒的に違った。
恐らく体長5メートルはあろう巨体。鋼を思わせる強靭な筋肉に全身が覆われており、腕は大木並みに太く、更に太い足はもはや何にも形容しがたい--敢えて例えるならミキサー車のタンクだ。
分厚い僧帽筋に埋もれた野太い首に、銃弾さえ弾き返してしまいそうなぱんぱんに膨れ上がった腹。
まさしく巨大肉体兵器だった。
そのトロールらしき巨大肉体兵器は、窪地に木の枝の筵で寝床を作り、その上に座って目を瞑っている。
眠っているのだろうその姿は、なんとなく巨大雄ゴリラに見えなくもなかった。
「……一応確認なんだけど、あれがトロールなんだよね」
「アババ」
晶の質問に強気なアバさんが首肯する。
「ですよね……」
(……全然雑魚カテゴリじゃないよこれ)
手に持っている槍と超巨大肉体兵器を見比べ晶は愕然とする 。恐らく晶の体などその太い腕一振りでバラバラに砕けてしまうだろう。
正面から戦いを挑んでも勝てる見込みはない。寝ている隙に生き肝を奪ってしまおうかと晶は考えるが、肝心の生き肝がどういう見た目なのかが分からない。
「アバさん、生き肝ってどんなやつか分かる? トロールが持ってるらしいんだけど」
「アバーバ、アバーバ。アバーバ」
陽気なアバさんが生き肝について説明してくれる--が、やっぱり何かを言っているのか分からない。
「だよねえ……」
晶は覚悟を決め茂みを出て、トロールを起こさないようにそろりそろりと近付く。
「アババ……!」
元気なアバさんが「危険だぞ……!」と言っているような気がする。
晶は茂みに隠れているアバさん達に親指の骨を立て「大丈夫だ」と合図を送ってみる--が、何を勘違いしたのか、アバさんたちが一斉に茂みから飛び出てきた。
「アババ!」
「アバーバ」
「アババ」
棍棒を掲げて超巨大肉体兵器に駆け寄るアバさん達。
「ちょ、突撃しても大丈夫ってことじゃないって。だめだよ。起きちゃうよー……!」
晶は声のトーンを抑えて注意するが、アバさんの耳くそだらけの耳には届かないようだった。
アバさんたちは思い思いに、手に持つその粗末な棍棒で眠っているトロールを殴り始めた。その圧倒的な体格差を目にした晶は、ふとガリバー旅行記の小人族の下りを思い出す。
(そうか! 寝ている間に縛ればいいのか!)
--が、既に遅かった。
トロールが目を開き覚醒する。木の枝を散らしながら立ち上がり、眼下で棍棒を振るゴブリン族を視認し顔を顰めた。
「グォォォォォォ……!!」
大木のように太い腕を掲げ、歯をむき出し、地鳴りのような咆哮を轟かせる。
「アババ!」
元気なアバさんが逃げろと言わんばかりに走り出す。陽気なアバさんが「アバーバ」とその後に続く。
しかし強気なアバさんだけはトロールの足を「アババ」と棍棒で殴り続けていた。強気だがどう見ても勝ち目はない。
「一旦逃げて出直そう!」
晶は強気なアバさんの手を引き、元気なアバさんたちを追いかけた。
「グォォォォォォ……!!」
超巨大肉体兵器が地面を揺らしながら追いかけてくる。
出直そうだなんて甘い考えだったと晶はすぐに痛感する。トロールは思った以上に速かった。茂みを踏み潰し木々をなぎ倒しながら物凄い速さで一直線に進んでくる。
「うわぁぁ!」
「アババ!」
「アバーバ」
「アババ」
晶たちは全力で夜の森を逃げる。捕まったら即死だ。
*
瞼を開けると、石の天井と壁に掛けられたランプが目に入ってきた。見覚えのある光景だった。
体を起こそうとして激痛に襲われる。視線を落とすとお腹に包帯が巻かれていて脇の箇所が血で滲んでいた。
「そっか、うち罠に掛かって怪我しちゃったんだ……」
どうやら迷惑を掛けてしまったようだ。自分の失敗を思い出し胸を痛める。
「目が覚めたようだな」
嗄れた冷たい声。ダンジョンに連れてこられた時と同じ部屋、同じ声だった。
ソフィアは痛みを堪えて身を起こし、辺りを見渡した。
「あの人は……?」
「人?」老魔術師が嗤う。
「トロールの生肝を採りにいったぞ」
「トロール!? ……ッ!」
思わず大声を上げるソフィア。傷痕が痛み、その可憐な顔を苦痛に歪める。
ソフィアの知る限り、トロールとは上級者冒険者が幾人も集まってようやく倒せるような怪物だ。たった一人で挑むことは自殺にも等しい。
「お前の治療費を弁済するためだが、そろそろ諦めて戻ってくる頃だろうな」
ソフィアは包帯に巻かれた脇腹を摩る。血は滲んでいるが傷は塞がっているようだ。老魔術師が治療してくれたのだろう。
「迎えに行く……」
ソフィアはそう言ってベッドを降りた。
「無理をしたら傷口が開くぞ」
老魔術師の忠告を無視し、弱々しい足取りでダンジョンの入り口へと向かった。
月がなりを潜め、東の空が白み始め、深い森が霧に包まれる。夜明けが近かった。
「大地の精霊ルイタヴィスよ、どうか……」
洞穴の入り口に立ち祈りを捧げるソフィアの頬を、早朝の風が冷んやりと撫で上げる。
彼女がその珠玉のような澄んだ瞳を開き、霧に包まれた森を儚げに見詰めたその時--
「グォォォォォォ……!!」
大地を揺るがすような咆哮が轟き、木々の上に緑の巨人が醜悪な顔を覗かせた。
「あ、あれがトロール……!?」
それはソフィアの想像よりずっと強大で悍ましく見えた。そのトロールがめきめきと木々をなぎ倒しながら真っ直ぐ洞穴に向かってくる。
醜悪な怪物の姿にか細い足が竦む。ソフィアはトロールの猛進に目が釘付けになり、逃げ出せなくなっていた。
「アババ」
「アバーバ」
「アババ!」
トロールに追われるようにして、森の中から3匹のゴブリンが飛び出してくる。
棍棒を振りながら必死に走り、ソフィアを素通りして洞窟の奥へと逃げて行く。
「ちょ、待ってよー!」
少し遅れて一体のスケルトンが森から出てきた。ボロボロの革鎧に体を包み、手には粗末な槍が握られている。
「良かった、生きてた……」
見慣れたその姿に、ソフィアの瞳に涙が滲む。
「え? ていうか、あれ? ソフィ?」
スケルトンも洞窟の入り口に佇む少女の姿を捉え、その眼窩を大きく見開いた--ような気がした。
「と、とにかく逃げろー!」
スケルトンが猛然と走り、ソフィアの小さい体を脇に抱え洞窟の奥にジャンプした直後--
「グォォォォォォ……!!」
追いかけてきたトロールが猛烈な勢いで頭から洞窟に突っ込む。
スゴーン! と物凄い音が響き、岩壁が揺れ、石飛礫が降り注ぎ、土埃が立ち込めた。
狭い洞窟の通路にその醜悪な頭を突っ込んだまま気絶しているトロールを見上げ、ソフィアが「凄い……」と感嘆する。その横で前頭骨を拭う晶。
「ふう……」
森の中を死ぬ思いをしながら逃げ回り、偶然ダンジョンに帰り着いて中に避難したものの、まさかトロールが勝手に自爆してくれるとは晶も思っていなかった。まさに棚から牡丹餅である。
「ところで、傷はどうしたの?」とソフィアに向き直る晶。
ソフィアが答える前に、洞窟の奥から嗄れた声が答えた。
「治療は先に済ませておいた。しかし本当にトロールを倒すとはな……」
アルバトラスはそう呟き不機嫌そうに眉根を寄せ、気絶しているトロールを見上げる。
「この生肝は貰っていくぞ。ただ弁済はまだ終わらんからな、また指示を出すまでお前らは罠の整備を続けていろ」
アルバトラスはそう言って懐からナイフを取り出し、気絶しているトロールの腹を捌き始めた。
晶はその様子を見て愕然とする。
「もしかして、生き肝って……」
「臓腑よ。……もしかして知らずに取りに行ってたの? 見た目通り脳みそもスカスカなのね」
その余りにもグロテスクな光景に、晶はない筈の胃から色々なものが戻ってくるのを感じた。




