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彼氏に殺された私の七日間。  作者: 三久田ともかさ


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親友


 今日は、あの女の人が来なかった。

 朝になっても、昼になっても。

 涼太くんはソファに座ったまま、ずっとスマホを見ていた。

 何度も画面を開いては、閉じる。

 時々、ため息をつく。


『……大丈夫?』

 隣に座ってみた。

 もちろん、涼太くんは気づかない。

 頬に触れようとしても、私の手はすり抜けてしまう。


『ちゃんと寝なきゃ駄目だよ』

 目の下には、濃い隈ができていた。

 髪もぼさぼさ。

 ご飯だって、ろくに食べていない。

 こんなとき、前なら私が何か作ってあげられたのに。


 冷蔵庫には、まだ卵が残っていたはずだ。

 涼太くんの好きな卵焼き。

 少し甘くしてあげると、いつも喜んでくれた。


『……食べたい?』

 返事はない。

 私はしばらく、涼太くんの横顔を見つめていた。

 そのときだった。


 ピンポーン。

 玄関の呼び鈴が鳴った。

 涼太くんの肩が跳ねる。

 しばらく動かなかった。

 もう一度、呼び鈴が鳴る。


「……はい」

 涼太くんがゆっくり立ち上がった。

 私も後を追う。

 玄関の扉が開いた。


「あ、涼太くん。こんにちは」

『……え?』

 聞き覚えのある声。

 私は思わず、扉の方へ近づいた。

 そこにいたのは、澪だった。


『澪……!』

 嬉しかった。

 とても、嬉しかった。

 あの日から、知っている人に会うのは初めてだったから。


「突然ごめんね。美幸、いる?」

 澪はいつもと変わらない笑顔で尋ねた。

「……美幸?」

「うん。最近、連絡しても返事が変なんだよね」

 そう言って、スマホを取り出した。

「風邪引いたって聞いたんだけど、何だか心配になっちゃって」


『……澪』

 やっぱり。

 澪は、私のことを心配してくれていたんだ。

『ありがとう』

 涼太くんは少し黙っていた。

 それから、ぎこちなく笑った。


「ああ、美幸なら今、出かけてるよ」

「そうなの?」

「うん。ちょっと用事で」

「風邪はもう大丈夫なんだ?」

「あ、ああ。だいぶ良くなったみたいで」


 どうして、そんな嘘をつくんだろう。

『涼太くん、違うよ』

 私はここにいる。

 ずっと、ここにいるのに。

 澪は少しだけ首を傾げた。


「そっか。ならよかった」

 そして、玄関から部屋の中を覗き込んだ。

「……ねえ、何か臭わない?」

 涼太くんの表情が変わった。

「え?」

「何だろう。変な臭い」


「ああ……」

 涼太くんは目を逸らした。

「風呂場の排水が調子悪くてさ」

「お風呂場?」

「うん。逆流してるみたいなんだ」

「そうなんだ。大変だね」

 澪は少し考えてから、口を開いた。


「ちょっと見てもいい?」

「いや、いいよ」

「でも、部屋まで臭ってるよ?」

「知り合いの業者に相談してるから」

「そうなの?」

「ああ」

 澪は困ったように笑った。


「じゃあ、見るだけ。うちも前に似たようなことがあったから」

「いや、本当に大丈夫だって」

 涼太くんは何度も断った。

 でも、澪は心配そうだった。


「涼太くん、顔色も悪いし。何か手伝えることがあったら言ってね」

 そう言いながら、廊下へ歩き出した。

 涼太くんが慌てて後を追う。

 私も、2人についていった。


 ◇


 浴室の扉が開いた。

 見慣れた洗面台。

 壁に掛かったタオル。

 そして、浴槽。

 そこには蓋がしてあった。


『……澪』

 私は浴槽を見つめた。

『ここだよ』

 私の身体は、そこにある。

 蓋を開けてくれれば、きっと分かる。

 澪は浴槽の前に立った。


「ここ?」

「あ、ああ……」

「蓋、閉めてるんだね」

「うん」

「ちょっと開けてもいい?」

 澪が手を伸ばす。

 指先が蓋に触れた。


『……澪』

 ゆっくりと、蓋が持ち上がる。

 ほんの少しだけ、隙間ができた。

 あと少し。

 あと少しでいいから。


「澪!」

 涼太くんが大きな声を出した。

 澪の肩が跳ねる。

 蓋が元の位置に戻った。


「……びっくりした。どうしたの?」

「ご、ごめん」

 涼太くんは額に汗を浮かべていた。

「排水が逆流してるんだ。かなり臭うから、開けないでくれ」

「……そうなの?」

「ああ。臭いから」


『……え?』

 臭い。

 涼太くんが、そんなことを言った。

 私、毎日お風呂に入っていたよ。

 ちゃんと身体を洗っていたよ。

 涼太くんが好きだって言ってくれたシャンプーも使っていた。


『……そんなこと、言わないでよ』

 澪は少し困ったように笑った。


「そっか。ごめんね」

「いや……」

「でも、臭いがこもってるから窓は開けた方がいいよ」


 澪が浴室の窓に手を伸ばした。

 ガラッ。

 窓が開く。

 冷たい冬の空気が流れ込んできた。


『……寒い』

 もう、寒さなんて感じないのに。

 そう思った。

 澪は窓の外を眺めていた。

 少しの間、何も言わなかった。

 それから振り返った。


「じゃあ、私そろそろ帰るね」

「あ、ああ。悪かったな」

「ううん。美幸にお大事にって伝えておいて」


「……分かった」

 澪が浴室を出ていく。

『……待って』

 私は慌てて後を追った。

『澪、待ってよ』

 玄関で、澪が靴を履く。

『行かないで』


 お願い。

 もう少しだけ、ここにいて。

 澪が扉に手をかけた。

 そのとき。

 一度だけ、振り返った。


「ばいばい」

 いつもの、優しい声だった。

 扉が閉まる。

 私はしばらく、玄関を見つめていた。


『……ばいばい、澪』

 また、会えるといいな。

 そう思った。

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