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1-7

「ひどい顔をしておるのう」


 地べたに座り込んで俯くシエトの前に、どこからともなくヴィラリアが現れた。彼女は煽るように横向きで寝転んで、にやにやと嫌味な笑みを浮かべてシエトの顔を覗き込む。


「数は十二匹。おそらく小隊を組んで周囲の偵察をやらせておる。こんな村は一度見つかればあっという間に略奪し尽くされてしまうじゃろうよ」


 シエトは顔を伏せたまま何も答えない。それに対し、ヴィラリアはお構いなしに話を続けた。


「あやつらは実に惨めじゃのう。ろくな武器もなく、戦いの経験すらないというのに、自分たちが勝てると確信しておる。魔族というものを見たことすらないからこその蛮勇か。一度魔族と相対したおぬしなら、その無謀さが身に染みてわかるはずじゃ」


 恐怖がフラッシュバックして、シエトはぎゅっと拳を握る。ヤッカたちを説得することもできず、かといって自分も戦う勇気はなく、彼らを見捨てて逃げる決断も取れない。シエトはこの場にただ蹲っているだけの自分を不甲斐なく思う。

 同時に自分の狡さに辟易としていた。心のどこかで彼はヴィラリアを待っていた。だからこの場に留まったのだ。そして、ヴィラリアもまたそれをわかっていて、このタイミングで現れたのだった。


「……君なら、倒せるの?」

 シエトは顔を上げずに、ぽつりとそう尋ねる。


「当たり前じゃ。儂を誰だと思っておる」

 ヴィラリアは不遜な表情で答える。


「しかし、それはおぬしが儂と正統な契約を交わすのであれば、じゃ」

「契約……」

「うぬ。儂がおぬしに力を与える代わりに、おぬしは儂の未練を果たす。これほどわかりやすい契約というのもなかろうよ」


 正直なところ、シエトはまだヴィラリアを少し疑っていた。あの時身体の制御を奪われていたことを考えると、契約を交わした途端、自分の存在を乗っ取られてしまうかもしれない。


 そもそも未だにヴィラリアが魔王であるということも完全に信じてはいなかった。少しだけ目線を上げて彼女の顔を見るが、角も隠してしまっている今の彼女は単なる無邪気な少女にしか見えない。しかし、人間ではないにせよ、シエトのことをからかって楽しんでいる質の悪い魔族であるという可能性もあり得る。


「そんなに疑わんでも、取って食ったりはせんよ」

 顔をしかめるシエトに対して、ヴィラリアはからかうように笑った。


「言ったじゃろ。儂は「この世界に平和を取り戻す」という現世に残した未練を晴らしたいだけじゃ。くだらん企みなどないから安心せい。そもそも魔術的契約を交わすのであれば、相手を騙して不利益を被るのは儂じゃろう」


 魔術的契約は人間の社会でもしばしば用いられているため、シエトも聞いたことがあった。魔術師が自身の魔力を媒介として、相手に『縛り』をかける。かけられた相手はその魔力が消えるまで、その『縛り』に従わなければならなくなるというものだ。

 力のある魔術師が必要で非常に労力がかかるため、ほとんど一般社会では用いられないが、大罪人への懲罰や国際的な条約の調印などでは重宝される。他にも、王国騎士団はある一定以上の地位になると、契約によって王国のために命を賭して戦うことを確約させられている。


 もしも契約を破れば、その『縛り』が呪いに変わり、契約者の心身を蝕む。契約内容や手法によって呪いの形も異なるが、場合によっては死よりも恐ろしい苦しみを受けることもあると言われている。

 契約の内容はある程度自由に設定できるが、「現実的に可能であること」「双方が了承した内容であること」が必須条件となる。そのため、無理矢理に不当な契約を交わすことはできない。この公平性こそが魔術的契約の特徴だった。


 シエトは幼い頃学んだ知識として、こうした魔術的契約に関する基本的なことは知っていた。ヴィラリアの言う通り、騙されることはないはずだった。


 しかし、相手が元魔王だと仮定するなら話は別だった。何か公平性を崩す方法を知っているかもしれないし、そもそも人間における魔術的契約と魔族におけるそれが同じだとも限らない。

 その一方で、わずか数日ながらも生活を共にしたことで、シエトはどこかで彼女を信用してしまっていた。彼女は決して善人ではないが、卑怯で狡猾なタイプではない。むしろその魔王然とした尊大さが故に、そうした謀略を毛嫌いしている印象だった。


 それさえも手のひらの上だと言ってしまえばそれまでだが、どうしてもシエトは彼女を疑いきれない部分があった。


「おっと。呑気に話をしている場合でもないようじゃぞ」


 ヴィラリアの目が魔族兵たちの姿を捉えた。進路を変えずに真っ直ぐこの村へと向かってきているようだった。


 ちょうど不穏な気配に呼応するように、空を覆う雲が一層分厚くなっていた。太陽の光を完全に遮断し、村全体にまるで夜のような暗い影が差している。

 シエトが広場の方に目を向けると、ヤッカたちはやはり逃げる気配もなく、武器を片手に神経を研ぎ澄ませて周囲を警戒していた。その背中からは自分たちがこの村を守るのだという強い意志を感じる。


「何を迷っておるのじゃ。さあ、おぬしがこの手を握れば、望む力が手に入るぞ」


 シエトの目の前に小さな手のひらが差し出される。一瞬その手を握ろうと顔を上げるが、ちょうど視線の先に自分が投げ捨てたナイフが目に入った。


 どうせ自分には何もできない。力を持ったとて、正しく使えなければ意味がない。

無力感が彼の踏み出そうとした足を元の場所に戻す。


 結局、シエトは怖かったのだ。自分が起こした行動によって、取り返しのつかないことになってしまうことを恐れていた。だから、自分が歩く道を選ばない。何も決断せず、成り行きに任せ、のらりくらりと生きていくしかなかった。


「うあああああ」


 突然、広場の方から大きな叫び声が上がる。シエトは慌ててそちらに目を向けると、剣を持ったマルマニに魔族兵が近付いていた。他にも、森の奥から次々と禍々しい姿をした魔族兵が現れ、我が物顔で村の中へと足を踏み入れる。


「ぼーっとするな!」


 ヤッカがマルマニに向かって飛びつき、ギリギリのところで振り下ろされた剣を躱した。すっかり震えて動けなくなったマルマニを背中に隠し、ヤッカは大きな斧を構えて魔族兵を睨む。


 トンカ村に住む男の中では、ヤッカはひと際大きい身体を持っていた。採掘で鍛えられた腕は丸太のように太く、硬い筋肉で覆われたごつごつとした身体は岩山にも似た頑強さを携えていた。

 しかし、魔族に相対した彼はあまりにも小さく見えた。黒い鎧を身にまとった魔族兵の体躯は優に二メートルを超えていて、シエトの身体よりも大きな剣を片手で悠々と担いでいる。


「や、やめろォ……!」


 魔族兵たちは手あたり次第に村を破壊し始める。それを止めようとキェルキが猟銃を放つが、乾いた音が響くだけで、弾は地面に落ちた雨粒のようにあっけなく鎧にはじかれてしまう。


「ひぃいいい」


 別の場所ではリッツが三体の猿のような姿をした魔族兵に囲まれて逃げ場を失っていた。怯えて蹲る彼を他所に、魔族兵たちは誰が殺すのかで喧嘩を始める。


「ナジカ、逃げろ!」

「えっ……」


 破壊されていく村を前に呆然と立ち尽くしていたナジカは、ヤッカの声に気付いてようやく正気を取り戻す。しかし、振り返った時にはすでに遅く、魔族兵の鋭い爪が深々と彼の顔面に突き刺さった。


「こんなの無理だ……」

「おい、待て!」


 それを見たマルマニが足をもつれさせながら慌てて逃げだす。しかし、すでに彼らは魔族兵たちに囲まれていて、逃げ場を失っていた。そのことに気付いていたヤッカは彼を止めようとするが、動転した相手にその声は届かない。


「クソッ……」


 マルマニはすぐに魔族兵の一人に捕えられ、首を握りつぶされて息絶える。ヤッカはその無残な様から目を逸らすように顔をそむけた。


「ぅうあうぐ」


 その間にも、魔族兵たちが身体を取り合うように引っ張り合っていた。ブチブチと鈍い音が声にもならない悲鳴をかき消しながら、身体が歪に三等分されていく。


 そんな地獄絵図のような光景を目の前にして、シエトは恐怖で足がすくんで動けなくなっていた。地面に広がった真っ赤な血が、脳裏に焼き付いた炎の色と重なる。


「舐めやがって!」


 その場で唯一、ヤッカだけがまだ戦いを諦めていなかった。


 自分を奮い立たせるように叫ぶと、両手で握った斧を思い切り魔族兵に向かって振り下ろす。硬い鎧に負けてはじき返されそうになるが、それを腕力で強引に押し切って、そのまま首元に刃をねじ込ませた。

 黒い血を吹き出しながら、その魔族兵はもだえるようにして倒れ込む。ヤッカは顔に飛び散った返り血を拭って、倒れた敵が握っていた剣を拾い上げた。


「かかってこい」


 ヤッカがそう口にした次の瞬間、ぼとりと重たい音がして、彼の右腕とともに剣が地面に転がった。一拍遅れて痛みに気付いた彼は、先のなくなった肩を抱えて膝から崩れ落ちる。


「逃げ、ろ」


 朦朧とした意識の中でシエトの姿を捉えたヤッカは、最後の力を振り絞ってそう告げると、痛みと失血に耐えかねてそのまま意識を失った。

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