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 それからしばらくの間、兄妹と魔王の不思議な共同生活が始まった。ヴィラリアは他に行く当てもなく、自身の魔力媒介となり得るシエトから離れる理由がなかったし、シエトの方も自分が連れてきてしまった手前、無下に追い出すことができなかった。


 村の人たちへの説明はかなり苦労を強いられた。実体がないことがバレないよう、引っ込み思案な少女という設定で自分の後ろに隠しながら、孤児を拾ったという嘘を通してとりあえずは納得させることができた。


 幸いだったのは、その茶番にヴィラリアが素直に従ったことだった。尊大な魔王と言えど事を荒立てるつもりはなかったようで、自身の外見も魔力操作によって角のない普通の少女へと変貌させ、家の外ではできるだけ他の村人と接触しないよう寡黙に振舞っていた。


 幽霊の件については、魔族兵をシエトが倒したと伝えるわけにいかず、ヴィラリアが人を脅かして遊んでいたのだと説明をした。村長には本人が反省していることと、今後はシエトが面倒を見ることを伝え、特にお咎めはなしということで話はまとまった。

 さほど大きな被害を受けていたわけではないこともあり、子どもの悪戯なら仕方ないと村人たちもあっさりと納得した。


 当然、正体が明確になったことで幽霊の噂もあっという間に立ち消えていった。所詮村人たちにとっては娯楽の少ない田舎のちょっとした余興でしかなく、ちょうど皆も飽き始めていた頃合いだった。


「暇じゃ」


 息を切らしながら鉱石を運ぶシエトを尻目に、彼の引く台車の上で寝転ぶヴィラリアは退屈そうに大きなあくびをする。


「暇なら手伝ってよ」

「身体を貸せば、こんな軽石なぞ村まで放り投げてやるぞ」

「そんなことされたら、またしばらくまともに動けなくなっちゃうよ」


 あれから数日の間、シエトは身体をヴィラリアに貸した代償で全身の筋肉が悲鳴を上げて、歩くのもやっとな生活が続いた。そのせいで約束していた仕事をキャンセルするはめになり、今日はそのツケで朝からヤッカにこき使われていた。


「普通なら動けないどころか、永遠に動かなくなっとるじゃろうがのう」

「……ってことは、あの時は僕を殺すつもりで身体を乗っ取ったの?」

「おぬしなら大丈夫じゃろうと思うとったよ。結果おーらいじゃ」


 ヴィラリアと話していると、すっかり彼女のペースに乗せられてしまい、シエトは疲れるばかりだった。無駄話をやめて仕事に集中しようと、台車の引手を持ち直して少しスピードを上げる。


「そんなことより、何故おぬしは雑用ばかり引き受けておるのじゃ? さっさとあの男の弟子にでもなって、定職に就いた方がよかろう」

「んぐっ……。まさか、魔王に真っ当な説教をされるなんてね……」


 ここ数日、ヴィラリアはシエトの仕事を隣でずっと見ていた。牛乳配達、草刈り、子どものお守りに、力仕事。どれも誰でもできて、誰でもいい仕事ばかりで、報酬だって決して割がいいとは言えなかった。


「そろそろお前も身を固めたらどうだ? ちょうど俺も一人じゃ限界があって、手伝ってもらいたいんだ」


 ヤッカもそんな彼の生活を案じていて、会う度に自分の仕事を本格的に手伝わないかという話を持ち掛けてくれていた。


 確かに、魔法石の採掘はこの村でもっとも安定した仕事だった。ヤッカは何人かいる鉱夫の中でもとびきり腕がよく、村人たちからの信頼も厚い。時期村長候補などと言われているほどで、彼の下で働けばこの村での一生が約束されることになる。


 シエトはもう十年以上この村で暮らし、村人たちとも良好な関係を築いている。しかし、あくまでも彼はよそ者であることに変わりなく、この村に家族と呼べる存在はヨミリだけだ。一見上手くやっているようでも、閉鎖された小さな村の中でその隔たりはあまりに大きい。


 そんなシエトも、ヤッカの下に付けば彼とは家族同然の繋がりが生まれる。つまり、名実ともに本当の意味でこの村の住人となるわけだ。だからシエトにとってはヤッカの誘いは、職を得る以上に大きな意味を持つことだった。


「いいんだよ。僕らこれくらい適当に生きてるのが似合ってるんだ」


 それでもシエトは誰に何を言われてもはぐらかすばかりで、何でも屋という名の浮草のような生活を続けていた。周囲とはそれなりに上手く付き合って、決して深くは踏み込まない。そうやって、飄々と生きていくことが楽だった。


 自分を受け入れてくれた村に恩義を感じてはいたし、まるで家族のように接してくれる村人たちに感謝もあった。何でも屋の仕事もそんな村への恩返しの意味を込めて始めたものだ。だが、だからこそ彼は自身を俯瞰していて、あらゆるものから程よい距離を置いて生きていた。


 あくまでも彼の故郷はこの村でない。


 もはや彼は故郷と家族を失ったこの世界での生き方を見失っていた。


 本当は彼もあの夜に死んだ。


 今の彼は生きているのではなく、単に生きているふりを続けているだけだった。


「そうは言うても、おぬしにだって妹がおろう」

「ヨミリは本当の妹じゃないんだ」


 誰にも、ヨミリ自身にさえ語っていないことをシエトはつい口にしてしまう。そこでようやく自分が喋りすぎていることに気付いた。ちょうど森が途切れて村が見えてきて、余計なことを言わないように口をつぐんだ。


「難儀な奴じゃのう」

 魔族であるヴィラリアにはシエトの葛藤がまるで理解できなかった。そもそもさして興味があったわけでもなく、彼が語ろうとしない限りはそれ以上何も尋ねなかった。


「……お疲れさん」


 シエトたちは夕方ごろに作業を終えて、そのまま村で唯一の食堂へとやってきた。珍しく仕事終わりにヤッカが声をかけてきて、二人で食事に行こうと誘ってきたのだった。


「好きなものを食え。もちろん俺のおごりだ」


 ヤッカはメニューをシエトの前に放り投げると、注文するよりも先に運ばれてきた酒を一気に煽る。シエトはこれまでも何度かヤッカと食事をともにしたことがあったが、いつも酒ばかり飲んで食べ物はほとんど口にしなかった。


「小食なのによくそんなに大きい身体になったね」


 シエトは自分の注文した煮込みを口に運びながら、小さな豆をちまちまと食べながらそれを大量のビールで流し込むヤッカを見て呟く。


「肉やら野菜やらは食わなくても、酒さえあれば十分なんだよ。身体が大きくなったのも、大人になって酒を飲むようになってからだしな。人間が生きていくために、本当に必要なものは酒と家族だけだ」

「それ絶対ヤッカだけだから……。身体の構造が違うんだろうね」


 次々と運ばれてきた酒を飲み干していく様は圧巻だった。一滴も飲んでいないシエトも、見ているだけで段々と胸やけがしてくる。


 途中で店員も運ぶのが面倒になったのか、両手で抱えるのがやっとな樽になみなみと注いで持ってきたが、ヤッカはそれを一息で飲み切ってしまった。店内にいた他の客もその姿に釘付けとなり、空になった樽が床に置かれると、大きな歓声と拍手が響き渡った。


 ヤッカがいるせいで、この村は人口が三倍以上もいる隣町よりも酒の消費量が多いなんて噂もあった。彼自身は一流の採掘師で稼ぎは村の中でも相当いいはずだが、酒に変わって湯水のように流れていくせいで質素な生活をしている。


「それで、やっぱり本格的に手伝う気はないのか?」


 ひとしきり食事を終えたところで、ヤッカは少し居住まいを正して本題に入る。シエトも薄々気付いていたが、やはり昼間の話の続きをするためにわざわざ食事に誘ってきたようだった。


「ごめん……。ふらふらしてるように見えるかもしれないけど、僕は僕で今の生活が気に入ってるんだ」


 何度言われても、シエトの気持ちは変わらなかった。彼はそう答えながら、気まずさを誤魔化すために、つまみの豆を手に取って指の間を転がす。


「もちろんお前がどう生きようと構わない。だがな、真剣に生きようとしないなら、それは死んでいるのと同じだ。そして、それは本当に死ぬ時になって、きっと後悔することになる」


 その日、ヤッカはいつもよりも饒舌だった。どうやら酒を飲みすぎて、流石の彼も少し酔っているようだった。


「俺には兄がいた。両親の言うことも聞かず、働きもせず、友達も作らず、いつも一人で遊び歩いて自分の好き勝手に生きていた。幼い俺はそんな兄の自由さに憧れていたよ」


 ヤッカは酒を口にしようとコップを手に取って、中身が入っていないことに気付いて何も言わず机の上に戻す。


「あいつは十五歳の頃に死んだ。ある日突然病気にかかって、あっという間に衰弱して死んでいった。やせ細って青白くなった顔は、まるで絶望を人間の形に組み替えたみたいだと思ったよ。その時、死ぬ間際になって、あいつは俺に言ったんだ」


 ――俺はずっと怖かった。何にもできない自分が怖くて、何にもしなかった。


「それがどういう意味かをずっと考えて生きてきた。今もその答えはわからない。でもあいつは幼心に恐れていたんじゃないかと思う。自分が村というコミュニティに属して、他者と比較して評価されることで、自分という存在が浮彫になることを恐れていた。でもそうやって色んなものから逃げていたせいで、死ぬ間際になって、自分の中身が空っぽだったと気付いた」


 やはり酒が必要だと考えて、ヤッカは店員に向けて空になったコップを掲げた。すると、すぐに新しい酒が運ばれてくる。しかし、すぐに口をつけることはせず、彼はぱちぱちと弾ける泡を真剣な顔で見つめていた。


「自分で自分の存在を確立できる人間はいい。でもそうじゃない奴は他者と深く関わることが必要で、他人によって自分を定義してもらう方が楽なんだよ。それは家族でも友人でも仕事仲間でもいい。人間っていうのはそういう繋がりがあることで、ようやく自分自身の存在を認識できる」


 ヤッカは顔を上げ、その日初めてシエトの顔を真っ直ぐ見据えた。


「お前はどっちだ?」


 その質問にシエトはすぐ答えることができなかった。適当にはぐらかしてしまうこともできたが、それはヤッカの想いを踏みにじる行為だと理解していた。


 しかし、しばらく考えても、自分の心を上手く言い表す言葉は出てこない。そもそもシエトは自分自身の考えていることがわからなくなっていた。彼はあの日、故郷を焼いた炎の中で死んでしまっているから。


「僕は……生きていくってことが目標で、そのことに精一杯なんだ」


 ヤッカの弟子になって、村のために毎日働いて、結婚して子どもが生まれて、なんだかんだ幸せだったとそれなりに満足して死んでいく。シエトはそういうこの村での当たり前の生き方が想像できなかった。今を生きているばかりで、未来のことは考えられない。


 そもそも自分がこの村にいていいのか、当たり前の顔をして生きていていいのか、そういう根本的な部分に対しての疑問が拭えなかった。幸せに生きようとすることは、彼が失くしてしまったあらゆるものへの冒涜に思えて、どうしても二の足を踏んでしまう。


「お前はもうとっくにこの村の住人だ。俺たちの家族だ。お前がそれを否定することはない」


 まるでシエトの心を見透かしたように、ヤッカはそんなことを口にする。


「そう、だよね……。ありがとう」


 頭ではわかっていることだった。それなのに、シエトの心がそれを受け付けない。脳裏に焼き付いた燃え盛る炎がいつまでも消えない。


「まあ焦ることでもない。ゆっくり考えておいてくれ」


 ヤッカはそう言って、再び店員を呼んで会計を済ませた。最後に運ばれてきた酒はなみなみと注がれたままで、少なくなった泡がゆらゆらと水面を動いていた。

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