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「お出ましじゃ」
洞窟の入り口で待ち構えていたシエトの前に、少し遅れて最後の魔族兵が現れる。
「これまでの雑魚どもよりは、多少骨のある奴のようじゃのう」
相手はヤッカの腕を落とした黒い鎧の魔族兵だった。明らかに今までの相手とは一線を画す雰囲気を携えており、シエトたちを警戒しながらゆっくりと近付いてくる。
シエトは剣を抜き、少しだけ魔力の出力を上げる。魔力消費を効率化できたとはいっても、まだその扱いは素人以下で、これまでの消耗もあって長くは保たない。ヤッカのこともあるため、すぐに決着をつける必要があった。
「来るぞ」
先に動いたのは魔族兵だった。重く分厚い鎧を着ているにもかかわらず、その巨体に似つかわしくない俊敏な動きで距離を詰める。
シエトは振り下ろされた剣に反応するのが精一杯だった。胸の手前でギリギリ剣を受けるが、すぐに力負けして身体を吹き飛ばされる。
すかさず魔族兵は容赦ない追撃を加えてくる。シエトは必死に逃げ回りながらそれをいなすことしかできなかった。
「こやつの動きは大振りで単調じゃ。速度と膂力に惑わされず、よく見極めよ」
「そんなこと言ったって……!」
ヴィラリアは不格好な戦いをするシエトに呆れながら助言をする。しかし、彼女自身は元々感覚派の戦闘スタイルであるため、漠然とした言葉しか出てこず、シエトにはほとんど伝わらない。
そもそもシエトは喧嘩さえもまともにしたことがなく、剣を握るのも今日が初めてだった。雑兵相手であれば、狩りの要領で奇襲の一撃を狙うことができたが、こう真っ向勝負になると露骨にその経験値の差が表れてしまう。
「元魔王なんだから、魔術とかで何とかできないの?」
「如何に儂の魔力があるといえど、魔術師でもないおぬしがいきなり魔術を使うことなどできるはずもない。一朝一夕で身に付くものではないからのう。むしろ、肉体強化ができているだけでも奇跡と言えるくらいじゃ」
もはや力押しで強引に勝つしか方法はなかった。ただし、これ以上魔力出力を上げれば肉体の限界を超えてしまう。ほんの一瞬、たった一撃にすべてを掛けるしかない。
力を振り絞って相手の剣を弾き飛ばし、一度距離を取って体勢を立て直す。
すでにシエトは気力も限界が近かった。肉体の消耗によって集中力も途切れ、全身を覆う魔力の膜にも揺らぎが生じている。
「気合いが足りんぞ」
「……わかってるよ」
根性論で鼓舞するヴィラリアの言葉に、逆に少しだけ心が落ち着いた。シエトは深呼吸をして、真っ直ぐ魔族兵の方を見据える。
相手もこの一撃で雌雄を決しようという考えは同じようだった。機会を見計らうように、剣を構えたまま動きを止める。
風が凪いでいた。葉の一枚すらも動くのをやめて、まるで森全体の時が止まったような静寂が訪れる。
身じろぎさえも許されない緊迫感に、シエトは全神経を集中させてその瞬間を待つ。
――今だ。
ほんの一瞬だけ、シエトの方が早く動き出していた。一直線に魔族兵へと突進し、全体重を両手で握った剣を通して相手に押し付ける。
わずかに遅れていれば先手を取られていたし、早すぎれば決死の特攻を難なくかわされてしまっていた。シエトは敵の呼吸を読み、完璧なタイミングで攻勢に出ることに成功した。
反応が遅れた魔族兵は不利な体勢で彼の攻撃を受ける。鍔迫り合いになりながらも、じりじりとシエトの剣が魔族兵の身体に食い込もうとする。
勝てる。このまま押し切れば倒せると、シエトは勝利を確信した。
しかし、その瞬間、シエトの両手から重みがなくなったようにふっと力が抜ける。
同時に激しい破砕音が彼の耳を打つ。
ちょうど刃が重なった部分を中心にして、彼の剣が破裂するように砕けていく。
そうなるのも無理はない。彼が使っていたのは、魔族兵の下っ端が持っていた使い古しの剣だった。ろくに手入れもされておらず、刃こぼれや細かい傷まみれで、いつ壊れてもおかしくないような状態だった。
支えを失ったシエトの身体は体勢を崩し、そのまま魔族兵の横をすり抜けるようにして地面に倒れ込んだ。
そして、彼の眼前に魔族兵が剣を突き立てる。
もはや為す術はなかった。彼がどう動こうとしても、先に相手の剣が身体に届いてしまう。
――まあ、僕にしてはがんばったよな。
まるで潮が引いていくかのように、身体から熱が失われる。身体には力が入らず、手のひらから折れた剣が零れ落ちる。すでに魔力を使うこともできず、残滓が失われるのに従って角は消えて、光を失うように髪の毛は元の黒色に戻っていく。
結局自分には何もできないのだという、妙な納得感が諦めとともに心を満たしていた。
「ごめん」
振り下ろされる刃を前に、シエトは誰に向けたわけでもない謝罪の言葉を口にして、そっと目を瞑る。
「お兄……!」
ところが、剣に身体を引き裂かれる痛みは感じなかった。
代わりに、何かがぶつかってくる感覚があり、そのまま押しやられるように地面を身体が転がる。
慌てて目を開くと、数メートル先に魔族兵の姿があった。そして、その身体を覆い隠すように足元から激しい爆発が起きたかと思うと、その爆風でシエトもさらに後ろへ吹き飛ばされる。
「ヨミリ、どうして……?」
訳が分からないまま重たい身体を起こすと、自分を庇うようにヨミリが重なって倒れていた。背中はぱっくりと肉が裂けた深い傷があり、魔族兵の剣を彼女が代わりに受けてくれたのだと理解する。
「へへ……採掘で使う爆弾をこっそり拝借しておいたんだ……」
ヨミリは脂汗を顔に浮かべながら、無理矢理作った笑顔をシエトに向ける。
「どうして、僕なんかを助けるんだよ……」
「馬鹿だなあ。家族なんだから当たり前じゃん」
その言葉を拒絶するように、シエトは首を横に振る。
「違う……。僕はただ……」
シエトがヨミリを助けたのは、打算的な理由でしかなかった。彼女を救うことで孤独を誤魔化して、罪悪感を薄めようとしただけだった。自分が生きる理由を自分以外に押し付けるために、自分よりも弱い彼女を隣に置くことを選んだだけだった。
「違くないよ。お兄は何もなくなった私に居場所を与えてくれた。それなのに、私の方こそ、お兄に居場所を作ってあげられなくてごめんね。心を満たしてあげられなくてごめんね。せめてこうやって、ちょっとは役に立ててよかったかな」
ヨミリは彼の孤独に気付いていた。それに気付かぬふりをして、家族ごっこを続けていたのだった。いつか、それが本当になる日が来ると信じて。
彼はヨミリとも本気で向き合うことができなかった。家族を手に入れてしまったら、またそれを失うことを恐れていたからだ。
何かを失わなくていいように、彼は何も持とうとしなかった。
しかし、それは彼がそう思い込もうとしていただけで、いつの間にか失いたくないものをたくさん得てしまっていた。
意識を失って首を倒すヨミリを抱きかかえながら、シエトはようやくそのことに気付く。
ヨミリだけじゃない。ヤッカも、ツツも、村の人々も、彼が関わってきたすべての人々が、すでに彼にとってかけがえのない存在になってしまっていた。
だから、シエトはヴィラリアの手を取った。魔王に魂を売ってでも、村を救おうと決意した。その覚悟をもう一度思い出す。
風に揺られながら暗い夜を覆い尽くすように燃え上がっていく炎。その激しさとは対照的に周囲はひどく静かで、ぱちぱちと火花の散る音がこちらを嘲笑うように聞こえてくる。熱を帯びた身体は今にも破裂してしまいそうだった。
焼けた肉と血の匂いがむせ返るほど充満し、口で息を吸うと宙に舞った煤が喉の奥に張り付いて苦しい。助けを呼んだり悲鳴を上げたりするには、もうあまりにすべてが終わってしまっていて、魚が水面で息を吸うようにただ呆けた顔で崩れゆく家を見上げていた。
その光景とともに、思い出したのは強い憎しみだった。
記憶の中に封じ込めて、必死に忘れようとしていた感情。
あの地獄の炎のように激しく燃え上がる衝動。
シエトはヨミリをその場にそっと寝かせると、ゆっくりと立ち上がって、爆風から逃れていた魔族兵の方へ目を向ける。
その異様な気配に気付き、魔族兵は警戒のレベルを最大まで引き上げた。
禍々しい魔力がシエトの身体から吹き出し、その瘴気が周囲を満たしていく。空を覆っていた雲が渦を巻くように動き始め、雷が怪物の唸り声のような音を響かせる。
シエトの肉体は湧き出る魔力に呼応し、その姿を異形へと変容させていた。全身が影のように黒く染まり、頭には大きな角を生やし、背中からは大きな蝙蝠のような翼が広がっている。赤く光るその瞳にはもはや何も映っておらず、意識を失ったまま、ただ鋭く伸びた牙の隙間から荒い吐息を漏らしている。
「ようやく面白くなってきたわ」
ヴィラリアは人間ではなくなったシエトを見ておかしそうに笑う。
魔族兵は剣に手をかけようとして、すでに右腕の先がなくなっていることに気付く。
動いていたことさえ認識できない速度で、シエトは魔族兵の腕をもぎ取っていた。
すぐさま振り返る魔族兵を嘲笑うように、彼は左手で軽々とその頭を握りつぶす。
そのまま魔族兵の死体を放り投げる。宙を舞う死体を勢いよく地面へ叩きつけると、魔素に分解されて消えていくその身体を逃がすまいと、踏みつけて粉々に砕く。その死体が跡形もなく消えてからも、何度も、何度も何もない地面を打ち付けていた。
彼から溢れる魔力はどんどんと膨れ上がる。ただ発散するだけに飽き足らず、シエト自身が今にも破裂してしまいそうな不安定な魔力の塊として、エネルギーを溜め込んでいく。
彼は行き場を失った怒りを吐き出すように、空に向けて地響きのような咆哮を轟かせる。
臨界点を超えた魔力は突然収縮するように消滅し、一拍遅れて激しい光を放った。そして黒い炎が一瞬にして森を呑み込み、一帯は音もなく焦土と化す。
「よもや、ここまでとは……!」
それはヴィラリアさえ見たことがない光景だった。まるで魔力の超新星爆発とも呼べるような途轍もないエネルギーの発露。
シエトはすべての魔力を使い果たし、元の人間の姿に戻ってその場に倒れ込んだ。
何もなくなった広大な空間の中心で、すやすやと眠る彼の姿を見て、ヴィラリアは新しいおもちゃを見つけたというように満足げな笑みを浮かべていた。




