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この手に、癒しと富を。――鉱石錬成で生き抜く異世界再生録  作者: 一条信輝


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190/200

【第190話】ユリウスの故郷

ユリウスが私的な話を切り出すのは、極めて珍しいことだった。

 帳面とペンの男。数字と論理の男。感情を見せない男。その男が、執務室で帳面を閉じ、晴貴に向き合った。

 「領主。一つ、相談がある」

 晴貴は茶を置いた。ユリウスが「相談」という言葉を使うのは初めてだった。提案でも報告でもなく、相談。

 「聞く」


 ◆


 「俺の故郷はラディアという街だ」

 名前だけは聞いたことがあった。エルダンの南東、南方連合の端にある小さな街。

 「鉱山街だった。エルダンと同じように銅で栄え、エルダンと同じように鉱脈が枯れて衰退した。俺が出たのは十五の時だ。学問で身を立てようと思って、各地を転々とした。教会の書記、商会の帳簿係、領主の事務官。どこでも長く続かなかった。帳面を書くだけの男は、どこでも替えがきいた」

 「エルダンに来たのは」

 「たまたまだ。南方連合からの使節団にマルシオが参加すると聞いて、連絡官として同行した。帰るつもりだった。だが、帰らなかった」

 「なぜ」

 「お前が条約の草案を書いてくれと言ったからだ。帳面を書くだけの男に、条約を任せてくれた。初めてだった。替えのきかない仕事を与えられたのは」

 ユリウスの声は淡々としていたが、目が違った。帳面を見る時の冷静な目ではなく、もっと奥にあるものが浮かんでいた。

 晴貴は覚えている。ユリウスに条約の起草を任せた時、この男の目が一瞬だけ変わった。冷静な数字の男の奥に、「やっと」という感情が一瞬だけ浮かんで消えた。あの一瞬が、ユリウスをエルダンに留めた。

 「ラディアのことを、ずっと考えていた。エルダンが復興するのを見ながら、故郷も同じように再建できないかと。だが、俺一人では何もできなかった。帳面は書けるが、石は握れない。鍋も作れない。外交文書は起草できるが、鉱脈を掘ることも、スープを煮ることもできない」

 「今は違う」

 「ああ。今は連邦がある。四都市の連邦が。連邦の枠組みを使えば、ラディアの復興支援ができる。施術者の派遣、交易路の整備、鉱脈の再調査。全て連邦の制度として実行できる」

 「それが、相談か」

 「そうだ。ラディアを連邦の復興支援対象にしたい。五つ目の都市として加盟させるのではなく、まずは支援から始める」

 晴貴は椅子に背を預けた。ユリウスが故郷の話をするのを、ティナは初めて聞いたらしく、帳面を持つ手が止まっていた。


 ◆


 「ラディアの現状は」

 「人口は三百人ほど。最盛期の十分の一だ。鉱山は閉鎖されている。農地はあるが、人手が足りない。若者は出ていき、残っているのは老人と子どもが大半だ」

 「三百人か。エルダンも最初はそんなものだった」

 「ああ。だから、同じことができるはずだ。癒しの施術者を派遣すれば、住民の健康が改善される。交易路を整備すれば、サリュスやエルディンとの物流が生まれる。鉱脈を再調査すれば、新しい資源が見つかるかもしれない」

 「鉱脈の再調査は、ドルク殿の領分だな」

 「そうだ。エルディンの鉱夫は、枯れたと思われている鉱脈の奥に何があるかを見抜く技術を持っている。ドルク殿に頼めば、調査団を出してくれるだろう」

 「ヒールアロイの原石が出る可能性は」

 「わからない。だが、エルダンの鉱脈がヒールアロイの原石を産出したように、ラディアの地下にも何かが眠っている可能性はある。鉱山街の地下は、まだ全てが調べ尽くされたわけではない」

 ユリウスの声に、いつもの冷静さが戻っていた。だが、その冷静さの底に熱がある。この男はラディアのことを、帳面の数字で何度も計算してきたのだろう。計算した上で、今日ここに来た。

 「ユリウス。一つ聞いていいか」

 「何だ」

 「お前は、ラディアに帰りたいのか」

 ユリウスの手が止まった。

 長い沈黙があった。執務室の時計の音だけが響いている。

 「帰りたくないと言えば嘘になる。だが、帰る気はない」

 「なぜだ」

 「俺の仕事はここにある。連邦の参謀として、ここでやるべきことがある。ラディアの復興は、ここから動かす。現地に帰って鍬を振るより、ここで制度を作った方が効果的だ」

 「計算か」

 「計算だ。だが、計算だけではない」

 ユリウスが少し間を置いた。

 「ここには、俺を"ユリウス"と呼ぶ人間がいる。ラディアには、もういない。俺を覚えている人間が、故郷にはもういないんだ」

 ティナが息を呑んだ。

 ユリウスの故郷は、ユリウスを忘れている。十五で出て、二度と戻らなかった男を覚えている者はいない。だが、エルダンにはユリウスを知る者がいる。条約を起草し、外交を回し、帳面で連邦を支えてきた男を。

 「でも、ラディアの人たちは助けを求めているんですよね」

 ティナが言った。

 「ああ。南方連合に何度も支援要請を出しているが、後回しにされ続けている。小さすぎて、優先度が低い」

 「小さすぎて後回しにされる街を助ける。それが連邦の意味ですよね。エルダンも最初は、誰にも見向きされない街でした」

 ユリウスがティナを見た。

 「……お前は時々、帳面の外から核心を突くな」

 「帳面の中はユリウスさんの仕事です。外は私の仕事です」

 「お前の居場所は、ここだ」

 晴貴が言った。

 「わかっている。だから、ここからラディアを助ける。俺がここにいることと、故郷を助けることは矛盾しない」

 「矛盾しない。連邦とは、そういうものだ」


 ◆


 具体的な計画の策定が始まった。

 ユリウスが帳面を開いた。いつもの帳面。だが、今日書き込まれる内容は、連邦の外交文書ではなく、故郷の復興計画だった。

 「第一段階。ミーナの施術班を三名派遣し、住民の健康調査を行う」

 「ミーナに話したのか」

 「まだだ。だが、あの子は断らないだろう」

 「断らないな。師匠より先に動くのが、あの子の流儀だ」

 「第二段階。南方連合経由の交易路を開設する。マルシオに協力を依頼する。レオスの港からラディアまでの陸路を整備すれば、物流が生まれる」

 「第三段階は」

 「鉱脈の再調査。これはドルク殿に頼みたい。エルディンの鉱夫の目で、ラディアの地下を見てもらう。枯れたと思われている鉱脈に、まだ何か眠っているかもしれない」

 ティナが書き込んでいく。ユリウスの声が速くなっている。いつもの冷静な参謀ではなく、故郷を想う一人の人間の声。

 「ユリウスさん。少し落ち着いてください。帳面が追いつきません」

 ユリウスが口を閉じた。一瞬、照れたような顔をした。この男が照れるのを見たのは初めてだった。

 「……すまない。少し急ぎすぎた」

 「急ぎすぎていいですよ。帳面の方が追いつきます」

 ティナが笑った。ユリウスの口元も、わずかに動いた。


 ◆


 夕方、マルシオがユリウスを訪ねてきた。

 「ユリウス殿。ラディアの復興計画、聞きました。晴貴殿から」

 「もう広まったか。早いな」

 「この街は情報が速いんです。鍋の湯気と同じ速度で」

 マルシオが椅子に座った。

 「実は、俺もラディアのことは気にしていました。南方連合の端にある街で、連合の中でも支援が後回しにされていた。だが、連邦の枠組みなら、南方連合だけでは足りなかった支援を、四都市で分担できる」

 「そうだ。それが連邦の意味だ。一つの都市ではできないことを、複数の都市で分担する」

 「アルヴァ議長にも話します。議長は"鍋から始まった連邦を広げろ"と言うでしょうね」

 「鍋が広がるのか」

 「鍋の数が増えるんです。ラディアにも鍋を。エルダンと同じスープを」

 「マルシオ。お前がラディアへの連絡役を引き受けてくれるか」

 「もちろんです。港からの物流なら、レオスと連携できます。船で運べるものは船で、陸路が必要なものは商隊で。サリュスのヴェルナー殿にも声をかけます。"新しい市場"と聞けば、あの人は動きますよ」

 「商人の嗅覚か」

 「はい。ヴェルナー殿は言うでしょう。"慈善ではなく投資だ"と。でも、結果は同じです。ラディアに人が来て、物が流れ、街が動き始める」

 ユリウスは窓の外を見た。夕陽がエルダンの屋根を染めている。

 この街は一つの石から始まった。一杯のスープから始まった。ラディアも同じように始められるはずだ。石とスープがあれば、街は生き返る。

 十五歳で出た故郷。二度と戻らなかった街。だが、忘れたことは一日もなかった。帳面の隅に、いつもラディアの名前があった。書いては消し、消しては書いた。

 今日、初めて消さなかった。

 帳面を開いた。新しいページ。最初の行に「ラディア復興計画」と書いた。

 この手に、癒しと富を。その理念が、もう一つの街に届こうとしている。

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