第55話―始めようか―
前傾姿勢。落ちた照明の中、エレベーター前の空間は狭く、暗い。落下してきた巨体を一回り小さく見せていた。
舞い上がる粉塵が西島と比嘉の視界を殺していく。
「ぐぅっ……」
(敵の力量を読み違えていた)
比嘉の脳裏を巡る思考は、疲労のせいで鈍っている。
後悔が雑念となり、今この状況から脱するための妙案が浮かばない。
その刹那、鳴り響く乾いた発砲音。西島が再び拳銃のトリガーを引く。暗がりの中、敵の頭部を正確に狙っていた。
銃口から続けざまに火花が散り、数秒間だけ周囲を白昼に近い明るさに照らしだす。
──しかし。
「あうっ!」
一瞬にして長大な右腕を伸ばした巨体は、床スレスレに右手を振り抜いた。数発の弾丸はあっけなく腕に弾かれ、跳弾が天井や床を四方八方に踊る。咄嗟に反応した西島だったが、敵の太い指先が脇腹に触れた。掠めただけで、180センチ以上ある頑強な西島の体を易々と吹き飛ばす。
体内の奥から響く、小枝を踏みつけたのではと錯覚する程に頼りない音。
(あ、あばらが……)
それが、自らの肋骨が砕けた音だと気づくのに、幾ばくの時間も必要ない。
──意識が飛ぶ。
激痛を感じながら壁に叩きつけられると、無様な格好で床に転がった。
全身を痙攣させ、西島は仰向けの姿勢で天井を凝視し、わなわなと口を震わす。
たったの一撃で、行動不能に陥っていた。
「ひ、比嘉さん……逃げてください」
床の上で横倒しになった西島は、激痛に顔をしかめ、震える両手で拳銃を再び構えると、ぼんやりとした視界の先に敵を捉え、トリガーに指をかける。
一方で、比嘉はエレベーターの前で微動だに出来ない。
(俺達が、いや、人間がどうこう出来る相手じゃねーってことか)
額に滲む汗が玉になり、眉間から口角へ伝い落ちていく。
次第に暗闇に目が慣れ、比嘉は僅か数メートル先に存在する巨大な塊を凝視した。
その黒い塊が、再び腕を後方へ勢いよく振りかぶる。巻き起こる風が、比嘉の全身を囲む空気の気圧を一気に下げた。
(殺られる)
蛇に睨まれた蛙のように、比嘉は全身を硬直させ動けない。
視神経の奥底が目眩を伴いながら、重く、不愉快に鳴り響く。
──死を、覚悟した。
その瞬間、強烈な打突音が屋内に響き渡り、同時に爆風が巻き上がる。
続けざまに、比嘉の眼前にいたはずの敵の巨体が、通路の反対側へ向け派手に吹き飛んだ。
「かはっ!?」
思わず比嘉は目を見開き、大きく息を吐き出す。
「苦戦してるみたいだな」
比嘉の足元に、膝をつく影。
逆三角形の背中越しに響く野太い声。
「どっから湧いてきたよ?おとなしくしてろって言っただろ」
その背中へ向け、比嘉は鼻っ面に噴き出した汗を二の腕で拭いながら吐き捨てた。言葉とは裏腹に、満面の笑みが浮かぶ。
「よく言うぜ」
影はゆっくり立ち上がると、比嘉に背を向けたまま、ゆっくりと顎を上げ、自らが入ってきた天井の穴へ視線を移す。
──強化装甲服に身を包んだ増山だった。
「とんでもねーなぁ」
その巨大な穴を開けた存在を数秒前に全力で蹴りつけた増山は、ヘルメットの内側で口元を歪ませる。
「あちこち派手にぶっ壊しやがって。おい、お前大丈夫か?」
「ぐっ、あまり大丈夫じゃないが……」
増山の呼び掛けに、仰向けのまま視線だけ送る西島は、薄暗がりの中、顔面は蒼白だ。構えた拳銃はそのままに、比嘉の語っていた保険が現れたことで、安堵の表情を浮かべている。
「比嘉──だったか?あんた、そっちの怪我人連れてエレベーターで逃げろ。時間が無い。すぐに野郎は来るぞ」
「悪いがそうさせてもらうぜ。増山」
「あん?」
図体の割に素早く西島の元へ駆け寄る比嘉は、背中越しに増山へ呟く。
「死ぬなよ」
「あぁ」
増山は背後を振り返ることなく答えた。
「──さて、あんな化け物と、まともに戦れんのか?」
強化装甲服のパワーを全開にして放った飛び蹴りは、正確に敵の喉元を捉えていた。だが、インパクトの瞬間、とてつもない硬度をブーツ越しにも足裏で感じた。
ふと、度重なる衝撃で落ちていた屋内の照明が復旧し、通路を煌々と照らし出す。
「!」
遥か前方。展示用の衣服が散乱した通路の反対側で、四つん這いの姿勢でこちらを伺う巨大な影。
天井に等間隔に配置された照明の輝きを鈍く反射する黒い頭部が、床スレスレの位置で震えて見えた。天井の低い通路では、立ち上がることが出来ない。
増山の蹴りは敵の喉元をえぐり、裂けた装甲の中から銀色に光るシリンダーパーツと雑多な色の配線が覗く。
──それらはまるで人間の骨格や血管に見えた。
ホラー映画さながらの異様さ。
「化け物が」
増山は右足を後方へ送り、腰を落とした。
(さぁ、始めようか)
ヘルメットの内部で、この男らしからぬ邪気に満ちた笑顔が浮かぶ。




