第56話―マンモスやん―
「西島、動けるか?」
仰向けに倒れた西島の傍らで膝をつくと、比嘉は部下の両手に強く握られた拳銃を取り上げた。
「うっ……なんとか」
「逃げるぞ。エレベーターに乗るんだ」
「しかし……」
弱々しい視線を増山の背後へ送る。
「増山に任せろ。俺達じゃどうにもならん」
比嘉は西島に肩を貸してゆっくりと立ち上がり、エレベーターの前まで進んだ。
両者共に息は荒い。
そんな二人の動きを背中越しに感じながら、増山は全ての神経を自らの前方に位置する敵の動きに向けた。
エレベーターのドアが開いた瞬間。
ビル全体を揺るがす振動が発生し、通路の反対側で蠢いていた黒い巨体が床を蹴り、動きだす。
四肢を器用に前後させながら、蜥蜴と見紛う異様な動作。
先刻の増山が放った蹴りを受け、裂傷を刻んだ喉元から垂れ下がった無数のコードが、小刻みに左右に揺れていた。
それは増山に、ホラー映画のワンシーンを連想させる。
(化け物が)
背後でエレベーターのドアが閉まるのを感じながら、全身に気力を充実させていく。
「うおぉっ!」
自らも床を蹴りだし動き出した。
増山と謎の敵、互いの踏み出す床が陥没し、後方へ跳ね飛ぶコンクリート片。
通路内の空間が歪んだかのごとき風圧が巻き上がり、一気に互いの距離が詰まる。
(でけぇ)
間近で見る謎の敵の姿に刮目し、ヘルメット内部で引き攣る増山の頬。
狭い通路の中で、前進しながら腕を振り上げた黒い巨大は、握り拳を打ち出した。壁と天井を易々と削り、砕きながら、増山の顔面目掛け驚異的速度で迫り来る攻撃。粉々になった天井ボードや店舗を隔てる間仕切りが、渦を巻きながら四散し、跳ね回る。直撃しようものなら、幾ら鉄壁の防御を誇る強化装甲服といえど、首ごと持っていかれるのは明白。
常人ならば後退し、躱す……はずだった。
──しかし。
「はぁっ!」
増山は踏み込んだ勢いを殺すことなく、前進を止めない。
敵の拳が、増山の頭部を捉えたかに見えた。
「!」
激しい金属音。
建設用重機が、建築物を破砕したのではと錯覚させる程の轟音が屋内に響き渡る。
それと同時に、増山と敵を中心として放射状に広がる爆風。埃を吹き上げながら、マネキンやディスプレイされた雑多な商品を弾き飛ばしていく。
『増山さん!』
小見と共に、研究室のモニターで固唾を飲みながら戦いの行方を見守っていた三国が叫んだ。
『あっ……』
増山の装着するヘルメット、その両眼に仕込まれたカメラに写る映像は、埃とノイズで激しく乱れている。その不鮮明な映像を見つめていた小見が息を飲む。
増山の頭部をもぎ取ろうと、壁面のボードもろとも削りながら伸ばした太い右腕。その腕が、肘を支点にあらぬ方向へ曲がっていた。
……正確には、折れていた。
二の腕と肘の間が無惨に裂け、中からブラブラと垂れ下がる束ねられた配線。小見の目からは人間の血液に見えた。
──鬼道空手奥義“朔”。
増山の所有する道場での戦闘時、道着を身に纏った幼子の頭部に屈強な格闘家の体躯を持つ異様な敵、その悪鬼のごとき超人が放った空中からの蹴りに対し、増山が咄嗟に繰り出したカウンター攻撃。
全身を螺旋状に捻りながら右足を掲げ、相手の拳に対し膝を合わせ、打ち砕く。
“朔”とは太陽に隠された冥い月。
増山の膝が太陽。
敵の拳が月。
陽光に照らされることのない、冥い月。
増山の持つ天賦の才と、類い希な肉体、そして強化装甲服の驚異的パワー、全てが集約し、発揮され、敵の恐るべき力を圧倒した。
激突する敵の巨大な握り拳と増山の膝。
腕の関節が伸びきった瞬間を完璧に捉えることにより、拳は砕かれ、腕と肩の接合部があらぬ方向へ向け捻れている。
『増山さん!やった!』
研究室のモニター前で小躍りする三国。興奮のため荒くなった鼻息のせいか、おびただしい数の鼻毛が四方八方へ突き出していた。
「ぶっ!?」
隣の小見がそれに気付き、思わず吹き出す。
「小見さんどうした!?」
真剣な眼差しで小見へ視線を送る三国だったが、更に数本の鼻毛が飛び出し、まだうら若い女をドン引きさせた。
「い、いえ、凄いなって」
(──鼻毛凄いなって)
表情を強張らせながら、愛想笑いを浮かべる小見。
「うん!増山さんは凄いよ!」
自分のことのように得意満面の笑みを浮かべる三国だったが、二本の長大な鼻毛が下唇にまで達し、そこから反り返りながら前方へ雄々しく突き出す。
小見に、太古の生物を連想させた。
(──三国さん、マンモスやん)
一方、見事なカウンター攻撃を成功させた増山は、左足を軸に高々と掲げた右膝を素早く伸ばし、一瞬でその場から飛び退く。
数度に渡る得体の知れない敵との戦闘の中で、一瞬の油断が命取りになることを身体で覚えていた。
だが、予想に反し、漆黒の巨大は前方へ向けて弱々しくよろめきながら、使い物にならなくなった腕とは反対の腕をフロアにつき、屈んだ腰から両膝を落とした。
無防備に背中を晒している。
続けざまに攻撃を加えるには絶好の機会。
(図体の割には……)
後方へ飛び退いた増山だったが、予想外の敵の動きを目の当たりにし、再度攻撃に移るためにその場で身を屈めると、迷うことなく跳躍した。
(一気に畳み掛ける!)
背中を向けてうずくまる巨体の後方から、飛び蹴りを放つ。
カウンター攻撃から、僅か数秒しか経過していない。
狙うのは、敵の脛椎。




