第48話―電話貸してくれ―
無音──。
ただ静かに、ゆっくりとスライドする病室のドア。
その隙間から頭が突き出す。直毛の茶髪が揺れ、キョロキョロと通路を確認すると、慌ただしく室内へ引っ込んだ。
「誰もいないよ。なんで見張りがいないのかな?」
「人手不足ってことか?……まぁいい」
そんな間の抜けたやり取りのあと、再びドアが開くと、薄緑色の病衣姿の増山が、のっそりと病室から通路へ姿を現す。
後ろに追従する木下の体がやたらに小さく見えるが、180センチ近い身長は決して小柄な訳ではない。増山がでかすぎるのだ。
二人で左右に視線を配り、誰もいないことを確認すると、増山を先頭に悠然と歩き出す。
増山と木下が入院したフロアは重篤な患者を収容しているらしく、先程から始まった外の騒ぎの中にあっても、通路に姿を現す者は皆無だった。
だが、付き添いの人間や病院関係者が動き出すのは時間の問題だろう。
鳴り止まない振動が一際強くなり、通路の天井に等間隔に配置された蛍光灯が、不規則に明滅した。
二人の履いているスリッパの乾いた音が、地鳴りとは対照的に呑気なリズムを刻む。
ナースステーションの受け付けにも人影はなく、カウンターに身を乗り入れる増山。
「すいませ~ん」
低い声がナースステーションの奥へ通る。
増山の視線の先。皆一様に背を向け、液晶テレビに釘付けになっている数名の医師と看護婦の姿が。
街を襲った突然の出来事に、それぞれの表情は硬く、画面に流れる凄惨な映像を食い入るように見つめている。
増山の声に誰も反応しない。
「おーい!!」
続けざまに木下が声を張り上げた。
1人の若い看護婦が肩口を震わせながら振り向く。
「は、はい?」
「あのー、電話使わせてもらっていい!?」
木下の大声に、ポニーテールを揺らしながら慌ててカウンターへ向けて駆けてきた。
「これから避難指示が出ると思いますから、一旦病室に戻ってもらえますか?」
まだ口元に幼さを残す看護婦は、上ずった声を上げる。
患者を安心させようと、自らの不安を隠す笑顔。
一重瞼で色白。あっさりとした顔立ちだが、どことなく品があり、育ちの良さを伺わせた。
女の口角の斜め下。木下の視線がまじまじと注がれたのは、小さな笑窪。
「可愛いね」
「はっ?」
「笑窪、可愛いね」
木下は、穏やかな優しい笑顔を女に返す。
若い看護婦は一瞬呼吸を忘れ、その瞳に吸い込まれていく。
若手人気俳優に見劣りしない木下の秀麗な器量は、ただならぬ雰囲気を放ち、たちまち女の意識を拐った。
「……東ちゃん?」
続けざまに口を開く木下の視線の先。
注視しているのは、看護婦の胸元についたネームプレート。
「いえ、東です」
「そっか、東ちゃん……僕が奴に勝ったら、デートしてくれる?」
「はい?あの、言ってる意味が……」
唐突に名前を呼ばれ、動揺に拍車がかかる看護婦は、見る間に頬を紅潮させた。
「テレビの中継、見ててね。勝ったらデートってことで」
白い歯を見せ、木下はケラケラと笑う。
相変わらず屈託がない。
なんのことやらさっぱり意味がわからない看護婦は、一瞬考える素振りを見せて、思わず吹き出す。
(なんだろう、この人。可笑しい)
奴だのデートだの、さっぱり意味がわからない会話と、木下のやたらに端正な容姿のギャップに、つい笑顔が零れた。
「大河、冗談はそこまでにしろ。看護婦さん、電話貸してくれ」
一部始終を静観していた増山だったが、流石に業を煮やして口を挟む。
東と名乗った看護婦は、カウンターの内側にある電話を取り出すと、増山と木下の目前へ静かに置いた。
「ありがとう」
木下の声は優しく、淀みが無い。
その言葉に、東はうつむきながら頬を一層赤く上気させていく。
ダイヤルをリズミカルに押すと、木下は受話器を耳に当てたまま、東の瞳を真っ直ぐ見据える。
瞬きの回数が増え、ついには瞳を伏せる東。
「公安の連中に捕まってるとしたら、携帯に出れる訳ねぇよな」
木下の後ろで腕組みしている増山は険しい表情を作っているのだが、木下と揃いの病衣を着ているせいか、どこか滑稽だ。
「─あっ、三国さん?」
『木下君?無事だったんだね!?』
「うん。三国さんこそ大丈夫?」
『公安の部隊に一時的に拘束されてたんですが、外の騒ぎでみんないなくなって……小見さんと一緒に今は研究所にいました』
増山はおもむろに背後から手を伸ばし、木下から受話器を取り上げた。
「三国さん、俺達が着ていたスーツは没収されちまったんだが、外で暴れてるガン○ムみたいな奴に対抗すんには、あのスーツが必要なんだ、なんとかならないか?」
さっきまで受話器を握っていた手を空中でニギニギやると、木下は東の顔を覗きこむ。
「駅前に美味しい店が出来たんだよね。そこ行こうか」
背後の増山など気にしない様子で、木下は前屈みになりカウンターに肘をついた。
「は、はぁ……」
目の前に現れた男二人に困惑する東だったが、木下の掴み所のない不思議な魅力に、いつの間にか心を奪われていた。




