98 イルトリア
朝は簡単に済ませて、さっそく卵と僕に回復魔法をかけた。
ビシビシひび割れそうな体が、ほんのり楽になったような気がする。どうしてこう、筋肉痛には回復が効きづらいんだろう。
よいしょ、と卵バッグを肩にかけると、ぐっと食い込む重みに苦笑した。
もはや、僕が持ち歩ける重さじゃなくなってきている。
「そろそろ、出てきてくれないかなあ……」
「置いて出ればいいだろ」
「だって、もし何かあったら……」
そっと、温かい卵を撫でた。手を当てていると、柔らかな殻の奥で、もぞりと何かが動くのを感じる。
自然と浮かぶ笑みをそのままに、ディアンを見上げた。
「触ってみる? ちゃんと、生きてるんだよ!」
「……ただのトカゲだろ、そこらにいる。何が嬉しい」
「僕のトカゲだよ? 生きてるから嬉しいよ?!」
そこに疑問を抱く余地があるとは思わなかった。
ディアンってば、不思議だ。当たり前に、嬉しいよ?
全然分からない、という顔をする彼にくすっと笑って、ぎゅっとしがみついてみた。
「ディアンがちゃんといるのも、とっても嬉しいよ!」
「はあ? いないってどういう――」
ふと、言葉を切ったディアンは何かに気付いた顔をした。
「いるのがフツーだろ」
「それが普通だったら、すごくうれしい!」
満面の笑みで即答した僕に、ディアンは少しだけ詰まって、そうかよと言った。
――結局、ディアンを押し切ることに成功した僕は、町へ向かう馬車に揺られている。
3冊目の本を熱心に読んでいると、隣からディアンが覗き込んできた。ふわ、と若木みたいなディアンの匂いがする。
「これ? 面白いよ! 確かに僕、グリポンたちのこと、ちゃんと観察していなかったなって思ってるところ!」
ちらりと表紙を向けて、『使い魔の観察と訓練』のタイトルを見せてみた。
「知る? 何を」
「えっとね、何ができるか、とか。それって、ただ日々観察するだけじゃなくて『させてみて確認』しなきゃいけないんだって」
「当たり前だろ」
「ディアンは、そう思うんだね!」
ぱっと笑った。
僕、もしかしてディアンよりもずっと、グリポンを出来損ないだと思っていたのかもしれない。
ふいに、ローラが浮かぶ。
『かわいいルルアちゃんは、そこにいるだけで最高! 一緒に住もう!』
事あるごとに、そう言ってくれる。僕のこと、好きだって言ってくれる。僕、なんにもしてないのに。
膝の上で、お腹を見せて寝ているグリポンを撫でた。
「おかしいよね。僕は、それじゃ嫌だなって思ったのにね」
僕もローラが好きだし、一緒に住むのは楽しそう。でもね、それじゃああんまり嬉しくないんだ。
ちら、とディアンを見上げた。
もう本に興味をなくして、腕を組んで目を閉じている。
ねえ、ディアン。君はそうは言わないもの。
根本が違うって分かってるけれど、でも、僕はその方がいいって思うんだよ。
だって僕、役に立たない僕はいらないもの。
だって僕、けっこう頑張れるんだよ。今は、君の役には……立たないかもしれないけれど。
「……あれっ」
そこまで考えて、ふと、今朝のことを思い出す。
僕、ディアンにローラみたいなことを言ったよね。
ディアンは、嫌だったろうか。
でも……どうしてだろう、ディアンに言いたいのは、こっちで合ってると思うんだ。
しばらく首を捻っていた僕は、答えのないまま、グリポンに釣られるように眠っていたらしい。
「――起きねえなら、帰るぞ」
「起きるっ! 大丈夫っ!」
反射的に大きな声でよく分からない返事をして、顔を上げた。
ろくに覚醒してない頭が、後から追いついてきてぱちりと目が開く。
そして、馬車内から微笑ましい視線を浴びていることに気が付いて、小さくなった。
そそくさと馬車を下り、見たことのない町にうわあ、と体を膨らませた。
違う……町って、場所によって全然違うんだ……。
匂いも、音も、色も、形も。
僕らのいた町でさえ、日によって全然違うと思ったのに。
「早く歩け」
どん、と後ろから脚で押されてつんのめった。
「ちょっと?! 今、感動を噛みしめてるのに!」
「何をどうすりゃ、ここで感動できんだよ」
「ディアンだって、初めて来たときには感動したでしょう?!」
「しねえよ」
目をまん丸にした僕に、ディアンの方がぬるい視線を寄越す。
「そんな、もったいない! 僕の、分けてあげるよ!」
「いらねえわ!」
門についた飾り、門番さんの恰好、石畳の色、入ってすぐの広場、道の幅、お店の匂い。
僕は、さっさと歩くディアンの隣で小走りしながら、僕に見える世界を教えてあげた。
見て、見て。こんなに色々あるのに。
あっちもこっちも、全部見たことないお店で、通りで。
てっきり、すぐに『うるせー!』なんて顔面を掴まれると思っていたのだけど。
ディアンは、跳ねる僕の横で何も言わなかった。
ただ、時折視線が周囲へ向かうから……僕は、ますます足取りもおしゃべりも弾んだのだった。
「す、すごい! これがマーケット?!」
そうだとも言わずに歩き出そうとしたディアンを、はっしと捕まえた。
思い切り掴んだ固い布地が張って、彼が慌てて振り返る。
「おい?! てめ……!」
自分のズボンを押さえたディアンが、僕の胸倉を掴む。
待って、今感動するところ。
忙しい。僕の全部が忙しい。
あっちもこっちも見なきゃいけなくて、嗅いで、聞かなきゃいけなくて、あれはなに、これはなにって考える必要があって、心臓の方は既に全速力だ。
「……放せ、掴むな」
無反応の僕にしびれを切らしたディアンが、僕の手を振り払おうとする。
あ、駄目だよ。これ、放したら僕行方不明になると思う。
だって見てよ、人間が詰まってる。
広かっただろう道には、びっしりと露天が並び、びっしりと人がいた。
人間の頭の上を歩けるんじゃないだろうか。
「ディアン。あの、お願いがあります」
「……」
真摯に見上げた僕に、ディアンは大変失礼な顔で体を引いたのだった。




