94 鍛錬
昇り切ったお日様が、だんだんと空気を温める中、まだもう少し冷えていてもいいよと心の中で呟いた。
ギルドから教会までは、僕にはちょうどいい距離だ。
行きよりも少しだけスピードアップして、はふはふ息が弾む。
「到着!」
「るっ!」
途中で起きたグリポンが、荒い息をつく肩に舞い降りて胸を張る。もしかして、グリポンも特訓していたつもりなのかな?
ドコドコ鳴っている心臓が納まるまで、教会の壁に背中を預けて休憩する。
まるで貯めていたかのように、溢れて来た汗を拭った。
ぼうっと空を見ていたら、小さい小さい手が、何か尋ねるように僕の冷たい頬に触れた。
こんなに小さいのに、随分あったかい。
「ふふ、待ってね。こんなんじゃすぐばれちゃうから。落ち着いたら入るよ」
大きく深呼吸して、そろそろ大丈夫かな、と門へ足を向けた。
そっと、そっと、この時点からこっそり入らなくては、きっと気取られてしまう。
飛び立ったグリポンが、不思議そうに僕の周囲を飛び回る。
「ディアンがね、鍛錬しているところを見られるかなって」
にっこり笑うと、なるほど、と言いたげにポケットの中へ戻って来た。
ふふ、グリポンが隠れてもしょうがないんだけどね。
思ったより早く帰って来られたから、きっとまだ鍛錬している。抜き足差し足、木陰の中を鍛錬場へ向かった。
「あ……」
思わずあげそうになった声を抑えて、ポケットから顔を出していたグリポンのくちばしを抑えた。
『ム……』なんてくぐもった音が漏れ、理不尽、と言いたげな目がこちらを向く。
居た……! 誰もいない鍛錬場で、空を切る鋭い音と、踏みしめる足の音がする。
滴る汗が肌を光らせるほどなのに、僕と違って静かな呼吸。
木剣の一種だろうか、ディアンは何度も踏み込みながら、棒に柄をつけたようなものを振っている。どう見ても、そんなに素早く振れる類のものには見えない。
とてもリズミカルだ。タ、タ、トンと軽い足取りで前へ出て剣を振り、二歩で素早く戻る。時折ぐっと沈み込んだり、剣の軌道を変えて。
鋭いステップのたびに、散る汗が見えた。
は、は、ふっ、と抑えた呼気の音がする。
これが鍛錬なんだ……。きっと、筋力トレーニング系もやっているはず。
ストイックだな、とその場に屈みこんで動き回る姿を眺めた。しなやかな肢体が機敏に動くさまは、見ていて心地いい。まるで、動物みたいだ。人間も、こんな風に自在に動けるのか。
……僕、君を強くしたい。
だって、こんなに頑張っている。ひとりで、こんなに。
外せない視線の中、ふうっと息を吐いたディアンが、足を止めた。
きっともうびたびたになっているだろうタオルを取って、荒っぽく頭から顔を拭う。
わしわしやりながら、橙がぴたりとこちらを射抜いた。
「……うぜえ」
ビクっと飛び上がった拍子に、大きく藪が揺れる。い、いつバレてたんだろ……。
「うざいことしてないよ?! 見てただけ!」
「見てんじゃねー」
慌てて駆け寄ると、ディアンはそのまま踵を返した。どうやら鍛錬は終わりらしい。
ふわりと、汗と土が香る。
並ぶと、ディアン側だけ空気が熱い。
「すごいね、いつもこんな鍛錬してるんだ。僕も頑張らなきゃ」
「そうしろ」
もしかして、だからかな? 僕がパーティメンバーだって認めてくれたから。だから、もっと頑張れって見せてくれたのかな。
えへ、とグリポンに笑いかけると、『そうかな……』みたいな顔をされてしまったけれど。
「そうだ! 依頼、ちゃんと受けられたよ! それがね、ギルドの中は人がいっぱいで、全然依頼書が見られなくって」
「ああ……」
そうだった、と言わんばかりの顔に、ディアンなら多分、押しのけられることもなく見に行けるんだろうなと思った。大人に肩を並べられるくらい背が高いしね。
でも、さすがにあの人に比べたら小柄と言えるくらいだ。
「ガイアスさんって大きな人がいてね、そんなことだから、背中を貸してもらったんだよ」
「は? ……はぁ?!」
何で二回驚いたの?
「ディアンも知ってるんだね! Aランクなんだってギルマスさんが言ってたよ」
動きを止めていたディアンが、ゆっくり瞬いた。
こうして見ると、強面度はどっちが上かなあ。ディアンの方が、危なそう。
トゲトゲしているというか、いわゆる抜き身の刃って感じだ。
ガイアスさんは……寝ているドラゴンみたいな。起こさずに通ろう、と思う感じ。
くすっと笑ったところで、ディアンが口を開いた。
「背中……?」
「うん、よく見えると思って。大きかったよ! 代わりに依頼書も取ってくれたし」
「ガイアスを、踏み台に……?」
え、そんなことしてないよ?! 踏み台だなんて、そんな――。
違うよ、と憤慨しかけて、脳裏に今朝の光景を思い描いてみる。
すうっと血の気が引くような気がした。
「そういう……見方も、できたり……する?」
にわかに噴き出してきた汗が、こめかみを伝った。
もしかして僕、とても失礼なことを……?
でも、でも……丁寧にお願いして受けてくれたのだから。嫌なら断るだけだよね?!
「で、でも! いい人だったよ! ギルマスさんは笑顔だったし!」
「笑顔じゃねえ、爆笑してたんだろが」
なんで知ってるの?!
「お前……マジでやめろ……」
「うい……」
ぎりぎりと頬を潰す手はいつもの数倍強く、その声は地にめり込むように低かった。




