93 貸してください
夜明けとともに目を覚まし、ひんやりした空気の中で伸びをした。
ほらね、疲れていなければちゃんと起きられるんだよ。毎日、師匠に朝食とお薬を作っていたんだもの。
「おはよ、ディアン」
「あぁ」
どうしたって僕が起きれば、ディアンも起きる。どんなにそうっと行動してもダメなので、もう諦めてしまった。
「僕、依頼を見に行ってくるね! ディアンはもうちょっと寝ていたら?」
「てめえじゃあるまいし」
「僕だって起きてるじゃない!」
憤慨する僕に構わず、さっさと部屋を出ていくディアン。鍛錬だろうけど、着替えもしないの?
確かに、外へ出てもおかしくない恰好のディアンと、明らかに寝間着の僕。大急ぎで脱ぎ散らかしながら着替えて、ボタンやらベルトを仕上げながら駆けだした。
「待ってよ、そこまで一緒でしょ?」
「は? お前はギルドだろ」
「そうだけど……せっかく一緒に起きたのに」
理解しかねる、というしかめ面に唇を尖らせる。
僕は、少しの間でも一緒にいたいよ?
我ながら、玄関までついていく犬のようだと思って笑った。まあ、今日外へ行くのは僕の方だけど。
「いい依頼あるかな? まだ早いもの、いっぱいあるよね!」
「いい依頼狙うヤツは、大抵この時間に行くだろ」
「そうなの?! 僕、見つけられるかな……」
途端に不安に駆られながら、早足で歩く。こんなにスタスタ歩いたら、門まであっという間なんだけど。
ディアンは、門付近の鍛錬場だろうから、ここまでだ。
早く帰ってきたら、鍛錬しているところを見られるかもしれない。
僕の行ってきます! に『あぁ』だか『おー』だか、おざなりな返事をもらってから、走り出した。
これは、僕の鍛錬だね!
段々と薄青い空気から、お日様色へ変わっていく時間。早く早く、辺りが染まりきる前に。
息を切らしてギルドの扉を押し開くと、随分狭い。思ったよりもたくさん人がいる。
「わあ、本当にみんな早起きなんだね……」
ポケットの中からは、微かな身じろぎだけが返ってきた。グリポンは、結構ねぼすけだ。
見上げるような大人たちの中、よし、と気合いを入れて掲示板の前へ行く。
ここに貼られているのは、基本的に登録されたばかりの新しい依頼なんだけど……。
「み、見えない……」
むい、と大人の間から顔を覗かせようと試みるけれど、固く詰まった壁はことごとく僕を阻んだ。
こうしている間にも、どんどん依頼を取られてしまうかもしれないのに。
ディアンに任せてもらった手前、焦りばかりが募る。
狭い視界の中、きょろきょろ見回して、右前にいた人の裾を引いた。
訝しげに振り返った男性の視線がさまよって、ついと下へ向く。
「……? あ? なんだチビ」
「あの、お願いがあります」
困惑顔の男性に、僕は丁寧に説明した。
「――すごくよく見えます! ありがとう!!」
「…………」
ちらちらと、周囲から視線が刺さる気がするけれど、そんなこと気にしてられない。
周囲で一番大きい身体は伊達じゃない。すべての頭を越えて、ちゃんと掲示板が見通せた。僕が3人くらいしがみつけそうな広い背中もありがたい。
落ちないよう、ぎゅっとその首にしがみついていると、ふるふるし始めた腕が急に楽になった。
背中にまわった太い腕が、僕を完全に支えている。
「あ……すみません! でも、大丈夫です、お手数かけないようにするので! お背中だけ貸してください!」
「いや……俺が気になる」
確かに、いつ落ちるかハラハラするかもしれない。素直にお礼を言って、真剣に依頼を見つめた。
「あの、イワノシシって強いですか」
真横にあるいかつい顔を見つめると、ちら、と一瞬だけ僕を見た視線がすぐに前を向く。
「……お前基準ならな」
「僕、戦えます。でも、それなら……カボムチャとゲルワームは、どっちが美味しいですか?」
「ゲルワームを食おうとするな!」
あ、食べられないのか。ワームって食べられるものもいたはずなのに。どっちも獲物の持ち帰りが条件だから、食料かと思った。
「カボムチャは?」
「調理法による……が、危険だろ」
「大丈夫です! じゃあ僕、それにします!」
身を乗り出して伸ばした手が、悲しいほどに短くて、へなりと眉尻が下がる。と、スッと伸ばされた長い腕が、カボムチャの依頼を取った。
「ありがとう! ……え?」
そのままカウンターへ向かう男性の背で、困惑を隠せない。もしかして、この人がカボムチャの依頼を受けるのだろうか。でも、きっとこの人は僕らの受ける依頼レベルより上だと思ったのだけど。
「おい、こいつは大丈夫なのか」
「ガイアス、久々じゃねえ――は? お前なにくっつけて……ルルア?」
「あの、おはようございます」
たまたまカウンターにいたギルマスさんの目が、点になる。
あのね?! 僕、好きでぶら下がってるわけじゃなくて! この人が支えてくれてるから、下りられないの!!
ギルマスさんの顔が、首の方から徐々に濃い色になっていく。
そして、ごぶっ! と妙な音を立ててカウンターの向こうに沈んだ。
「え?! ギルマスさん?!」
「な、な、何やって……は、腹が痛ぇえー!! 泣く子も黙る、鬼の子ガイアスがよぉ!」
「……そんな名乗りをした覚えはない」
今度は僕の目が点になる番だ。
仏頂面のガイアスさん? が睨みつけると、ギルマスさんはひいひい言いながら立ち上がって僕を見た。
「お前さぁ、強面が好きなのか? 知り合いのわけねえよな」
「そんなわけないよ! 強面……?」
覗き込んだガイアスさんは、なるほど、師匠やディアン系統の顔かもしれない。
僕には見慣れた、鋭い刃物のような顔。
「この依頼を受けようとしてるぞ、大丈夫なのか」
「あぁ、問題ねえよ。こいつの相方はCランクだ。あとこのチビ、掘り出し物だ」
ギルマスさんがひょい、とつまみあげるように彼の背中から下ろしてくれ、ホッと息を吐いた。
「掘り出し物?」
「死ぬほど弱ぇけど、魔法はピカイチだ」
「死ぬほど弱かったらダメだろが」
褒められてるのだろうか……喜怒哀楽を選びかねて逡巡していると、ガイアスさんが真正面から僕を見下ろした。
強面というよりも、迫力のある顔。きりりと上がった眉、鋭い眼光、大きな体……強いだろうな、とひと目で分かる。
ドギマギしながらぺこりと頭を下げ、視線をさかのぼって見上げた。
赤い瞳が、ぱちりと瞬く。
「僕、ルルアって言います。今日はありがとうございました」
「……あぁ」
「おいガイアス、依頼受けてけよ」
そのままギルマスさんに片手を挙げて、彼は大きな歩幅でギルドを出て行ってしまった。
カウンターには、さっきの依頼書。
「強そうな冒険者だね!」
自然と見送った視線をギルマスに戻して、にっこり笑った。
「怖いもの知らずにも程があるわ。あいつはAランクだぞ、フツー一目置くだろ。ガイアスはまあ大丈夫だろうが、怖ぇえ人間っつうもんが世の中にはいるんだぞ?」
「知ってるよ?! でも、冒険者さんだから悪い人じゃないでしょう」
「馬鹿が……そんな理屈がどこにある」
ほんのり苦笑したギルマスさんが、僕の頬を引っ張った。
「どうでもいい輩に、潰されてくれるなよ」
多分僕、大丈夫だよ。
これは犬の本能なんだろうか。
それとも、悪人のニオイってものがあるんだろうか。
なんとなく……分かる気がするんだよ。
遠慮なく引っ張られるほっぺに涙目になりながら、ギルマスさんが言った言葉を噛みしめていた。




