91 名前
「それで……魔笛ってあるでしょう、従魔とか用の。あれなら、魔力を載せて遠くまで届くから……いけるかなって」
ヴェルさんと簡単に連絡がとれたら、町から出てすぐ拾ってもらえるかも。そうすれば、ディアンがいなくてもきっと大丈夫。
師匠とディアンが揃うと喧嘩ばっかりなんだもの。仲が悪いのかどうかは、正直よく分からないけれど。
ふあ、と小さくあくびを零した。
あの町に、魔笛が売ってるだろうか。ヴェルさんは僕の魔力が載った音なら、すぐわかるみたい。
それを探してみようと思って――という話をしていたつもりだけど、半分夢の中だったかもしれない。
くっついたディアンが温かくて、ますます眠くなってくる。
遠慮なく体重を預けて魔力を流していると、低い声が体を通して伝わって来た。
「……一人では行くなよ」
「えーと……ここへ? どうして? ディアンも来たい?」
まるで僕の考えを読んだかのようなセリフに、重たいまぶたを持ち上げた。
「馬鹿か。てめえはまた捕まる可能性があるだろ」
「捕まる……? えっ、そんなわけないよ!」
どうだか、と短く息を吐くディアンに苦笑する。
幼児を監禁して奴隷扱いしていた、だっけ。一体彼の中で、師匠はどんな悪徳なんだろうか。
僕、そんな人のところだったら、すぐに脱出しそうな気がするけれど。
「じゃあ、毎回一緒に来る? ふふ、そうしたら師匠ともヴェルさんとも、仲良しになるかもしれないね」
「なるか」
「でも、ヴェルさんとは、僕よりも仲良しみたいに見えたよ?」
「目ぇ腐ってんじゃねえか」
どうしてそんな、断固たる拒否?! 仲良しじゃダメなことがあるの?!
「師匠はまあ……分かるけども。でも、ヴェルさんとは仲良くすればいいのに」
師匠はね、そもそも人嫌いなので……相手と仲良くしようという前提がないよね。そんな人を好きになりにくいっていうのは、分かる。
でもヴェルさんは別じゃない? あんなに素敵なのに。
「絵姿は知っていたんだけど、やっぱり本物は違うね。あんなに綺麗で、カッコよくて」
「どこがだ。ただのウゼえデカ鳥じゃねえか!」
ペタルグリフをそんな風に言うのは、多分ディアンと師匠くらいだと思う。
「何がうざいんだか、さっぱり分かんないよ! ギルマスさんが言ってたよ、『翼の王者』って。ペタルグリフってそんな風に呼ばれるんだね! そうだ、知ってる? ヴェルグラースって名前は、師匠、が――」
心地よいまどろみから、ばちっと目が覚めた。
急に口を閉じた僕に、ディアンが訝しげな視線を落とす。
浮かんだ考えが僕の頭の中をいっぱいに占領して、徐々に、鼓動が大きく響いてくる。
僕、僕……そんなこと考えてなかった。師匠が、僕に……僕のためにわざわざそんなことしないって、そう思い込んで。
「ルルア?」
すっかり魔力を流すのも忘れていて、ディアンがぐいと僕の顔を上向けた。
深い橙の瞳を見つめ返して、抱きしめる腕にぎゅうと力を込める。
「名前……。あのね、『ヴェルグラース』は師匠がつけた名前なの。古代魔法文字で、『空を統べる大いなる翼』って意味だって……」
「それがどうした」
「僕の、名前」
そう言って、息を吸い込んだ。
どうしよう。まったくの見当違いだったら。
……でも。
「適当だって言ってた。一般の名前でもないし、元になる『なにか』もない名前で。でも、本当はそうじゃなかった、の?」
「何の話だ」
ぱっとディアンを放して本棚へ駆け寄ると、大きな一冊を引っ張り出してきた。
「ねえディアン、一緒に見て」
「……何を」
しっかりディアンを感じる距離で、ボロボロになった分厚い本を開く。
「もし、もし古代魔法文字だったら……意味が、あるから。きっと分かる。それが、誰のための名前か――」
気付いたディアンが、ぐっと唇を結んで僕を見る。
その瞳の色に、少しだけ鼓動が落ち着いた。
「……大丈夫。ね、どうしよう。白い毛むくじゃら、みたいな意味だったら」
師匠だったら、やりかねない。くすりと笑うと、ディアンが少し目を細めた。
「見たいのか」
「うん……そうだね。僕、見たいな」
フン、と鼻を鳴らしたディアンが、手元の本を覗き込んで顔をしかめる。
「読めねえ」
「そうだよね、僕が説明するから大丈夫! 僕の名前の音――多分、これだよね。同音が二回……ルをふたつ……魂……が、ふたつ。それと、光か、もしくははじまり……」
「……!」
紙面を見つめたままの僕に、ディアンの視線が注がれているのが分かる。
僕は、何か間違えているだろうか。
ル・ル・ア……『二つの魂をもって始まる者』――。
「これは、犬じゃ、ないかも」
そう絞り出した僕に、ディアンが不機嫌そうに頷いた。
「お前の名前だ、ルルア」
「でも、僕が訳を間違えて――」
「どうでもいいわ。俺には、てめえがルルアだ」
ぱちっと瞬いた。
見上げた橙は、迷いなく僕を見る。
……そっか。
「そういう話だっけ?!」
「そういう話だろ」
なんだ、最初からそうだったんだ。
お腹の中でぐるぐるしていたものが、急になくなった気がした。
そっか。たとえこの訳が、全然違っていたって……ルルアは、僕の名前だ。
「じゃあ僕、答え合わせはしないでおこうかな!」
ふふっと笑ってベッドへ四肢を投げ出した。
僕、この訳が気に入っているから。そういうことにしておこう。
「明日、聞いてみようかな」
「何を」
寝返りを打ってディアンへ視線を返し、顔半分まで布団を引っ張り上げる。
「犬の名前」
まったく、師匠がきちんと答えてくれていたら、あんな風に思うこともなかったのに。
ルルアの意味は聞かないけれど。
だけどきっと、犬の名前はルルアじゃない。
確信をもって、僕はおやすみを言った。
遅刻!!すみません!




