103 初めての宿
「ねえディアン、思ったよりもずっと『マトモ』な宿だね!」
床がきちんとした板張りで、抜けそうな様子もない。室内はベッドが二つ、花瓶置きかと思うような小さなテーブルがひとつ。ただ、それでも教会の部屋より広いからね。
一通り部屋を見回したディアンが片方のベッドに腰を下ろしたので、さっそく僕も別のベッドへ陣取った。
わあ、結構汚い。きっと、お疲れの冒険者さんたちが泊まるんだろうな。
硬い枕は、何かの粒が入ってじゃり、じゃり、音がする。
恐る恐る枕の匂いを嗅いで、そっと脇へ避けた。そうだね、きっとみんなお風呂も入れないだろうから。大丈夫、僕はタオルで代用するよ。
自分のベッドだと思ったか、勢いよく枕に飛び込んだグリポンが、『る゛』なんて声を上げて転げ落ちた。
ちょ、ちょっとね、不慣れな臭いだよね。
苦笑して、グリポン用にもタオルを畳んで置いておく。
「汚いけど、どこも壊れてないし、ちゃんと眠れるベッドだし、鍵もついてる!」
うん、必要十分、というやつだ。
冒険本の、それなら野営の方がよくない? という宿とは比較にもならない。
「『マトモ』なのはお前がいるからだ」
無造作に靴やら上着やらを脱いだディアンが、そう言って僕を見る。
僕? たまには役に立つ、と言いたげな顔に首を傾げた。
「俺だけなら、鍵なんかねえこともある。俺みてえなのを狙う賊はそういねえ」
「なるほど……僕、一見簡単なカモに見えるんだね……」
「…………一見、じゃねえだろ。あと、ルルア自体が獲物だ」
「あ! そうか、僕若い魔法使いだもの、価値があるんだった」
「……まあ、それもある」
全属性だってことは知られようがないと思うけれど、冒険者をやっていてこういう服装だと、少なくとも魔法関連だということは分かるだろう。
ちょうど水袋を煽っているディアンを見て、ふとナイスアイディアが浮かんだ。
「そうだ! もしかして、僕もディアンみたいにいかにも動きやすそうな、武闘派っぽい恰好の方がいいんじゃない? 本物の剣はちょっと無理だけど、短剣風の水筒とか腰に付けたらどう?!」
げふっとむせたディアンが、激しくせき込んだ。さすさす背中をさすると、『想像、させんな……!!』なんて呻きが聞こえる。
……何がおかしいの。想像してくれて構わないけれど。
ディアン風のカッコいい服を着て、水筒短剣を肩からかけ、きりりと表情を引き締めた僕。いいんじゃないだろうか。
「お前はその腑抜けた格好の方がいい」
「どうして?! 僕もそっちを着てみたいけど」
「死ぬほど似合わねえからだ」
そういう理由なら、言わなくて良かったです。
むすっと頬を膨らませて、自分の細い脚を見た。
言い方ってものがあるよね。僕には今の服の方がよく似合う、とかさ。
ディアンだって、僕の服はきっと似合わな――。
んふっ、と声が漏れかけた口を押さえた。
に、似合わない……僕の服、めちゃくちゃ似合わない。
奇しくもディアンの気持ちがわかってしまって、タオルに顔を伏せて震えた。
何も言ってないのに、訝しげな顔をしたディアンが、どことなく不機嫌そう。察知能力が高いんだから。
「今日はもう、寝るだけ? 明日は朝から出るの?」
「あぁ」
何食わぬ顔で話題を変えると、ディアンは明かりを落として武器類の手入れを始めた。これは、寝ろって意味だ。
橙色の柔らかい光が揺れる。宿の壁に、ディアンの影が揺れる。
ころりと横になって、既にぐっすりのグリポンを眺め、ぴぴぴっと震えた足に笑った。どんな夢を見てるんだろうね。
ふいと、嗅ぎ慣れた香りが鼻先を掠め、ディアンに視線を戻した。
あんまりいい匂いじゃない何かを刃に塗って布で拭い、柄の皮を解いてそこにも塗り込みながら巻き直す。普段はここまでやってないから、宿で落ち着いた時限定なんだろう。
ぎち、ぎち、と締まる皮の小気味よい音だけが響く。
うとうとしかかった時、グリポンがばたたっと羽を動かしたせいで、ビクっと目が覚めた。寝相が悪いんだから……。
当のグリポンは、タオルから半分ずり落ちつつ、気持ちよさそうな寝息をたてている。
タオルの上へ乗せ直していると、隣からルルア、と呼ばれた気がして振り返った。
思案気にしたディアンからの、思いもよらない提案に、僕は満面の笑みで頷いたのだった。
◇
微かな、だけど異質な音がした気がして、意識が浮上する。
片目だけほんの少し開けて、確認。朝……じゃない。まだ、室内は真っ暗だ。
安心して再び夢の中へダイブしようとして、すん、と鼻を鳴らした。何か……違うニオイ。
僕とディアンと、グリポン以外の……そう、あの枕に近いような。
はっと目を開けたのと、暗闇の中でなお黒い人影が布団に手を掛けたのが同時。片手には、わずかな月明かりを反射する刃物が見えた。
声を上げるより早く布団が引きはがされ、ガッと獲物を捕らえた手。
そして、狼狽の気配がして――僕の隣が急に冷えた。
ひゅう、と風を切る音。ゴッ、と鈍い音。
どん、と床に響いた音。
侵入者が掴んでいた枕が、じゃっと鳴った。
「ルルア、起きてんなら明かり」
「う、うん!」
小さく灯したライトの魔法の中、ディアンが眩し気に目を細めて床を見た。
「ホントに、来た……」
「いい部屋の意味がねえ。てめえの引き付け度の方が強ぇえ」
「ぼ、僕だけじゃないかもしれないよ?! ディアンと僕だから狙われたのかも!」
「明らかにてめえを狙ったが?」
まあ、そうなんですけども。でも、簡単な方からという算段だったのかもしれない。
床に伸びている男性は、多分……路地でこっちを見ていた人じゃないかな。顔半分に大きな傷があったから覚えている。
「この人、どうするの? 縛ってベッドに寝かせる?」
馬鹿を見る目で見下ろされ、きゅっと口を閉じておいた。
ビックリするくらいきつく縛り上げるから、朦朧とした彼からうめき声が漏れた。もうちょっと緩くても、逃げられないと思うんだけど……。
「窓から吊るすか、捨てるか、どっちがいい」
「え? うん?」
何を? えっと、その、まさか。
おずおず見上げたディアンは、本気で選べと言っているように見える。
「カウンターに! あのおじさんの所へ連れて行こう?!」
「こんな小物、いちいち突き出してられねえ。捨てるぞ、牽制になる」
「ま、待って?! あの、ほら、窓! 僕らのせいだって言われたら困るでしょう?!」
「言われねえだろ……」
小さく割られた窓を指すと、ディアンはそう言いつつも渋々扉の方へ足を向けた。
よ、よかった……悪いことをした方が悪いのだけど、あんまりこっちがノーダメージなもので気が引ける。
カウンターで荷物のように放り出された男性を見て、管理人さんは『ほう……』なんて顔でディアンを見た。これは、ディアンの評価を上方修正したに違いない。勝手に誇らしくなって、胸を張った。
「ねえディアン、思ったんだけど今後もこんな感じだと、ベッド二つにする意味ないんじゃない?」
ディアンのベッドに飛び乗って壁側に収まると、ディアンは深々と溜め息を吐いて額を押さえたのだった。




