火事場の神力
「凄かったです。古の武術。おみそれしました」
「しばらくは目を覚まさないはずでござる。先を急ぎましょうかな」
気絶したコウモリを置き去りにして、二人は戦闘後に開いた新たな扉を潜って、さらに上階へと進んだ。
そして、次は何とも異質で不穏なスペースに踊り出た。
「ここは現世か、はたまた幽世か?」正兵衛が魂を失なったようにポカンとする。
そこは壁も天井も床もない、ただ闇だけの宇宙異空間と言うべき、無と空の場所だった。
敦は何となく直覚した。
元々この塔は知らない間に瞬時に建った。やはりあの世の魔界エネルギーでできているのか。
「何か、手の込んだゲームをやってるみたいだけど。さっさと三人の忍者と対戦させてくれよな」敦が暗がりを見つめてボヤく。
その時。闇中から声が起こった。
「そなたはゲームが好きかな?確かに、この試練は手が込んでおるぞ」
それはとても老成した声色だった。
「あんたがナビゲーターかよ。どんな試練だって言うのさ」
「わしは冥界の守護神でな。ここは生死の狭間じゃ。人は死後、現世での執着から逃れるため、心を統一し清める。そしてやがて光の存在となる。ここでは、肉体は意味を為さぬ。試されるのは、そなたの魂の力じゃ」
「いきなりスピリチュアルな話をされても困るんだけどさ。要するに、侵入者の俺は何をすれば、この真っ暗闇を突破できるんだ?」
「やって見れば分かる。そこに趺座するのだ。座禅じゃ」
仕方なく敦は面倒くさそうにスニーカーを脱ぎ、言う通りにした。
「水上殿、救命士の矜持を見せる最高の機会でござるな」正兵衛が羨ましげに嘴を入れる。
「あの。救命士じゃなくて、救国使なんですけど。まあいいや。さっきの激闘で疲れたでしょ。正兵衛さんはじっくり、僕の勇姿を見てて下さい」
すると、守護神が忠告する。
「全てはそなたの心次第。まあ、その人格、徳性が試されるわけじゃな。今のそなたは、そなた自身が過去にやって来た事の結果。さて、どうなるか楽しみじゃわい」老神の鼻にかけた笑い声が闇に漏れる。
「いいぜ。始めてくれ」
敦は暗順応した瞳を凝らして暗闇を観察する。
しばらくすると、今度は別の声が轟いた。
明朗な老人の声とは打って変わった陰険な声紋だ。
「おっ、感心だねえ。魂を浄化しようってのかい?だが、お前には執着があるな。多分、お前の魂は汚れて低層に堕ちるぞ」
「何だよ、自己紹介もなしか。これは悪魔の囁きか?」
「解ってるじゃねえか。俺は魔界の低級神さ。悪魔といやあ、悪魔だがな。救国使さんよ、お前の使命感が本物かどうか見させてもらうぜ。俺は、善良な奴が苦しみ喘ぎ不幸になるのを見るのが、一番好きなんだよ。だから、心ゆくまで賞味させてもらうからな」低級神は引き攣った嘲笑を響かせる。
「どうでもいいから、早くしろよ」
「そうかい。なら、まずは今お前が執心していることからだ。うむ。進学。お前は大学で青春を続行し、楽しみたいと思っているな?」
「ああ。それがどうしたんだ?」
「でも、悩んでいる。このまま魔王との戦いが延びれば、その楽しみもなくなるかも知れない。いっそ、任務を放棄して普通の高校生に戻りたい。もし魔王軍に負ければ、自分は処刑される。魔王に屈服すれば、たとえ地球を支配されても、地味で穏やかな大学生活が送れるかも知れない。どう考えても後者の方が賢明な選択ではないか。お前は悩んでいる。そう。悩んでいる」低級神は呪詛のように語りかける。
それは確かに敦の中にある葛藤だった。
なぜ自分が。なぜこの凡人高校生の自分が、こんな重石を背負うのか。
やってられない。俺は静かに淡い青春を過ごしたいんだ。死にたくない。魔王の手下になれば、殺されはしないだろう。
生きてさえいれば、普通の大学生になれる。
他愛もない青春の日々を紡ぐことができる。
悪の囁きを受け、敦は今一度己の心に問うた。
本当にこれでいいのか。使命を捨てて逃げることもできる。
ただの高校生に戻ることもできるんだ。
しかし、この世は魔王の支配下に。
黄泉の仲介人にして、自分の世話役であるマゴヒルコを裏切ることになる。
ひいては、天津神との盟約を破棄しその神意を欺くことに。
できない。できるわけがないだろうが。地球が終わっちまうんだ。
「悪いが、その誘惑はとうに断ち切ってるんだよな。そんな迷いはもうないんだ。唆しても無駄だぜ」
低級神はしばし沈黙した後、続けた。
「ふん。大した決心だよな。大学はどうでもいいか。だけど、剣道はどうするんだ?お前、誰にも言ってないけど、将来は剣道にかかわる職業に着きたいんだよな?だったら剣道に打ち込みたくないか?青春の今しかできないぞ。この戦いが長引けば、青春なんざあっという間に終わる。お前は青春を手放せない。剣道も辞められない。どうするんだよ、高校生?」
本心を覗かれ、敦は口籠る。
剣道か。この戦いが延々と続けば、青春は終わるだろう。大学にも行けず、剣道もできず。
しかし、それは自分に限った事ではない。全世界の高校生が同じ目に遭うんだ。
じゃあ、俺が任務を投げ捨て逃避すれば青春は無事なのか。
そんな保証はどこにもない。
青春を全うするためには、速攻で魔王を退治するしかないんだ。
自分が青年でいる間に、戦いは終わるのか?
終わらせるしかない。
いずれにしたって、恐怖に怯えながらの青春じゃ、楽しくないしおっかないもんな。
魔王をぶっ倒す以外に方法はねえ。
「青春も秤に掛けさせてもらうさ。これも天命だからな」
敦の毅然たる回答に、低級神はまたも圧せられたように黙す。
「大した奴だ。お前は、見込みがある。でなくては詰まらん。だがまだあるぞ、お前にはまだ執着がある。友情だ。仲間三人。お前は友人を道連れにするのか?」
「どういう意味だよ?」
「魔王との抗争が続けば、誰かが命を落とすかも知れない。お前が戦う限り、三人はずっと友情を守り命を削る。それでお前は、心が傷まないのか?」
「それは」率直に問われ、敦は黙した。
三人は側役だ。あくまで救国使のお付きであり、この戦いの主役ではない。
必要以上に巻き添えにすることはできないと思っている。
「矛を下ろせ、水上敦。四人で楽しい青春を満喫するんだ。世界が魔王のものになったところで、現実はそれほど変わらんではないか。今の地球はただでさえ、もう闇に覆われている。世界など放って置け。自分の快楽に勤しむのが正解だと思うぞ」
今の地球。
道徳の廃れた世界。希望が見い出せない未来。
確かに魔国と大して変わりないかもな。
地球救国とは名ばかり。本当に戦う価値はあるのか?
自分だけならまだしも、仲間を犠牲にして。
俺はやっぱり、どう転んでも並の高校生だしな。
三人の顔が浮かぶ。
正義。ズッコケの生き霊野郎にして無二の親友。
亜季。純真無垢で無上の優しさを持つ天使。
由美。生意気な気性の内に正義感を秘めた模範生。
この三人と、心ゆくまで青春を味わいたい。
死にたくない。そして、死なせてはいけない。 どんな事になろうと、守らなくては。
魔王軍との戦闘はどんどんと熾烈を極める。
俺が突っ走れば、三人の命が危ない。
どうする?白旗を揚げるか。逃げるか。
敦は目をキツく閉じ、心に問いかけた。
俺が任務から撤収すれば、地球は魔界の属国になり人々は奴隷となる。
明日やも知れぬ命を繋ぎながら、闇の中で息を殺して毎日を過ごさなくてはならない。
駄目だ。それじゃ、まるきり生き地獄だ。人間、盲目的に生きてるだけじゃ意味がない。
人間らしく生き生きと暮らさなくてはならない。
クソッたれめ。やっぱ、やるしかないのか。
「そうしたいとこだが、家畜愚民になるぐらいなら戦うだけ戦った方がマシだ。もし三人の身が危険に晒された時には、俺が救国使として彼らの側役としての任を解くまでだ。その後は俺一人で魔王を倒す」敦は強い口調で誓約する。
低級神はまたも怯んだように黙り込む。
「水上殿、よくぞ言った!まさに大和武士のなかの武士でござる!この正兵衛、感服極まったにてそうろう!」
「まあまあ。一応、天津神一門の末弟ですからねえ。このくらいのセリフは決めとかないと」敦は髪を掻いて照れ笑う。
低級神がようやく苛立ちを表した。
「生意気な偽善者めが。いいだろう。お前の大志がいかに惨めなものか、思い知らせてやる」
そう言い放つと、闇の中に疾風が発生し、不浄な霊気の塊が生成された。
その波動はこれまでの戦いでは感じたことがない、極めて甚大な恐怖感を伴うものだった。
「これはお前がやがて対面する、魔王マンドラの魔闘気の一片だ。体感するがいい。圧倒的な霊力を。そして嘆くがいい。自分の卑小さをな」
低級神は嘲りの高笑いを漏らす。
すると霊気は、刃の集積ような風塵を巻き起こしながら、濁流の如くに吹き降りて来た。
まずいと直感した敦は、瞬時に防御の態勢をとる。
しかし、霊気の瀑流は敦を軽々と持ち上げ絡め取ってしまう。
「水上殿!」正兵衛が駆け寄るも、凄まじい風圧に弾き返される。
ちくしょう。なんてエネルギーだ。これでも、霊気の一端に過ぎないのかよ。
化け物マンドラめ。
風切る波動が敦の身体を巻き抱いて、暗がりの中を暴走する。
何とか抜け出そうと、敦は神気をひねり出す。
しかし、強大な霊力で縛られた五体はビクともしない。
それどころか、湧出した神力が魔の波動に吸い取られてしまう。
やばいな。霊気のレベルが違いすぎだ。
これが魔王の実力か。
敦は何度も神気を搾り出し抵抗するが、一向に歯が立たない。
参ったぜ。魔王の力の前では、俺の霊力なんかまだ全然子供段階ってことだな。
「ハッハッハ!どうした救国使。これまでか?運良く快進撃を続けて来たものの、さすがにこの魔塔はクリアできなかったようだな」低級神は心底嬉しそうに、悲嘆した敦に猛り笑いを浴びせた。
「くそ野郎!煮るなり焼くなり、どうにでもしやがれ!」
俺が倒れたって、マゴヒルコがまた新しい人間をスカウトするだろう。
それに、天津神がいる。最高母神のマザナミが現世を救ってくれるはずだ。
俺はもういい。限界だ。
敦は堪忍したように目を瞑った。
その時。心に声が沸き起こった。
(それはできません。この世は人間にしか救えないのですよ)
この声は。
(マザナミです。敦さん、あなたを除いて、他に救世の任務をこなせる者はいません。しっかりして下さい)
敦は憤り混じりに反問する。
(で、でも!こんな怪物的エネルギーを持った奴になんか勝てませんって。マジで勘弁して下さい。天津神一族の力で魔王を阻止してくれないと)
(ですから、それはできないのです。神が介入すれば、人間は自ら立ち上がる力を失います。それでは貴方たちの魂は向上しません)
(向上って。そんな事どうでもいいじゃないですか!地球の命運がかかってるんですから!)
(貴方には魔王を倒す神力があります。私が少しだけお手伝いしますから大丈夫です)
すると。全身が温かくなり、みるみる筋骨に力が漲って来るのを感じた。
そして信じ難いまでの活力が体中を駆け巡った。
(何だ、このパワーは!)
敦の異変に低級神が口走る。
「何だ、この鮮烈な光は?」
敦から目映い色彩のオーラがメラメラと迸り出る。まるで漫画のヒーローが立ち現れたような勇壮な姿だ。
「よっしゃ!これなら楽勝だ!」
そして瞬速の間に、さっと敦は風の脅威から逃れ出た。
すかさず魔王の波動が再度襲いかかる。
しかし、敦は気合を入れてそれを吹き飛ばしてしまう。
「チョロいチョロい。俺は百人力になったんだよん」鼻に親指を当てて、挑発的に四本の指を動かす。
「調子に乗るなよ、救国使!魔闘気のパワーはこんなものではないぞ!」低級神が怒号を上げる。
空間に滞留する魔の波動が、海鳴りのような音を立てて渦巻いた。
そしてそれは、おぞましい巨大な顔になった。
「へえ。顔になってどうしようって言うんだ?無駄な足掻きなんだけどな」敦は小馬鹿にして腕を組む。
すると、顔が醜悪な怒声を吐いて突進して来た。
だが圧倒的ハイスペックな超人になってしまった敦は、余裕の動作で敵の追突をかわす。
それならばと、顔は口から大道芸のように燃え盛る業火を噴き出した。
暗闇を裂いて、火炎が赤々と空間を照らし出す。
炎熱が敦の身体に降りかかるが、神気のオーラが引火を防ぎ、鮮やかに跳ねのける。
顔型の霊気は苛立たしげに距離を空けると、今度は一風変わったブラックホールのような形状に化けた。
「哀れな高校生よ。ついに終わりの時が来たな。そいつは、全てを呑み込む異次元の穴だ。吸い込まれれば、もうこの世界には二度と帰れないだろうな」低級神が卑屈に笑い飛ばす。
「なるほどね。さすがにそいつはまずい」敦は用心深く重心を低くして身構えた。
すると、異次元の暗黒空洞から猛烈な引力が発動した。
敦の身体が見るみるその穴に吸い寄せられる。
「これはいかん!水上殿〜!おおっ〜!」近づいた正兵衛も脅威的な力に引っ張られて吸い上げられる。
しかし敦が寸前の所で腕を掴んで助ける。
馬鹿みたいにすげえ引力だ。これで魔王の闘気の一部に過ぎないんだから驚きだな。
でもこんなとこでゲームオーバーになるわけにはいかないぜ。
授かった現状の神力で凌ぐしかない。
静かに息を吸い、ゆっくり吐いた。
よし。やるべきことをやるだけだ!後はどうなるか知らねえがよ!
「行くぞー!ワァーー!オラァーー!」敦は部活の発声稽古を思い出し、闇を切り裂くように思い切り叫んだ。
超絶なる気迫の声とともに、場全体が大振動を起こした。
敦の全身を神々しい波動が取り巻いた。
そして両手に有りっ丈の神気を込めると、一気に異次元物体へと撃ち放った。
波動どうしの大爆発が発生し、敦と正兵衛は空間の片隅に吹っ飛んだ。
しばし、凄絶な爆鳴が響き渡り、暗闇を目くるめく掻き乱した。




