魔の石塔
魔界の監獄を思わせる慄然とした石塔は、いい知れぬ逼塞感を漂わせながら聳えている。
折からの寒風がしきりと石材に吹きつけ、あたかも猛禽の啼き声のような不気味な音が付近に伝播する。
敦は意を決して入口扉に近づくと、両手を押しつけて開いた。
内部にはがらんどうの四角い空間が広がっていた。
ぱっと見、それは石でできた道場のようだ。
「要するにここはバトル空間ってわけか」
敦の声紋が生きているように壁、天井に反響する。
あの三人は何処に潜んでいやがる。
息を静めて四方を眺め回した。
敵の気配は微塵もないようだ。
「じらすつもりか?自信あるんだろ?出て来いよ」敦は鎌をかけて誘い出す。
とその時。背後の入口扉が不意にドスンっと閉まった。
同時に妙な臭いが鼻腔をついた。
何の臭いだ?
ふと四壁を見回すと、壁面の僅かな切れ間から白煙が吐き出されて来るのが分かった。
「早速、忍者屋敷仕掛けのお出ましかよ」敦は入り寄る煙を吸ってはまずいと、鼻を抓み息を止めた。
こんなチョロい仕掛けにやられてたまるか。隠しスイッチを探せばいいんだろ。
敦はあくせくして壁や床を叩き触りまくるが、どこにも停止スイッチが見つからない。
「くそっ、息が持たないぜ」
口から微かに入った煙に、思わず咳き込む。
まずいぞ。窒息しちまう。
煙はどんどん口腔から喉元に流れ込んでしまう。
早くも絶対絶命。
天津神よ、何とかしてくれ。
心に念ずるも、助けは来ない。
くそやべえ。こんな短絡的な罠に嵌って成仏するなんてカッコ悪すぎだ。
冷淡な天津神たち、俺を見殺しにするのか?
白煙は瞬く間に全体へと充満し、密閉空間に逃げ場はない。
敦は石床を転がりながら、のたうち回る。
すると、ごとりっと鈍い音とともに、壁の四角片が一部分だけ崩れ落ちた。
「しっかりせえ!拙者が助け申す!」突如として闖入して来たのは、人知れぬ風変わりな和装の男だった。
長刀を背負い、短刀を脇に差し、ハチマキには能天気な書体で、天という文字が入っている。
「こっちですぞ!さあ、急がれい!」男はコメディアンのような千鳥足で敦を担ぎ起こして、壁穴へ連れ運ぶ。
九死に一生を得た。胸を撫で下ろす敦。
「何とも何とも、一人で敵に挑む、その大和魂にはあっぱれでござる」男は破顔して、敦の服から小まめに灰滓を払い落としてやる。
「ありがとうごさいます。それにしても、あんた誰なんだい?」
「おおっ。申し遅れた。拙者は城鳥正兵衛。知る人ぞ知る想神夢幻流古武道の奥義を継承する者にござる」風体といい、ござるござるの言い回しといい、何処から誰が見ても世間かつ時代離れした変な人物だ。
「へえ、何かまあ、随分と、凄そうな人なんですね」敦は過分の違和感を覚えたものの、命の恩人に失礼な真似などできず、とにかく敬意を評した。
無事密室を脱出した二人は、壁奥にあった階段を上り、新たな部屋へとやって来た。
「ここに魔法のように塔が立ったとニュースで知り、ならばあんた方もすぐに現れるだろうと思ってな。私も腕に覚えのあるもののふとして、何が何でも助太刀したいと切望したわけでござる。半日ほど前から、近くの木叢に隠れて様子を伺っていたんだが。それにしても魂の強いお方だ。まさか、単身で敵城に忍び込むとは思いませなんだ」
正兵衛は顔を反らせて笑い飛ばす。
「そうだったのか。正兵衛さんのおかげで、マジ助かりました」敦はまごつきながらも、不承不承年輩を敬う好青年を演じた。
正兵衛は袂から幾枚もの白い紙を取り出し、広げて見せる。
「どうじゃ、これだけあれば、いかなる妖魔も退治できるでござろう」
「それは?」
「護符でござる。我が流派の真念が込められた百人力の護符で鬼成敗」護符の束をヒラヒラと愉快に揺らして笑う。
護符なんて気休めだろう。人間界のアイテムなんて、黄泉の魔物には通用しないし。
多分効きませんよ、と喉まで言葉が出かかったが、何せ命の恩人だ。せっかくの面目と矜持に泥を塗ってはいけない。だからぎりぎり呑み込んで我慢した。
そうこうして、二人はまた同じ石室道場のような広がりの中をじっくりと凝望していた。
すると静寂を破るように、壁がミシミシと軋む音が鼓膜を刺激した。
怪しい気配に身構えている二人が壁面に視線を這わせていると、さらに軋み音が増幅していく。
そして次の瞬間。
四方の壁から礫片が砲弾と化して、二人に向かって撃ち放たれた。
「何とも、けったいな罠でござるな!しかし、古武術を極めた拙者には朝飯前でござる!」正兵衛が立て続けに飛んで来る礫弾を、身軽な所作で見事にかわす。
その独特な体の運びは何とも奇異で、あたかも熱せられた板の上を、しどろもどろに踊り狂っているようで、形容すれば、マヌケなお笑いピン芸人のようである。
敦も神気から授かった俊敏さで、難なく飛び避ける。
やがて石礫の仕掛けは止まり、また室内は閑静に占められた。
そして今度は壁石が大きく剥がれ、第一号の刺客が這い出してきた。
それはまるで、カラクリ仕掛けのゼンマイ人形が等身大になったような、奇っ怪な敵だった。
「人造人間の登場かよ」敦が滑稽な見てくれに失笑する。
「埴輪のような鎧姿はいかにも堅固そうに見えるが。防御は一級品でござろうかな」正兵衛がさらに奇妙な体勢で構えを作り、敵を凝視する。
すると、人造人間はのしのしと二人に迫る。
動きは遅そうだ。敦は一気に勝ち切ろうと、いきなり敵の腹に跳び蹴りをお見舞いした。
人造人間は倒れたが、乗り被さった敦を掴むと、豪快に床へとボディスラムを決め返した。
ゲホッ。背骨が折れそうな破壊力だ。
しかし、神力を得ている敦の身体は鋼鉄並みになっているようで、痛みはすぐに引いていく。
「拙者が相手をするでござる。水上殿は休まれよ」
正兵衛はヘンテコな体勢を堅持しながら、人造人間と向き合う。
「コイツは黄泉のカラクリ人形です。人間の武術じゃ、対抗できませんよ」
「水上殿は想神夢幻流を知らぬから、心配なさるのでござる。我が秘術は神代より連綿と受け継がれてきた無敵の古武術。敗北する事は絶対にござらん」そう断言すると、正兵衛は盆踊りのような足捌きで、人造人間の懐に入り、その腰回りに両腕を滑り込ませた。
対する人造人間は、それを蜘蛛の巣にかかった虫だとばかりに、正兵衛の襟首を抱え上げようとする。
しかし、軽々と持ち上がるはずの正兵衛は、重心が鉛のように重くビクともしない。
そして、正兵衛がほんの少し微力を加えて押すと、立ちどころに人造人間はバランスを崩してひっくり返ってしまった。
「おっ、正兵衛さん。やるね!」
不可思議な妙技に敦は驚き眼で苦笑する。
だが、不意討ちを食らった人造人間は、怒った様子で乱暴に身体を起こすと、かなり素早い動作になって、正兵衛に殴りかかり、また掴みかかろうと憤然の態で狂乱する。
何度か殴られ、掴み倒されたりはするものの、正兵衛は軽快な身のこなしで敵の攻撃をすり抜ける。
そして、留守になった足を引っ掛け転ばし、体格差をもろともしない背負い投げを決めたりと、実に器用に鎧の埴輪人間を弄んでしまうのは、何とも言えず諧謔的だった。
「もういいだろう!最期は奥義で葬ろうぞ!」正兵衛は狐と見紛う敏捷性で、人造人間の首に飛びつき足を巻き付ける。
そのまま相手の上半身を捻じ曲げ、ズバ抜けた両脚力で思い切り回転させながら投げ飛ばした。
人造人間は半端ないダメージを受けて、苦しそうにバタついたが、やがて駆動を止めた。
「やりぃー!凄いね正兵衛さん!」
「何々、こんなもんは、まだまだ前座でござるよ」正兵衛は俄然奇妙な動作で、勝利の舞踊を演じて見せる。
しばらく静寂が続いた。
「そうでござるか。高校生とは羨ましい。箸が落っこちても、笑いたくなるような年頃でござろう」
あまりに比喩が古すぎて閉口したが、とりあえず愛想笑いをしておく。
「それにしても、昨今の社会には道徳というものがなく、嘆かわしい限りでござる」
「正兵衛さんは、古き良きものだけを信じているんですか?スマホとかSNSは嫌いかな?」
「知ってはおります。誠に便利なものでござるな。されど、便利さの向上と霊性の向上は別でござる」
霊性と来たか。高尚なもん好きか。低俗な俺たちとは接点がないのかもな。
それでも、そうですねと理解者を装う。
「それにつけても、竜だの巨鳥だの、この一連の怪異現象は末世の兆しに違いござるまい。水上殿、そなたは真相を解しておるのではござらんかな?」
「えっ?そ、それは内緒にしてあるので、ちょっと」
「そうでござるか。まあ、世の中、見ざる聞かざる言わざるであるからして。そなた方はあの怪物たちと因縁浅からぬ存在なのであろう。拙者などが嘴を挟む問題ではなさそうでござるな。誠、失敬な事を聞いた」
それから二人は、世間話をしながら敵が現れるのを待った。
やや経った時。
天井が揺れ始め、そこに亀裂が入り石材が砕け落ちて来た。
そして天井を突き破って、一体のモンスターが登場した。
それは歪な翼を生やした紅い体皮の、コウモリに似た不細工な生物だった。
「木偶人形を倒したぐらいで、鼻高々になってもらっては困りますよ」醜い魔物のくせに、丁寧語を使うところがユニークだ。
「じゃあ、あんた。少しは楽しませてくれるんだろうな?」敦が懐疑的な声色で反問する。
「よかろう。引き続き拙者が立ち会いまする」正兵衛はそう言って、珍妙な足取りで例の護符を壁のあちこちに貼って回った。
「これで結界ができ申した」
手持ちの護符を全て貼り付け、自信全開である。
結界ね。人間界のおまじないなんて、黄泉の魔物には効かないと思うけど。
まっいいか。あれだけの熱意と勇気を持って、遥々助けに来てくれたんだし。納得いくまで、やってもらうしかないか。
敦は期待と不安を同居させて、バトルを見物することにした。
「何やかんやと、準備したみたいですけど。もう始めてもよろしいですか?」コウモリが天井にぶら下がりながら宣告する。
「望む所!始めましょうぞ!」正兵衛が気迫の声を発して応諾する。相変わらず、体勢はスットコドッコイなお笑い芸人のようである。
するとコウモリが飛び立ち、グライダーの如く正兵衛に特攻して来た。
正兵衛はそれを得も言われぬ奇態な体捌きで、ひらりとよける。
コウモリは部屋中を旋回し、何度も空撃を繰り返す。
正兵衛は見た目にそぐわない、若々しい身のこなしで、全くに衝突を食わない。
「では、想神夢幻流の極意を見せよう!今から、お主の身体は動かなくなる!」正兵衛は合掌して、何かの経文を詠唱し始める。
塔内の空気が張り詰め、コウモリは旋回を止めた。
「あの護符、効いたのか」敦が意外そうに呟く。
「身体が動かない。これでは負けるー。なんてことは、あーりませんよ」コウモリがせせら笑う。
「なんだと!」正兵衛が口を開けてまごつく。
「そんな紙切れでは、私たち魔界の生き物を調伏することは、でーきませんねえ」コウモリはさらに蔑んだ大笑いを響かせる。
「あちゃー。やっぱな」残念そうに頭を掻く敦。
「何と。魔界の悪霊に我が術は通じぬのでござったか!拙者の驕りが災いし申したか」正兵衛はガックリと胡座をかいた。
じゃあ、俺の出番かな。敦がそう言いかけた時。
忽然と、自分の瞳孔から青い閃光が迸った。
「うわっ!何だよ!」敦は目を瞬かせるが、光は消えない。
何なんだ、いきなり!
なぜか視線がある場所に視座を置いた。
見ると、その閃光は壁に貼られた護符を照射した。
すると、護符に記された文字が青く輝いた。
無意識裡に、視線の閃光は次々に別の護符に注がれ、全ての護符の文字が青く輝き出した。
「これは!護符に神聖なるエネルギーが!」正兵衛が驚き唸る。
「そうか。俺の天津神の神気が護符に神力を与えたんだな」
「天津神?水上殿、あなたは一体何者でこざるか?」
その神威が働いたせいで、コウモリは自由に飛び回れなくなった。
「うぬぬっ!本当に身体が。これは、どうした事でしょう。この強い霊気は何なんですか?」
「正兵衛さん。後は好きに暴れて構いませんよ」敦が愉快に引導を渡す。
「わ、分かり申した。助力、感謝仕る!」
正兵衛がまたヘンテコな体勢で、その気概を全開に高ぶらせる。
「いくら魔封を施しても、私が人間に負けるわけがありませんね。試して差し上げましょうか?」
コウモリは卑屈に笑いながら、勢いよく突撃して来た。
しかしスピードは殺されており、正兵衛は楽にそれをいなすと、コウモリの両足をサッと掴み上げて、バシンバシンと数度床に叩きつけた。
「どうだ!降参でござるか!」
しかしコウモリも頑丈で、足蹴りを正兵衛の顔にお見舞いして突き倒すと、空中に舞い戻った。
「よくも、魔界コウモリ伯の爵位を持つこの私をコケにしてくれましたね!」
激したコウモリは口から、血色の液体を吐いた。
石床を見遣ると、表面が溶け水蒸気が発生している。
それは強酸の液体だった。
「正兵衛さん、気をつけて!」
「これはケッタイな芸技でござる。浴びれば真骨まで入り、無事には済みませんな」
正兵衛は真剣な眼差しになってコウモリを睨む。
もっとも、緊張感のない、ひょうきんな体勢はそのままだが。
コウモリは空間を奔放に旋回して、酸を撒き散らしてくる。
当たってなるものかと、逃げ回る正兵衛。
そして、正兵衛が液体を飛び避けた拍子に体勢を崩すと、そこへコウモリが追突を仕掛ける。
寸前でかわした正兵衛は、コウモリが飛び立つ間際、その片足を握り強引にぶら下がった。
コウモリは落下させようと、しきりに飛び回る。
正兵衛は何が何でも離すまいと足を引っ張り続ける。
そんな状態がかなりの時間続いた。
敦は業を煮やし、助けようかと何度か言ってみたが、正兵衛は武士の情だと思って、どうか手を出さないでくれと言い張って聞かなかった。
「う、腕が千切れそうでござる。しかれども、不幸中の幸い。この態勢で出せるとっておきの技があり申す」正兵衛は苦悶の顔で言う。
すると、想神夢幻古武道の達人は、コウモリの足を抱えるようにし、スルスルっと逆上がりの要領で両脚を突き上げた。
そして、コウモリの身体を蟹挟みした。
「な、何のつもりでしょうか!離しなさい!」コウモリが慌てて解こうと暴れ飛ぶ。
正兵衛はコウモリの足を操縦桿のように絞り上げると、身体ををぐるりと直角に移動させた。
コウモリの頭が下になり、パイルドライバーのような態勢が出来上がる。
さらにキツく腕を絞ると、コウモリは激痛で飛んでいられなくなり、翼を止めた。
「や、や、やめなさいー!」
「安心なされ!命まで奪いはせぬ!」
一瞬後、石床にけたたましい炸裂音が鳴り渡った。




