美里さん 2
変じゃないだろうかと、瀬奈はもう一度鏡の前に立った。
淡い水色の、フレアワンピースに白いカーディガン。靴は若干ヒールがついたパンプスだ。
自分なりには気を使った格好だが、相手はあの美里さんだ。
変に思われなければいいけどと考えつつ、一度その場でくるりと回る。
だが、金曜日までの、不安ながらも期待をしていた気持ちは、昨日の出来事によって霧散してしまった。
「はぁ……」
思わず、ため息が漏れる。今でもあの空也という人の声が耳にこびり付いているようで、鋭い声が何回もリプレイされる。
使えない店員
雅も迷惑してる
辞めてしまえ
そんな声をかき消すかのように、瀬奈は頭を振った。
今日は、美里さんとのお出かけなのだ。
雅さんからの伝言によると、午前10時に『weiss katze』に集合だと聞いた。時計を確認すると、まだ9時を過ぎたばかり。
「どうしよう……」
『weiss katze』には、15分もあれば辿り着く。が、こういう時はやはり10分前に行くのが原則だろう。それに移動時間にもう少し余裕を持たせて……、と時計を見ながら逆算する。
それほど親しくない間柄とのお出かけは初めての経験だ。
しかも、相手は年上のお姉さん。
粗相をしないようにと考えつつ、美里さんの誘いに乗ろうという気持ちになるのは、やはり『weiss katze』の常連さんだからだろうか。
『常連さんは皆優しい』という雅さんの言葉を鵜呑みにしたわけではない。中には自分と合わない人だっているだろう。
だが、少なくとも山本さんや美里さんは私に優しく接してくれる。
信じたいと、思った。
雅さんも、常連さんたちも。
胸に広がるこの思いを持て余しつつ、私は財布が入ったバックを掴んだ。
お店のドアを開けると、雅さんが出迎えてくれた。
「おはよう瀬奈ちゃん」
「おはよう、ございます」
緊張しながらもカウンターに座る。時刻は9時50分。店内には私と雅さん以外誰もいない。
「今日は美里さんとのお出かけなんだよね?」
「は、い」
「楽しんで来られるといいね」
雅さんが微笑んだ。優しい、ミルクティーのように甘い笑顔。
その笑顔を見るとホッとしてしまうのは、昨日のあの男子高校生が原因か、はたまた美里さんとのお出かけに緊張しているからか。
雅さんの言葉になんて答えればいいか分からないまま、口を開けた時、カランカランとドアベルが鳴った。
「おはよ~」
柔らかい女性の声。美里さんだと後ろを振り返り……、私は昨日と同じく固まった。
美里さんの横には、昨日私にきつく当たってきた、空也という人が立っていた。
鋭い目が私を睨んできた。
ひくりと喉を鳴らす私を見て、美里さんは空也という人の頭をぺしんと叩く。
「こら空也、そんな目つきしないの!」
「ってぇな…」
今度はその目は美里さんに向けられたが、美里はどこ吹く風だ。彼の背中をぐいぐいと押しながら私に近寄る。
私は当然、カウンターに張り付く結果となった。
「瀬奈ちゃん、ごめんなさい。昨日こいつが瀬奈ちゃんを虐めたんだって?」
「え、と」
虐めた、で合っているのだろうか。
戸惑う私を余所に、『ほら頭下げなさい!』とまるで空也という人の姉のように美里さんが言った。
ジッと、上から見下ろされる。
昨日と同じ、鋭い目つき。
ビクビクしながら彼の動きを注視していたら、パッと視線を外され、
「悪かった、とは思う」
そんな謝罪の言葉が小さく聞こえた。
「も~あんたは! まともに謝罪も出来ないの!?」
「うっせぇよ早く消えろ!」
「はぁ、もう…。瀬奈ちゃん本当にごめんなさいね。さ、こんな奴忘れて早く行きましょ」
「は、い」
睨み付ける彼から出来るだけ距離を置きつつ、私は美里さんに近寄った。にっこりと笑った美里さんは私の手を取りドアへと歩く。
「じゃ、夕方には帰ってくるわ。雅、空也をよろしく」
「はいはい。いってらっしゃい」
微笑む雅さんを尻目に、私と美里さんは外に出た。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
店内に、しっとりとしたバラードの曲が流れる。
「空也、何か飲んでく?」
そう言っていつもと同じように微笑む雅を見て、空也はしょうがなしにカウンターに座った。勿論、さっきまで瀬奈が座っていた席ではない。
「水」
「喫茶店でそれはなぁ~」
「ドイツ語の喫茶店なのに昆布茶置く奴が言うか?」
「あれはじっちゃんの為だから」
それだけ言って空也に出されたのはコーラだった。シュワシュワと弾ける炭酸を見つめて、空也は雅を睨む。
「水、て言ったはずだけど」
「空也はコーラが一番好きでしょ?」
快活に笑った雅の手には、同じく透明な硝子のコップに入れられたコーラが握られている。
空也は出されたコーラをひっつかみ、一気に喉に通した。
キツい炭酸が喉を刺激するが無視をして、一気に半分まで飲み干す。
「空也はなんで瀬奈ちゃんの事嫌うの?」
いきなりの質問。答えたくないと無言を貫くが、質問した雅も無言を貫く。
先に折れたのは、空也の方だった。
「別に、気にいらねぇとかじゃなくて。あいつ、喋んねぇし下向いて接客出来ねぇし、だからムカついただけ」
つまり気に入らないんじゃんという雅の声は無視をした。
「空也と瀬奈ちゃんは同い年なんだから、仲良くしてあげてよ」
「………」
「それが出来ないんだったらここには来ちゃ駄目」
「はあ!? 何で!」
「だって瀬奈ちゃん可哀想じゃん空也に睨まれて。俺は瀬奈ちゃんの味方だし」
コーラに口を付けてから、雅は飄々と言った。それを見た空也は苛立ち紛れにカウンターを蹴ろうかとも考えるが、寸での所で押しとどめる。
「俺の方が、常連なのに」
「うん、だから、円滑になるように頑張ってよ」
投げやりにも聞こえる雅の言葉に、空也は舌打ちをして返した。
「きゃあ~やっぱ似合うわ~」
「そう、ですか?」
黄色い美里さんの声が店内に響き渡る。羞恥心に赤くなりつつ、瀬奈は相槌を打った。
美里さんに連れられたのは、色んな洋服店が集まっている駅ビルだった。
日曜日という事もあって店内は人混みで溢れかえっている。若干引け腰になりそうだったが、美里さんはドンドン進んでいった。
休憩とばかりに近場にあったチェーン店に入ると、美里さんは肘を付きながらほう、とため息を吐く。
「やっぱり若い子だと何でも似合うわね」
「美里さんも、似合ってました」
「そう? 私は駄目よ。昔ならもうちょっといい体してたんだけど」
今でも十分いい体だと思う。
ふくよかな胸元に、くびれたウエスト。白魚のような透き通った肌。うん、十分いい体している。
「今でも、綺麗です、よ?」
「そう? でもやっぱり、子供産んでから太っちゃって」
「えっ!」
子供なんていたのかと私はまじまじと美里さんを見つめてしまった。
「子供って、何歳、なんですか?」
「え? ほら、雅の喫茶店で私が謝らせた子、あの子よ」
「ええっ!?」
に、似てない。いや、よく考えれば、あの人が吊り目な以外は顔のパーツも、似ているかも? よく見ていなかったから分からない。
「あの子、長谷川 空也っていうの。瀬奈ちゃんと同じ高校一年だけど、多分学校は違うんじゃないかしら?」
「ど、どこの学校、ですか」
もし一緒の学校だったらたまったものではない。虐められたらと青くなる瀬奈をよそに美里は宙を見つめた。
「確か、咲丘高校よ? 瀬奈ちゃんは?」
その答えを聞いて瀬奈は安堵のため息を吐く。
「金城、です」
「まぁ進学校じゃない、凄いわね!」
美里さんにそう褒められても、瀬奈は曖昧にしか笑えなかった。
学校など、親に出されたいくつかの候補から選んだだけだ。
進学校だからとか、何かその学校に魅力があって選んだわけじゃなく、ただ適当に選んだだけだった。
「凄くなんか、ない、です」
受験勉強の為に塾に行って勉強して、合格ラインを越えただけ。
大して目標など感じなかっただけあって、受験勉強はやりがいなど感じない味気ないものだった。
注文したミルクティーを口に含む。こう言っては失礼かもしれないが、雅さんのミルクティーの方が美味しい、気がする。
「そう? 私は凄いと思うわ」
美里さんは、自分のコーヒーをスプーンでかき混ぜながら呟いた。
「私の息子なんて、ろくに受験勉強しないで、咲丘だってギリギリだったからもう私心配で。言葉使いはドンドン悪くなるし…」
「……でも、正論は、ついてると思いました」
昨日の言葉。あれは、キツい言葉だけど正論ばかりだった。
人と上手く話せない。
接客が出来ない自分は、確かに雅さんのお荷物、だと思う。
自然と下を向いてしまった私に、美里さんが優しく声をかける。
「空也からなんて言われたかは聞いたわ。でもそんなの、気にする必要ないわ」
「でも、的は、得てます。自分は上手く話せないし、極度の人見知り、だし」
勉強など出来ても、人間的に出来ていない。人と話す事なんて幼稚園児でも出来るのに、自分はそれが出来ない。
「……瀬奈ちゃんは、自分が嫌い?」
「……はい」
当たり前だと、思った。理由は上手く話せないけど、当たり前だ。こんな自分、誰だって嫌だ。
「私は、瀬奈ちゃんの事好きだけどなぁ」
美里の言葉に、瀬奈は固まった。
「人見知りでも、頑張って治そうとしてるじゃない。雅の所で働いて、常連の人と頑張って会話をしてる。
自分が悪いって思っている事を治すって、凄く難しい事よ。でも、きっと瀬奈ちゃんなら治せるわよ」
そうだろうか。
あの場所で、私は極度の人見知りを治せるだろうか。
そんなもの、どこにも確信は無い。無いが、変わりたいという気持ちには、確信を持てた。
雅さんのお荷物にならない、きちんと接客が出来る人間になりたい。
「頑張って、みます」
私の弱々しい声に、美里さんは微笑むだけだった。
夕刻、私と美里さんはまた『weiss katze』に続く路地の前に来ていた。
「今日は、ありがとう、ございました」
「いいのよ、私から誘ったんだし、楽しかった?」
「はい、とっても」
新しく買った洋服は、美里さんと一緒に決めたものだ。
誰かと一緒に洋服を買うという初めての行為に、嬉しいような恥ずかしいような気持ちが溢れる。
「本当に一人で大丈夫?」
「はい。大丈夫、です」
ぺこりと美里さんにお辞儀をして、私は帰り道を歩く。ちょっと振り返ると美里さんが手を振ってくれて、嬉しくなって私も手を振った。
ほんの半歩、前に進めた気がした。
「あ」
ところで、本当に美里さんは何歳なのだろう。




