空也くん
ついに、この日が来てしまった。
「はい、じゃあ2人~3人でグループ作れ~」
と、体育の担当であり担任でもある笹木先生が言った。
まだ少し寒い気がする体育館の中、学校指定の深緑のジャージに身を包んだ女子たちは、ざわざわと雑談しながらもグループを作っていく。
そんな中、瀬奈は一人緊張で震えていた。
ついに、この日が来てしまった。
2、3人で一グループ。一体何度この学校独自の制度に泣かされたか。
特に小学生などの時、プールのバディなんかを作る時は、毎度毎度泣かされた。大体は仲良しグループの中で形成されるのでいつも一人でうろうろしてしまうのだ。
(だけど)
だけど、今日の私は一味違う。
そう言い聞かせて意気込んだ。
そうだ、変わろうと決めたのだ。こっちから、声を掛けてみせる!
瀬奈はキョロキョロと視線をさまよわせた。先生は2、3人と言っていたから、2人の所に入れてもらってもいいんだ。既に2人組を作っていて、優しそうな、仲間に入れてくれそうな人……、と見回して、少し小柄なクラスメートに目を付ける。
その女の子たちの名前すら思い出せない事に、改めてクラスに溶け込んでいないという事実を身に沁みて感じた。
心の中で涙しつつ、勇気を出して右手を少しだけ伸ばす。
「ぁ、あ、の……「由真っちたち~、入れて~」」
横から、一人のクラスメートのが彼女たちに駆け寄った。
私がついさっきまで声をかけようとした、ショートカットの髪型をした方の女の子が振り返り、『いいよ~』と明るく笑う。
ゆるゆると、右手が下がった。
「………」
なんだ、この敗北感。
ぎゅううと心臓が悲鳴を上げた。
改めて、彼女たちとの距離を様々と感じてしまう自分が情けなく思った。
脳裏に、雅さんの笑みが浮かぶ。そうだ、自分には『weiss katze』の人たちが。と、そこまで考えて頭を振る。
(駄目だ。雅さんたちに甘えちゃ。変わるんだからっ…)
弱気になりそうな心を奮い立たせる。他に、入れてくれそうな人物を探して、ふと、クラスメートから離れて傍観している子を見つけた。
さらさらの長い黒髪を一つ縛りにしている子で、少し冷たい印象の女の子。
、だが、彼女の周りには誰もいない。つまり、今彼女に話しかければ、ペアになってくれるかもしれない。
瀬奈は一つ深呼吸して、彼女に近づいた。
「ぁ、の! ペア、なって、くれませんか?」
声、震えてないだろうか。と頭の片隅で考えつつ、瀬奈は自分より背の高いその少女を見上げた。
少女は少し目を見張って……、何故か、自嘲気味に笑う。
「いいの? 私となんか関わったら、あんたも無視されるよ?」
言っている意味が、よく分からない。瀬奈は曖昧に首を傾げた。
でも、瀬奈は無視されると言われても今までだってクラスの中で空気と化していたのだ。そんな事があっても、今時点では問題ない。
「あ、の。私は、大丈夫、だよ」
今現在も空気のようなものだからと言うと結構心に来るものがあるが、それでもここでペアになって欲しい。
そう思って告げたら、少女はまた目を見張って、今度は優しく微笑んだ。
なんでグループを作ったかと言えば、ただの柔軟の為だった。
瀬奈は名前も知らないクラスメートの背中を押す。それなりに柔らかい体をしているらしい彼女は、難なく開脚したまま身を地面に近づける。
「……あの、名前、聞いてもいい?」
「ぇ、ああ。轟 麻理よ。あなたは?」
「相沢 瀬奈、です」
「相沢さんね」
10数える先生の声が止み、二人は場所を交代した。そこまで運動神経のよくない瀬奈の背中を、麻理の手が控え目に押す。
「相沢さんは、私の噂とか、聞かないの?」
「え……?」
「……私が、橋本先輩を振った事、とか」
橋本先輩、誰だろう。
一瞬、瀬奈の頭に『Now roading……』という言葉が浮かんだ。
クラスメートの名前すら把握していない私が、どうして何の接点も無い先輩の事など知っているだろうか。
また、先生が10数え終わって、私は立ち上がる。
「ご、ごめんね。橋本先輩って、誰……?」
麻理はまた目を見張って、今度は声を上げて笑った。
「ほら、あの人が橋本先輩」
体育の授業が終わった後、麻理は瀬奈の手を引いて3年の教室に近づき、遠巻きに見ながら指差した。
教室の中、やけに女子に囲まれている綺麗な顔をした先輩……、あれが橋本先輩なのだろう。
柔らかそうな黒髪で、キラキラとした笑顔を女子に振りまいている。
「あの人に、私告白されたの」
何てことないように麻理は言った。ぱっと瀬奈は自分より背が高い麻理を見上げる。
ちょっと目つきが強い所以外は、麻理は美人だ。
体育で縛られていた髪は今は解かれ、腰付近にまで伸びている。
まだ15歳だというのに、その体つきはもう大人のように出るところは出て、引っ込む所は引っ込んでいて同い年は羨ましいと感じるのだろう。
可愛いという言葉より、綺麗という言葉が似合っていた。
「タイプじゃないし、初対面だったから断ったの。そしたら、『あの橋本先輩を振るだなんて』って女子に反感買われたらしくて」
「そんな、有名、なの?」
つい本音が出てしまったが、麻理は淡々と続ける。
「生徒会会長で主席。運動も出来る御曹司らしいよ」
「…………」
そんな漫画やアニメに出てきそうな人、いるのか。
なんだか逆に恐れ多くて近寄れない。
「どうせ付き合ったって妬んでたろうに、なんで振っても妬むんだろうね。女って本当によく分からない」
そういう麻理だって女の子のはずなのにとは言えない瀬奈は、麻理の疑問に答える事にした。
「橋本先輩から、告白、されたのが、羨ましかったんじゃ、ない、かな……」
憧れの先輩からの告白。恋する乙女なら一度は夢見るものなのだろう。残念ながら、瀬奈は男性に苦手意識が少しあるのでその定義に入らないが。
そんな先輩に告白されたのが自分じゃない事も、憧れの先輩が振られるのもどこか納得出来ないのだろう。
麻理は、一度相槌を打って、瀬奈の横顔をじっと見つめた。
「相沢さんって、いつもクラスの端っこで勉強してるか本読んでるよね。友達いないの?」
「……う、ん…………」
そんなストレートに聞かれるとは思わなかった。
ぐさりと突き刺さった言葉に涙が出そうになったが、
「じゃあ、私と友達にならない?」
笑顔付きの麻理の言葉に、違う意味で涙が溢れた。
友達……!!
脳裏に、優しく微笑む雅が浮かぶ。
そうだ。この事を、まず一番先に雅さんに報告しなければ!
「ふ、ふつつかものですが……!!」
と言って、瀬奈は麻理の手を握った。
ああ、イラつく。
「空也~、どした~?」
隣から聞こえる友人の声。それを無視して空也は歩みを進めた。
どうしてイラつくかというと、それは『weiss katze』という、空也にとって第二の家みたいな喫茶店に、見知らぬ女が入っていたせいだ。
キョドキョドして、言葉も上手く喋んねえ女。
まるで自分のテリトリーに見知らぬ輩が勝手に入り込んだような、肌を逆撫でされるような嫌悪感がずっと空也に付きまとっていた。
それを少し離れて見つめつつ、空也が喫茶店に誘ったメンバーの3人は小声で話し合う。
「空ずっと不機嫌だよな」
「あれだよ。喫茶店の時からだよ」
「あの女の子のせいか?」 空也は目つきは悪く口も悪いが、決して誰彼構わず睨みつけ悪口を言う訳ではない。
少なくとも、初対面の人に笑いかけて自己紹介する位には対人スキルは持ち合わせている。
「でも、普通に可愛かったよな?」
「な~。名前聞いときゃ良かった」
「空~。あのさ、喫茶店、の……」
声をかけようとした友人は、空也が道端でぴたりと硬直しているのに首を傾げた。
そして空也の視線の先を見つめて、小走りに走る少女の横顔を見つける。
深緑のブレザーに赤チェックが入ったスカートを着ている少女は、ずっと走っているのか頬が赤い。
だが、端から見ても何か嬉しい事があったと分かるくらいにその顔は綻んでいた。
あ、喫茶店の子。とは、誰が言っただろう。
小さな声だったが瀬奈には聞こえたらしく、視線が一瞬こちらに向き、キラキラと輝いていた笑顔が、音を立てて固まった。
そしてそれはすぐに怯えへと変わる。
「あ~……。この前は、ごめんね?」
「空怖かったよね?」
とりあえずというような男たちの声に、けれど瀬奈はびくりと身を竦ませるだけだった。酷く嫌われたものだと3人が苦笑いをする中、空也だけは違った。
「その怯えきった顔、うぜぇんだよっ!!」
思わず、怒鳴っていた。
『ひっ!』という言葉と共に瀬奈は一歩下がり、端からみればいじめだと言われても言い逃れが出来ない風景へと化していく。
イラつく。ムカつく。
なんだ、さっきまで笑ってた癖して、人の顔を見るなり凍りつきやがって!!
「おいお前、今からどこ行くんだよ」
若干危ない言葉に聞こえる。が、空也とその友人はこれから『weiss katze』に行く予定で……「み、雅さんの、所……」
は……? と、空也の思考が停止する。
おずおずと出たその言葉は、確かに雅の所、と聞こえた。
『weiss katze』にではなく、『雅の所』というのは、一体、どういう意味か。
思わず小一時間位何故その言葉を使ったのか問いただしたくなったが、瀬奈は『急いで、るので』とだけ言い、最後にお辞儀をしてその場から立ち去った。
今の時間帯は常連もいないかもしれない。それじゃあ、あいつと雅は2人っきりか。いや、よくないだろ、男と2人っきりって。
ぐるぐると思考の渦に巻き込まれかけ、
「恋だねぇ~」
そう呟いた友人を、空也は思いっきりひっぱたいた。
瀬奈がドアを開けると、いつものように雅さんがカウンターに立っている。今は誰もいないようで、店内には心地よいバラードが流れていた。
「瀬奈ちゃん、いらっしゃい。何か飲む?」
「あ、えと、じゃあ、オレンジジュース、を……」
確か、メニューにあったはずだと思う。雅さんは『了解』とだけ言って、少しの間だけ裏に下がる。
出てきた雅さんの手には可愛らしい瓶のオレンジジュースとガラスのカップが握られていた。
「はい。どうぞ」
瓶の蓋を難なく開けて、雅さんが注いでくれる。お礼を言って、瀬奈は少し口をつけた。
学校から走ってきたからか、体が火照っている。喉も渇いていた瀬奈にとっては、冷たいオレンジジュースは有り難かった。
少しだけ呼吸を整え、瀬奈は雅を見つめた。
いつもと同じ。
柔らかそうな茶髪に、自分を見つめる瞳は優しい。
「あ、の! 今日-……!!」
自分から話しかけて、しかも、友達が出来たんです!!
そう言いかけて、ぴたりと止まる。
そんな事言われたら、雅さんは迷惑だろうか。それに、内容がずいぶん幼稚に感じる。こんな幼稚な事言ったら、もしかしたら呆れられるかも?
どんどん悪い方向へと思考が進み、視線が下がる。
「ぁ……、え、と……」
「瀬奈ちゃん。もしかして、何かいい事あったの?」
「え……?」
どうして、分かったのだろう。
瀬奈が首を傾げると、雅はクスクスと笑った。
「だって、瀬奈ちゃんが初めて走ってここに来て、目をキラキラさせてるものだから」 違った? という雅さんの声。
そんなに分かりやすい反応だったろうかと、瀬奈は少しだけ頬を赤らめた。
「ぜひ、俺は聞きたいなぁ」
「……稚拙な、内容、ですよ?」
「どんな内容でも」
ああ、やっぱり雅さんは優しい。
瀬奈は思い切って告白した。
「今日、体育で、自分から話しかけたんです。そしたら、その子、『友達になろう』って」
「瀬奈ちゃん偉いじゃん! 良かったね、新しい友達が出来て」
微笑む雅は、カウンター越しから瀬奈の頭を撫でる。
雅さんが、褒めてくれた。
雅さんが笑ってくれてる。
自分から話しかけ、友達が出来た。
たったそれだけと人は笑うかもしれないが、自分にとっては大きな一歩だったのだ。
それを、笑わないで褒めてくれる。今まで自分を心から褒めてくれる人がいなかっただけあって、雅さんのその言葉と行動は瀬奈の心に優しく染み込んでいった。
2人の中に、砂糖菓子みたいな雰囲気が溢れたその時、
「雅!! 女子高生に手ぇ出すってロリコンかてめぇ!!」
雅を罵りながら、空也が喫茶店に乱入した。
瀬奈はいきなりの闖入者に体を震わせ、後少しでオレンジジュースが入ったコップを倒す所だった。
荒々しく入って来たのは空也だけで、さっきまで一緒だったあの3人はいない。 あれ? と内心首を傾げる瀬奈の後ろで、雅がため息を吐く。
「空也、もう少し丁寧にドアを開け閉めしてくれると嬉しいんだけど」
自覚はあるのか、空也は一瞬言葉を詰まらせる。
「み、雅がセクハラしてたから……」
セクハラ? と珍しく雅と瀬奈が一緒になって首を傾げた。
そんな行動、あっただろうか。
「俺、セクハラしたかな?」
「した! さっきこいつの頭撫でてたろっ!!」
セクハラは、やられた方が不快に思うか否かで結構変わってくる。世の中にはそんな仕草だけでセクハラだと喚く女性がいるらしいが、
「雅さんに撫でてもらうのは、やじゃ、ない」
瀬奈にとって、雅に頭を撫でてもらう行為は寧ろ心地いい。
「は、はぁ!? 変態ロリコンの肩持つのかよ!!」
あまりの言い草に、珍しく瀬奈は弱々しくだが反論した。
「み、雅さんは、そんな人じゃ……」
「外見だけで判断してんじゃねぇよ!!」
「ち、違……。雅さんは、優しいし……」
「それが騙されてんだよ!!」
「……あなたよりも、雅さんの方が好きだし、信用出来る……」
ふてくされたように呟いた言葉は、だがしっかりと空也の耳に届いていた。
そりゃ、そうかも知れない。
なにせ空也は初対面の時芹花をいびった。優しい雅とどちらが好きかと聞かれたら、雅がいいと言うだろう。
だが、何故だか空也はそれが気にくわなくて、声を張り上げていた。
「……っだからって!! 俺の雅に手ぇだすんじゃねぇ~!!!」
しまった、と空也が思うにはもう遅く。店内に中々居心地悪い空気が流れた。
「……あ、えっと。ごめんなさい……」
「空也ごめん。俺、男同士はちょっと……」
気まずそうに視線を下げる二人。そんなつもりじゃないのに、変な誤解を抱かせてしまったのは明らかだった。
「ちが、そういうんじゃ…!! だぁあも~~!!」
空也の悲痛な声が、店内に響いた。




